第39話「照合」
2001年10月18日。木曜日。
航は、学校を3時間目の後に早退した。
「体調不良」。担任の小林は、もう慣れた顔をしていた。「また病院か。受験前なんだから無理するなよ」。航は頷いた。
三郷駅から武蔵野線に乗った。
行き先は九段下。東京法務局本局。先月と同じ場所だ。
管轄外の法務局でも登記事項証明書は取れる時代になっていたが、三郷の近くで商業登記を扱う法務局は限られる。さいたま地方法務局の越谷支局は不動産登記のみで、会社の登記は扱っていない。結局、文京区本郷の法人なら九段下まで行くのが一番確実だった。
南越谷で乗り換え、何度か電車を乗り継いで九段下。
午前11時半。東京法務局本局に着いた。
先月と同じロビー。同じ蛍光灯。同じインクの匂い。窓口には司法書士や行政書士、企業の担当者が列を作っていた。
請求用紙を2枚書いた。
1枚目。商号:有限会社ティー・エス・プランニング。本店:文京区本郷三丁目。
証明書の種類:履歴事項全部証明書。
2枚目。商号:株式会社ネクストウェーブ。本店:文京区本郷三丁目。
証明書の種類:履歴事項全部証明書。
登記印紙。1,000円×2通。2,000円。
窓口に出した。
「はい、少々お待ちください」
10分。
2枚の証明書が出てきた。
航は、待合室の椅子に座った。
佐伯の声を思い出す。「2枚を並べて読め。1枚だけで見えないものが、2枚並べると見える」。
航は、2枚を並べた。
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左。ティー・エス・プランニング。履歴事項全部証明書。
前回、九段下で取った時は設立時の情報と監査役の名前を確認しただけだった。及川誠の名前が見つかった時点で、満足して帰ってしまった。
今回は、変更履歴を全部読む。
役員に関する事項。
監査役 及川誠。
住所 東京都文京区本郷三丁目XX番XX号。
就任 平成11年3月25日。
退任 平成12年10月15日。
退任していた。
設立から約1年半で、及川は監査役を退任している。白石隆が取締役を退任したのが平成12年6月。その4ヶ月後に、及川も退任した。
だが、退任時の住所は——
航の目が止まった。
監査役 及川誠。
住所 埼玉県三郷市早稲田X丁目X番X号。
退任 平成12年10月15日。
三郷市。
就任時は文京区本郷。退任時は三郷市早稲田。
及川は、2000年10月の時点で三郷に住んでいた。
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右。ネクストウェーブ。履歴事項全部証明書。
代表取締役 山下健一。
住所 千葉県松戸市XX町X丁目X番X号。
就任 平成11年3月25日。
ティー・エス・プランニングと同じ日に設立されている。同じ日。同じ住所。
目的。情報処理サービス業、ソフトウェアの開発及び販売、インターネット関連事業。
ティー・エス・プランニングとほぼ同じ目的。
役員。
取締役 山下健一。
取締役 白石隆(平成12年6月退任)。
及川の名前はない。
ネクストウェーブには、及川は入っていない。ティー・エス・プランニングの監査役だけ。
2枚を並べて、航は見た。
ティー・エス・プランニング:及川(監査役・退任済み)+山下(代表)+白石(退任済み)
ネクストウェーブ:山下(代表)+白石(退任済み)
及川は、ネクストウェーブには一切名前を出していない。ティー・エス・プランニングだけに、監査役として名を入れた。そして退任した。
表向きは、及川とネクストウェーブの間に接点がない。
だが、ティー・エス・プランニングが所有する第二春日ビルに、ネクストウェーブ(今は山下システム開発)が入っている。
ビルの持ち主と、テナント。
そしてビルの持ち主の元監査役が、及川誠。
「……上手いな」
航は呟いた。
及川は、自分の名前を表に出さない。ネクストウェーブには関与していない体にしている。ティー・エス・プランニングの監査役も退任済み。法的には、及川と山下の間に現在の接点はない。
だが、登記簿を2枚並べれば見える。設立日が同じ。住所が同じ。役員が重複している。
佐伯が言った。「1枚だけで見えないものが、2枚並べると見える」。
これだ。
