表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
序章:神童編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/56

第21話「線引き」

2001年1月8日。月曜日。成人の日。


三郷駅。午前10時。


ホームに、振り袖の女たちが並んでいた。


赤。白。紫。金糸の帯。冬の陽射しを跳ね返す、鮮やかな色彩の群れ。笑い声。ヒールが鳴る音。写ルンですのフラッシュ。


航は、その中に立っていた。


14歳。制服ではなく、ユニクロのフリースにジーンズ。手には、F501i。


振り袖の一人と、目が合った。


「あ、かわいい。弟?」


隣の女が、笑う。


「違うでしょ、中学生じゃん。ねえ、君、成人式の見学?」


航は、曖昧に笑った。


「いえ、ちょっと出かけるだけです」


「そっかー。気をつけてねー」


女たちが、笑いながら改札に向かっていく。


39歳の記憶が、彼女たちの未来を自動的に検索する。2001年の新成人。1980年生まれ。就職氷河期のど真ん中。この中の何割が、10年後に正社員でいられるか。リーマンショックを越えられるか。


やめろ。


航は、頭を振った。


人間をデータで測るな。佐伯さんに言われたことだ。


ポケットの中で、F501iが震えた。


『マスター。本所到着予定時刻は11時12分です。西船橋で総武線各停。乗り換え1回。所要時間62分』


小さな画面に、アイリスの文字が並ぶ。


『なお、本日は祝日です。佐伯先生の事務所が開いている保証はありません。アポイントメントは取りましたか?』


取っていない。


「年が明けたら、また話そう」。佐伯はそう言った。それが約束だ。日時の指定はなかった。


『つまり、アポなしの突撃ですね。14歳の訪問営業としては、度胸だけは合格です』


航は、F501iをポケットにしまった。


ホームに立って、電車を待つ。日祝ダイヤで本数が少ない。


駅の向こう側に、冬の三郷が広がっている。枯れた田んぼ。霜で白くなった畑。TXの予定地では、重機が休んでいる。祝日だから動かない。赤土の更地に、測量杭だけが突き立っている。


