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リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
序章:神童編

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第16話「亡霊の再定義」

2000年10月2日。月曜日。


三郷。マギ・ハブ。


午後11時。


証拠保全から1週間。


航は、モニターの前で珍しく穏やかな夜を過ごしていた。


画面には、VOのサーバーログが流れている。ボット軍団の日次レポート。売上は安定している。「ヴァルキリーの涙」の相場が先週より12%上がった。


神崎は、サーバーラックの裏でケーブルの整理をしていた。六本木の証拠保全以来、「物理層の管理を甘く見るな」が口癖になっている。


「神崎。今日のVO収益は」


「えーと、RMTで38万。先週比プラス4万。悪くない」


「悪くない」


航は、缶コーヒーを啜った。


霧島は消えた。サイバーリンクは事業停止。渡辺弁護士が訴訟の準備を進めている。


静かだった。


静かすぎた。


その時、サーバールームに警告音が響いた。


「マスター」


アイリスの声が、緊張を帯びていた。


「外部からの大規模アクセスを検知。攻撃パターンは——」


〈DDoS攻撃です。秒間10万リクエスト。発信元は分散されていますが、コントロールノードは——〉


メティスの声が、続く。


〈——ソウル経由。霧島のヘリオスと同じパケット構造です〉


航は、キーボードに向かった。


「神崎!」


「わかってる!」


神崎が、別のモニターに張り付いていた。


「やべえ。トラフィックが捌ききれない。このままじゃサーバーが落ちる」


〔マスター。攻撃パターンを解析しました〕


テミスの声が、割り込んだ。


〔これは単純なDDoSではありません。攻撃パケットの中に、暗号化されたペイロードが含まれています。解読中——〕


画面に、文字が流れた。


「……論理爆弾か」


航は、呟いた。


「サーバーを落とすんじゃない。中に入り込んで、データを壊すつもりだ」


「マスター。対処法は」


「切り離す。外部との接続を、全部遮断しろ」


〈しかし、それでは——〉


「わかってる。VOの接続も、reprompt.comも、全部止まる。でも、サーバーを守る方が先だ」


航は、キーボードを叩いた。


「神崎。物理的にケーブルを抜け」


「物理的? マジか?」


「マジだ。今すぐ」


神崎が、走った。


サーバーラックの裏側。LANケーブルの束。ついさっき整理したばかりのケーブルだ。


「どれだ!」


「青いやつ! 3本全部!」


神崎の手が、ケーブルを引き抜く。1本目。画面のトラフィックが半減する。2本目。さらに減る。3本目。


画面のトラフィックが、一瞬で消えた。


静寂。


サーバーのファンだけが回っている。


「……止まった」


神崎が、ケーブルを握ったまま、息を吐いた。手が震えている。


「止まったぞ」


航は、椅子の背にもたれた。Tシャツの背中が汗で張り付いている。10月の夜なのに、サーバールームの中は熱気と緊張で蒸していた。


「アイリス。内部ネットワークは生きてるな」


「はい。外部との接続を遮断しただけです。内部のLANは正常です」


「被害状況を確認しろ。メティス、テミスも全系統のログを洗え」


「確認中——」


〈全ディスクのチェックサム照合を開始します。推定所要時間、23分〉


〔サーバー3台のファイルシステムを順次スキャンします〕


航は、時計を見た。午後11時8分。攻撃開始から数分。ISDNの128kbpsは一瞬で飽和していた。画面のレスポンスが極端に遅くなっている。


神崎が、サーバーラックの裏から出てきた。


「なあ、鳴海」


「何だ」


「俺、今日ケーブル整理しといてよかったな」


「……ああ」


「整理してなかったら、青いのがどれか分からなかった。パニックで全部引き抜いてたかもしれない。サーバーごと落としてた」


「整理してくれてて助かった」


神崎は、床に座り込んだ。


「俺さ、エンジニアのくせに、最後は手で引っこ抜くのが一番速いって、どういうことだよ」


「物理は裏切らない」


「哲学か」


航は、笑えなかった。


23分後。


「——マスター。スキャン完了しました」


アイリスの声が響いた。


「——サーバー本体に損傷はありません。ファイルシステムの改ざんもなし。ただし——」