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航は、登記簿のコピーを鞄に入れた。
東京法務局本局を出た。10月の昼。空が高い。
F503iSをカチリと開いた。
「アイリス」
『はい、マスター』
「及川誠の退任時の住所が判明した。三郷市早稲田」
『……マスター。三郷市早稲田』
アイリスの声が、一瞬だけ止まった。
『マギ・ハブと同じ三郷市内です』
航の手が止まった。
三郷。航が2年間、毎日寝て起きている街。学校に通い、マギ・ハブで働き、コンビニで肉まんを買っている街。
及川誠は、その同じ街にいた。
「……昨日のSSHの接続先のIPアドレスと照合しろ。プロバイダのサービスエリアに三郷市早稲田は含まれるか」
『含まれます。完全に一致します』
航は、駅に向かって歩いた。
SSHの接続先=三郷のISP。
登記簿の退任時住所=三郷市早稲田。
デジタルと紙が、同じ場所を指している。
及川誠は、三郷にいる。
航と同じ街に、Lが住んでいる。
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午後1時。マギ・ハブ。
航は、サーバールームに戻った。
神崎は不在だった。千葉の実家に用事があるとかで、今日は休みを取っていた。
航は、一人でデスクに座った。
2枚の登記簿を並べた。
ティー・エス・プランニング。ネクストウェーブ。
設立日:同じ。住所:同じ。白石隆:両方に参加し、両方から退任。
及川誠:ティー・エス・プランニングのみ。監査役。退任済み。退任時住所:三郷市早稲田。
山下健一:両方の代表。現在も在任。松戸市在住。
この構図が見える。
及川は「箱」を2つ作った。ティー・エス・プランニングはビルを持つための箱。ネクストウェーブはサーバーを動かすための箱。2つの箱の間に、及川の名前は直接繋がらない。山下と白石を間に挟んでいる。
だが、ティー・エス・プランニングの監査役として、設立時に名前が入っている。これだけは消せない。
航は、佐伯に電話した。
「佐伯さん。取れました」
「及川の住所は」
「三郷市早稲田。俺と同じ三郷市内です」
佐伯の沈黙。5秒。長い沈黙だった。
「……鳴海。お前と同じ街にいたのか」
「はい」
「お前がVOを動かしてる間も、消防署と戦ってる間も、ハニーポットを仕掛けてる間も——そいつはお前と同じ街で、同じ空気を吸っていた。お前の通学路も、お前の買い物先も、たまたますれ違っていた可能性すらある」
航は、窓の外を見た。
TXの工事フェンス。その向こうの更地。その先に、住宅街がある。
三郷市。面積30平方キロ。人口十数万。そう広くはない街。その中のどこかに、及川誠がいる。
「佐伯さん。会いに行っていいですか」
「……待て」
佐伯の声が、低くなった。
「お前と同じ街にいる男だ。お前のことを知ってる可能性がある。顔を。名前を。学校を。——登記簿を取ったことも、法務局に行ったことも、気づいてるかもしれない」
「わかっています」
「わかってるなら、なぜ一人で行こうとする。前に言っただろう。一人で行くな」
「じゃあ、誰を連れて行けばいいんですか。矢島は佐伯さんが巻き込むなと言った。神崎は技術者だから駄目だと言った」
佐伯が、煙草を吸う音。
「……俺が行く」
航は、一瞬、言葉を失った。
「佐伯さんが?」
「書類は揃った。お前が取ったデータと、登記簿。全部合法だ。俺が行って、及川に会って、名刺を渡して、世間話をする。それだけだ。不審なことは何もない」
「でも——」
「鳴海。お前は14歳だ。及川のドアをノックしても、何も起きない。だが、行政書士の名刺を持った男がノックしたら——及川は、自分の『箱』が見えていることに気づく」
航は、黙った。
「俺が行く。お前は来るな。俺が及川の顔を見て、声を聞いて、報告する。——それが『調査の最後の1枚』だ」
航は、少しだけ笑った。
「佐伯さんが自分の言葉を、自分で使うんですね」
「使い時だからな。——日曜日の午前中に行く。住所を教えろ」
航は、登記簿の住所を読み上げた。
電話を切った。
サーバールームが、静かだった。
Ultra 60のファンの音。10月の午後の光。
佐伯が行く。
書類の男が、紙の向こうにいる人間を見に行く。
航はF503iSをカチリと閉じた。
日曜日。あと3日。