武蔵野線が来る。乗り込む。窓際の席に座った。


航は、窓ガラスに映る自分の顔を見た。


14歳。


この顔で、佐伯さんの前に座る。


39歳の問いを、14歳の口で語る。


このズレに、1年半経っても慣れない。


---


本所。午前11時20分。


もう何度も上った階段。3階。


ドアの向こうから、煙草の匂いがする。


いる。


航は、ドアをノックした。


「——開いてる」


佐伯の声。いつもと同じ、低くて乾いた声。


ドアを開ける。


六畳半の事務所。スチールデスク。書類の山。灰皿。窓から差し込む冬の光が、煙を白く照らしている。


佐伯誠一は、デスクの前に座っていた。


煙草を咥えたまま、書類を読んでいる。


「……座れ」


航は、パイプ椅子を引いた。


座る。


佐伯が、書類から目を上げた。


航を見る。


3秒。5秒。


「正月は」


「初詣に行きました」


「そうか」


佐伯が、煙を吐いた。


「で」


佐伯の目が、航を射た。


「考えたか」


航は、頷いた。


「考えました」


「答えは出たか」


沈黙。


航は、自分の膝を見ていた。ジーンズの膝。14歳の、細い脚。この脚で、三郷から本所まで来た。電車で1時間。そのあいだ、ずっと考えていた。


違う。


12月29日から、ずっと考えていた。


「……正直、答えは出ていません」


声が、出た。


14歳の声。変声期を越えたばかりの、まだ薄い声。


「霧島がやろうとしていたことと、俺がやろうとしていることの違い。説明できません」


佐伯は、黙っていた。


「でも」


航は、顔を上げた。


佐伯の目を、見た。


「佐伯さんに『何が違う』と聞かれて、答えられなかった。それが、たぶん大事なんだと思います」


「……」


「霧島なら、聞かれなかった。誰にも聞かれずにやった。聞いてくれる人間がいなかった。いや、聞かせる相手を作らなかった」


航の指が、膝の上で握られていた。


「俺は、聞かれる場所に立ち続けます。佐伯さんに、間違ってると言ってもらえる距離にいます。それだけしか、今は言えません」


沈黙が、事務所に落ちた。


窓の外で、車が通る音。鳥の声。本所の、冬の昼の音。


佐伯は、煙草を灰皿に押し付けた。


長い間、航を見ていた。


「——足りない」


佐伯が、言った。


「全然、足りない」


航の喉が、詰まった。


「だが」


佐伯は、立ち上がった。デスクの後ろの棚から、急須を取り出す。


「——お前が自分の口でそれを言いに来た。テミスに言わせなかった。それだけは、認める」


湯呑みが、航の前に置かれた。


緑色の、古い湯呑み。縁が欠けている。


佐伯が、急須から茶を注いだ。


熱い。湯気が立つ。


「飲め」


航は、湯呑みを手に取った。


熱かった。指が、痛いくらいだった。


一口、飲んだ。


苦い。


39歳の舌が「出がらしじゃなくて、わざと濃く淹れたな」と分析する。14歳の舌が「苦い」とだけ感じる。


「佐伯さん」


「なんだ」


「俺は、これからも来ます」


佐伯は、自分の湯呑みに茶を注ぎながら、答えなかった。


答えなかった。だが、急須の角度が、少しだけ丁寧になった気がした。


---


佐伯は、茶を啜った。


そしてデスクの引き出しから、書類を一枚取り出した。


「読め」


航の前に、置かれた。


A4。コピー用紙。賃貸借契約書。住所と名前は黒塗りで消してある。


「……佐伯さん?」


「読めと言っている」


航は、書類を手に取った。


目が走る。39歳の実務経験が、自動的に文面を解析していく。


「賃貸借契約書。期間2年。更新料1ヶ月分。特約条項で原状回復義務を借主に」


「テミスなら何秒だ」


「……3秒かからないと思います」


「お前は」


「30秒くらいです」


「中身はいい。紙を見ろ」


航は、顔を上げた。


佐伯が、航を見ていた。


「もう一回読め。今度は、字を読むな。紙を見ろ」


航は、書類に目を落とした。


紙を、見る。


字を読まない。紙を見る。


「……署名欄の、筆圧が」


「どうなってる」


「最初の二文字は太い。はっきりしてる。でも、三文字目から急に細くなって——残りは、ほとんど力が入ってない」


「もう一つ」


航は、書類を傾けた。蛍光灯の光が、紙の表面を滑る。


「……印鑑が、二重に押されてる。一回目がかすれて、二回目で上から押し直してる。でも、二回目のほうがずれてる」


「何が起きた」


航は、黙った。


39歳の頭が、データを組み立てようとする。筆圧の変化。印鑑の二重押し。二回目のずれ。


「……わかりません」


佐伯は、煙草に火をつけた。


「この書類を持ってきたのは、82歳の婆さんだ」


煙を、吐いた。


「最初の二文字は自分で書いた。三文字目から、隣にいた息子に手を掴まれた。判子も同じだ。一回目は自分で押した。かすれた。息子が『貸せ』と言って取り上げて、押し直した。だからずれてる。手の大きさが違う」