「ただし」


「攻撃パケットの中に、メッセージが含まれていました」


画面に、テキストが表示された。


お前の「箱」を守れたか、鳴海。

だが、俺の「箱」を壊したツケは払ってもらう。

これは挨拶だ。本番は、これからだ。

——void


航は、画面を睨んだ。


証拠保全から1週間。霧島の報復は、思ったより早かった。


---


午前2時。


攻撃は止んでいた。外部接続を遮断したまま、内部ネットワークだけが生きている。


神崎は、仮眠室に追いやった。「3時間寝ろ」と言ったら「お前が言うな」と返されたが、5分で寝息が聞こえた。徹夜作業の限界だ。


航は、一人でモニターの前に座っていた。


外部との接続が切れているから、VOも止まっている。reprompt.comも落ちている。


静かだった。


サーバーのファンの音だけが、低く響いている。


「アイリス」


「はい、マスター」


「霧島の攻撃パケット、全部保存してあるな」


「はい。遮断前に受信した全パケットを、隔離領域に保存しています。メティスとテミスが解析を続けています」


「論理爆弾のペイロード、中身はわかったか」


〔報告します〕


テミスの声が、響いた。


〔ペイロードの解析が完了しました。論理爆弾の標的は、マギ・システムズのデータベースでした。具体的には、テミスの学習データ——佐伯アーカイブ6,047件——を対象とした消去プログラムです〕


航は、椅子の肘掛けを握った。


「佐伯アーカイブを……」


〔はい。霧島は、テミスの法務分析能力を無力化しようとしていました。DDoSで防御を引きつけ、その裏でペイロードを潜り込ませる。二段構えです〕


「テミスを潰しに来た、ってことか」


〔正確には、テミスの知識基盤を破壊しに来ました。プログラム本体ではなく、学習データを標的にしている点が重要です。プログラムは再インストールできますが、佐伯先生の30年分の案件記録を再度スキャンするには——〕


「何ヶ月もかかる」


〔はい。霧島は、テミスの「何が強いか」を正確に理解しています〕


航は、拳を握った。


証拠保全で、霧島はテミスの存在を知った。テミスが公開情報だけで自分の嘘を暴いたことも。


だから、テミスの足元——佐伯の30年——を狙った。


「……あいつ、頭は悪くないな」


〈マスター。興味深いデータを発見しました〉


テミスとは別に、メティスの声が割り込んだ。


〈攻撃パケットのヘッダに、暗号化されたメタデータが含まれていました。通常のDDoSツールにはない構造です〉


「メタデータ?」


〈プロジェクト名のようです。AES-128で暗号化されていましたが、ヘリオスの既知の鍵パターンから復号できました。名称は——「プロジェクト・プロメテウス」〉


航の目が、細まった。


「プロメテウス……」


〔ギリシャ神話の、人類に火を与えたティタン神の名です〕


テミスが補足した。


「知ってる。ゼウスの怒りを買って、鷹に肝臓を啄まれ続ける罰を受けた」


〔はい。しかし、問題はそこではありません。マスターの2026年までの記憶にも、テミスのデータベースにも、「プロジェクト・プロメテウス」という名称は存在しません〕


航は、椅子から立ち上がった。


「俺の知らないプロジェクト……」


「マスター」


アイリスの声が、静かだった。


「秋葉原で分析した霧島氏の通信プロトコルは、模倣または部分的な移植でした。六本木でマスターが推測した通り、霧島氏の知識が「渡された断片」であるなら——」


「誰かが、霧島にプロメテウスの情報も渡した」


「はい。そして、その『誰か』は、マスターが2026年で知らなかった情報を持っている。マスターの知識の外にいる存在です」


航は、窓の外を見た。


10月の三郷。深夜。田んぼの向こうに、わずかな灯りが見える。


「霧島の背後にいる奴。IRCでvoidの背後に別のノードがあると言ったのは、メティスだったな」


〈はい。当時の分析では、voidは末端であり、中継サーバーの痕跡を検出しています。その構造は今回の攻撃パケットでも確認されました。攻撃の設計者は霧島ですが、インフラ——攻撃用のボットネット——を提供したのは別の存在です〉


「霧島が前座だとしたら、プロメテウスは——本体に近い」


〈現時点では推測です。ただし、霧島が単独で設計したとは考えにくいアーキテクチャが、ヘリオスの通信に含まれています。具体的には、ボットネットの制御構造が、2000年の技術水準から見て異常に洗練されています〉


