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リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
序章:神童編

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第14話「法務の解像度」

2000年8月28日。月曜日。


三郷。マギ・ハブ。


午前10時。


夏休みの最終週だった。


航は、1ヶ月をほとんどこの部屋で過ごした。本所と三郷を往復し、佐伯の段ボール箱をもう2箱追加で運び込み、神崎と二人で紙の山と格闘した。


OCRが読み取れない手書きの書き込みは、航が一つずつ手入力した。佐伯の字は癖が強い。「甲」と「申」の区別がつかない。30年分の案件記録の中には、付箋に走り書きされた交渉メモや、赤ペンで修正された契約書の下書きも混じっていた。


それを全部、テミスに食わせた。


「報告します」


神崎が、缶コーヒーを片手に言った。


「テミスのファインチューニング、完了した。佐伯さんの案件記録4,847件に加えて、追加分1,200件。合計6,047件のパターンを学習済み」


「精度は」


「登記情報の異常検知テスト、正答率94%。残り6%は佐伯さんの判断が『直感』に依存してるケースで、パターン化が難しい」


航は、頷いた。


6%の直感。


それが、佐伯誠一という人間の「書類に書かれていないものを読む力」だ。


テミスには、まだ届かない。


「よし。テミス、起動」


〔……起動済みです。始めましょう〕


「サイバーリンク・ジャパン。7月に取得した登記簿謄本と特許出願書類を、追加学習後のデータベースで再分析しろ。前回の3点に加えて、佐伯アーカイブとの類似パターンを全件照合」


〔了解しました。推定処理時間、14分〕


航は、椅子の背にもたれた。


窓の外で、蝉が鳴いている。三郷の夏は、まだ終わっていなかった。


---


14分後。


〔分析完了。前回報告の3点に加え、新たに2点の不審事項を検出しました〕


「報告しろ」


〔第四の不審事項。特許庁データベースの公開情報を精査した結果、サイバーリンク・ジャパンが7月12日に出願した特許——『分散型AIエージェントによるネットワーク防御システム』——の技術構造が、1997年に出願された別の特許と高い類似性を示しています〕


「別の特許?」


〔出願人は、株式会社テクノウェーブ。1995年設立、1998年12月に破産手続開始決定。事業内容は暗号化技術およびネットワークセキュリティの研究開発〕


航は、身を起こした。


「テクノウェーブ。聞いたことがない」


〔1998年時点で従業員3名の零細企業です。しかし、出願された特許の技術水準は極めて高い。特に、分散ノード間の暗号化通信プロトコルに関する記述が、サイバーリンク・ジャパンの出願内容と構造的に一致しています〕


「構造的に一致?」


〔特許請求の範囲における独立項の論理構成が、93.7%の類似度を示しています。変数名とモジュール名が変更されていますが、アーキテクチャの骨格は同一です〕


神崎が、口笛を吹いた。


「それ、パクリってことか」


〔断定はできません。ただし、佐伯アーカイブに類似パターンがあります。案件番号1847。1993年、倒産した印刷会社の解散手続を佐伯先生が担当した際、元従業員が同社の特許を別会社で再出願していたことを書類上で発見。弁護士に引き継ぎ、最終的に出願が無効となっています〕


航の頭の中で、歯車が噛み合った。


「テクノウェーブは破産している。特許権はどうなった」


〔破産手続において、知的財産権は破産財団に組み込まれ、管財人が処分します。テクノウェーブの破産管財人は——〕


テミスが、一瞬止まった。


〔——東京地裁の破産記録によると、管財人は渡辺法律事務所の渡辺誠一郎弁護士。破産手続は1999年6月に終結していますが、特許権の処分記録が確認できません〕


「処分記録がない?」


〔はい。通常、特許権が売却された場合は特許庁に移転登録がなされます。しかし、テクノウェーブの特許には移転登録がありません。つまり——〕


「特許権は、まだ宙に浮いている」


〔正確には、破産財団の管理下にあるか、放棄されて消滅しているかのどちらかです。しかし、放棄の記録もありません〕


航は、拳を握った。


「テミス。第五の不審事項は」


〔第五。霧島怜の経歴です。東京大学工学部を1998年に中退し、シリコンバレーに渡航したとされています。テクノウェーブの破産手続開始決定は1998年12月。破産時の届出債権者リストは非公開ですが、テクノウェーブの本社所在地は——〕