航の喉が、詰まった。


「この婆さんは、書きたくなかったんだ。でも、息子に逆らえなかった。それが——紙に残ってる」


佐伯は、航を見た。


「テミスに、これが読めるか」


「……読めません」


「そうだ。読めない」


佐伯は、書類を引き取った。


「お前が聞かれる場所に立つと言った。いい。なら、もう一つやれ」


「何ですか」


「書類を、自分の目で読め。テミスに食わせる前に、お前が先に読め。字じゃない。紙を読め。それがお前の『線引き』の始まりだ」


---


午後1時。


航は、本所の通りを歩いていた。


冬の陽射しが、低い角度で路面を照らしている。佐伯の事務所の階段を降りて、5分。


指先に、まだ湯呑みの熱が残っている。


ポケットの中で、F501iが震えた。


取り出す。


『マスター。佐伯先生との会話、全て記録しました』


アイリスの文字。


航は、立ち止まった。


『……ありがとう』


返信を打つ。1文字2秒。


『なお、佐伯先生の最後の言葉について、テミスで解析しますか?』


航は、F501iの画面を見つめた。


『いや。しない』


『理由は?』


『佐伯さんに言われたばかりだろ。テミスに食わせる前に、俺が先に読めと』


『……了解しました。マスターにしては、学習速度が上がっています。0.0001%の改善ですが』


航は、笑った。


声は出さなかった。


総武線の駅に向かって歩く。本所の、古い商店街。シャッターが降りた店。開いている店。正月飾りがまだ残っている軒先。


指先の熱が、冬の空気に少しずつ奪われていく。


でも、胃の中には、佐伯が淹れた苦い茶の熱が、まだ残っていた。


---


2001年1月8日。月曜日。


三郷。マギ・ハブ。午後4時。


「戻ったか」


神崎が、サーバーの前にいた。


「ああ」


航は、コートを脱いだ。


「佐伯さんのとこか」


「なんでわかる」


「煙草の匂いがする」


神崎が、鼻を動かした。


「で、どうだった」


「……足りないと言われた」


「そりゃそうだ」


神崎が、あっさり言った。


航は、椅子に座った。


モニターの電源を入れる。


画面が、ゆっくりと明るくなる。ISDNの128kbps。まだ細い回線。


「神崎」


「あ?」


「ADSLの工事、いつだっけ」


「NTTから連絡が来てる。1月下旬。早ければ22日だと」


「あと2週間か」


「ああ」


航は、モニターを見ていた。


2ちゃんねるの掲示板。プロメテウスのボットが、今日も書き込みを続けている。128kbpsの細い回線で見ると、読み込みに時間がかかる。文字が、一行ずつ、ゆっくりと画面を埋めていく。


「IT不況が来る」

「株を売れ」

「日本は終わりだ」


同じパターン。同じ間隔。機械の言葉。


航は、目を細めた。


「……2週間」


呟いた。


回線が太くなれば、こいつらの「指紋」が見える。


今は見えない。128kbpsでは、解像度が足りない。


「アイリス」


「はい、マスター」


スピーカーから、声が響いた。


「ADSL開通後の優先タスクを設定しろ。第一優先、プロメテウスのボットネットの発信元解析。第二優先、正史乖離の精密計測。第三——」


航は、一瞬だけ止まった。


「——第三優先は、保留だ」


「了解しました。なお、保留の理由は記録しますか?」


「しなくていい」


「では、推測だけ記録しておきます。『マスターが自分の頭で考えている最中のため』」


航は、答えなかった。


モニターの向こうで、ボットの書き込みが続いている。


128kbpsの細い回線。


あと2週間。


航は、キーボードに手を置いた。


指先に、佐伯の茶の熱は、もう残っていなかった。


代わりに、キーボードのプラスチックの冷たさが、指に馴染んでいく。


この冷たさは、知っている。


39歳の自分が、何千時間も触れてきた、仕事の手触りだ。


---


深夜。午前1時。


マギ・ハブ。


神崎は仮眠室に引っ込んだ。


航は、一人でモニターの前にいた。


画面には、reprompt.comの管理画面。


掲示板の投稿ログ。アクセス解析。


アイリスに命じて、今日の佐伯との会話をテキスト化させた。自分で読み返すために。テミスには食わせない。


「マスター」


「なんだ」


「一つ、報告があります」


「言え」


「reprompt.comの掲示板に、新しいアカウントが登録されました」


「いつ」


「本日、午後2時13分。マスターが本所にいた時間帯です」


航の指が、止まった。


「アカウント名は」


「『void_1337』」


航は、椅子から身を起こした。


void。


霧島が使っていたハンドルネーム。


「投稿は?」


「1件。テキストのみ。暗号化なし」


「表示しろ」


画面が、切り替わった。


投稿日時:2001年1月8日 14:13:07


本文:


Admin。あけましておめでとう。


航は、画面を睨んだ。


それだけだった。一行。挨拶。


だが、投稿時刻。14時13分。


航が、佐伯の事務所を出た直後の時刻。


偶然か。


偶然じゃない。


「アイリス。このアカウントのIPアドレスは」


「多重プロキシ経由。追跡不能です。ただし——」


アイリスの声が、わずかに変わった。


「——プロキシの経由パターンが、プロメテウスのボットネットと87%一致します」


航は、画面を見つめていた。


Admin。あけましておめでとう。


たった一行の挨拶が、航の背中に張り付いている。


こいつは、見ている。


俺が佐伯のところに行ったことを、知っている。


「……アイリス」


「はい、マスター」


「このメッセージは消すな。記録して、インデックスをつけろ」


「了解しました。インデックス名は?」


航は、少し考えた。


「——『L_contact_001』」


モニターの光が、暗い部屋を照らしている。


1月の深夜。三郷。


128kbpsの回線の向こうに、何かがいる。


航は、それを「データ」ではなく、「気配」として感じていた。


佐伯なら、これを「足がない」と言うだろう。


だから、追う。


自分の足で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