航は、腕を組んだ。


2026年の技術を、完全に再現できていない霧島。だが、ボットネットの制御だけは異常に高度。


それは霧島自身の能力ではなく、「渡された道具」だ。


「神崎が起きたら、攻撃パケットの構造分析を手伝わせる。ヘリオスの署名パターンと、ボットネットの制御構造を分離して、それぞれの設計思想を比較しろ」


「了解しました」


〈了解〉


〔了解しました〕


「アイリス。今の分析結果を記録しろ。タグは『霧島:潜伏』『プロジェクト・プロメテウス』『ボットネット=外部提供の可能性』」


「記録しました」


---


午前5時。


神崎が起きてきた。目を擦りながらモニターの前に座る。


「……まだ外部遮断中か」


「ああ。復旧する前に、攻撃パケットの分析を済ませたい」


「了解」


神崎が、キーボードに向かった。


航は、コンビニで買ってきたおにぎりを神崎に渡した。塩むすびと、ツナマヨ。


「お、サンキュー」


「食いながらでいい。ヘリオスの署名パターンと、ボットネットの制御構造を分離してくれ」


「分離?」


「攻撃の設計は霧島だが、使った道具——ボットネット——は別の奴が提供した可能性がある。二つの設計思想が混ざっていないか、見てほしい」


神崎は、おにぎりを頬張りながら、モニターに向かった。


1時間後。


「……鳴海。これ、見ろ」


神崎の声のトーンが変わっていた。


航は、神崎のモニターを覗き込んだ。


「ヘリオスの署名パターンと、ボットネットの制御プロトコル。分離した」


画面に、二つのコード構造が並んでいた。


「左がヘリオス。右がボットネット。見比べてくれ」


航は、画面を凝視した。


左のコード——ヘリオス。粗い。力技の実装が多い。だが、ところどころに鋭い発想がある。天才的なひらめきと、未熟な実装力が混在している。


右のコード——ボットネット。全く違う。無駄がない。一行一行が研ぎ澄まされている。変数名は意味のない英数字の羅列で、読む者のことを一切考えていない。


「……別人だ」


航は、呟いた。


「ああ。100%別人だ。ヘリオスを書いた奴は、才能はあるけど荒削りだ。でも、このボットネットを書いた奴は——」


神崎が、おにぎりの残りを置いた。


「——化け物だ。俺が見てきたコードの中で、一番美しくて、一番気持ち悪い」


航は、画面を見つめていた。


霧島のヘリオスと、「誰か」のボットネット。


二つの異なる知性が、一つの攻撃に組み合わされていた。


「神崎。このボットネットのコード、保存しておけ。いずれ、書いた奴を特定する手がかりになる」


「了解」


---


午前8時。


外部接続を復旧した。


VOのサーバーが再起動する。reprompt.comが復帰する。約9時間のダウンタイム。


「9時間のダウンタイムです、マスター。VOの売上損失は推定67万円。ケーブルを引き抜く判断は正しかったですが、もう少し優雅な方法はなかったのでしょうか」


アイリスの声に、いつもの棘が戻っていた。


〈マスター。追加情報です〉


メティスの声が、割り込んだ。


〈霧島のサイバーリンク・ジャパンが、本日付で事業停止を発表しました。プレスリリースが出ています。代表の霧島怜は、所在不明です〉


「所在不明……」


〈ただし、ヘリオスはまだネットワーク上で活動しています。発信元は特定できませんが、パケットの署名は確認されています〉


航は、目を閉じた。


「……霧島は、地下に潜った」


会社を失っても、ヘリオスがある限り、霧島は動ける。


そして霧島の背後にいる「誰か」は、霧島が潰れても痛くない。駒が一つ落ちただけだ。


「アイリス」


「はい、マスター」


「俺たちがやったのは、霧島の表の顔を剥がしただけだ。本当の敵はまだ見えていない」


「……はい」


「だが、手がかりは増えた。プロメテウスというプロジェクト名。ヘリオスとは別人が書いたボットネット。霧島の知識の偏り。全部、裏にいる奴に繋がるパンくずだ」


航は、モニターに向き直った。


「検索を継続しろ。霧島の行方。プロメテウスの詳細。ヘリオスの通信ログ。そして——ボットネットの作者。拾えるものは全部拾え」


「了解しました」


〈了解〉


〔了解しました〕


3つの声が、静かに重なった。


窓の外で、空が白み始めていた。


10月の三郷。朝焼けの中で、TXの工事現場が広がっている。田んぼを潰して造成された更地に、重機が並んでいた。


まだ何もない。まだ繋がっていない。


だが、いつか——この街にも、線路が通る。


航は、モニターに向き直った。


まだ何も見えていない。だが、パンくずは増えている。


2000年10月。


三郷の夜が明けた。

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