テミスの声が、静かに重くなった。


〔——東京都文京区本郷。東京大学の所在地と同一区内です〕


神崎が、立ち上がった。


「おい。それって——」


「偶然かもしれない」


航は、言った。


「でも、テクノウェーブは暗号化技術の会社で、従業員3人の零細。東大工学部の近所にあった。霧島は東大工学部を中退している。時期も重なる」


〈補足します。テクノウェーブの破産時の負債総額は約1,800万円。3人の零細企業としては技術投資に偏重しています。研究開発費が売上を上回っていた可能性が高い〉


メティスが、横から数字を差し込んだ。


〔佐伯アーカイブの判断パターンに照らすと、この種の地理的・時系列的一致は、偶然として処理すべきではありません。案件番号3088。佐伯先生は、類似の状況で『まず足で確認しろ』と記録しています〕


〔ただし、以上はすべて状況証拠の集積です。霧島怜とテクノウェーブの直接的な接点を証明するものではありません〕


航は、立ち上がった。


「テミス。今の分析結果を全部まとめろ。佐伯さんに持っていく」


「私の妹は優秀ですね、マスター。育てた覚えはありませんが」


アイリスの声が、スピーカーの隅から割り込んだ。


〔了解しました。ただし、一点補足があります〕


「なんだ」


〔テクノウェーブの特許が現在も有効であり、かつ正当な権利承継者が存在する場合、サイバーリンク・ジャパンの特許出願に対して異議申立てが可能です。これは——私たちが不正アクセスを行う必要のない、完全に合法的な攻撃手段です〕


航は、テミスの声を聞きながら、佐伯の言葉を思い出していた。


「書類を、端から端まで読め。法律を、一字一句確認しろ。相手が誰であろうと、証拠を積み上げろ」


あの日、佐伯が言った「戦い方」。


テミスは、それを実行しただけだ。


公開情報だけで、ここまで見える。


「アイリス」


「はい、マスター」


「霧島のヘリオスは、この情報に気づいてると思うか」


「不明です。ただし、ヘリオスの設計思想が私やメティスと異なるという分析結果を踏まえると、法務分析の能力は限定的である可能性があります。テミスのような特化型モジュールを、霧島が持っているとは考えにくい」


「つまり、俺たちだけが見えている穴だ」


「はい。佐伯先生の30年がなければ、私たちにも見えなかった穴です」


航は、窓の外を見た。


蝉の声が、少しだけ弱くなっている気がした。


---


午後3時。


本所。佐伯誠一事務所。


航は、3階の事務所にいた。


佐伯は、テミスの分析レポートを読んでいた。


煙草の煙が、天井に向かって昇っている。


5分。10分。


佐伯は、一言も喋らなかった。


A4用紙8枚のレポートを、端から端まで読んでいる。


航は、黙って待った。


やがて、佐伯が顔を上げた。


「……よく読んでる」


「テミスが、です」


「いいや」


佐伯は、煙草を灰皿に押し付けた。


「お前が、だ。機械は、何を調べるかは決められない。特許庁のデータベースを叩けと命令したのは、お前だろう」


航は、黙った。


「テクノウェーブの件。俺も覚えがある」


「覚えが?」


「直接の関わりはない。だが、98年に破産した時、管財人の渡辺から、知財の買い手を探してると相談を受けたことがある」


航の目が、光った。


「渡辺弁護士を、知っているんですか」


「知ってるも何も、30年やってれば本所界隈の弁護士は大体顔見知りだ」


佐伯は、デスクの引き出しを開けた。名刺の束を引っ張り出す。


「渡辺は堅い男だ。管財人としても丁寧な仕事をする。テクノウェーブの特許が宙に浮いてるなら、放棄したんじゃなく、買い手がつかなかっただけだろう」


「つまり、特許権はまだ管財人が持っている」


「確認しないとわからん。だが、可能性は高い」


佐伯は、名刺を一枚抜き出した。


「渡辺に連絡を取る。テクノウェーブの特許の現状を確認する。もし権利が残っていれば——」


佐伯の目が、航を見た。


「——正当な権利者から、霧島の特許出願に異議を申し立てられる」


航は、頷いた。


「佐伯さん。もう一つ、お願いがあります」


「なんだ」


「渡辺弁護士に会わせてください。直接、話がしたい」


佐伯は、航を見た。


「……お前、中学生だろう」


「はい」


「弁護士に会って、何を話す」


「テミスの分析結果を見せます。サイバーリンクの特許が、テクノウェーブの技術を盗用している可能性があること。霧島怜と東大とテクノウェーブの接点。全部」


佐伯は、煙草の箱に手を伸ばしかけて、止めた。


「……渡辺は、面食らうだろうな」


「面食らわせてください」


佐伯は、薄く笑った。


この男が笑うのを、航は初めて見た。


「いいだろう。来週の水曜、ここに来い。渡辺を呼んでおく」


「ありがとうございます」


航は、頭を下げた。


佐伯は、窓の外を見た。


「鳴海くん」


「はい」


「お前のAIは、よくできてる。俺の30年分を、きちんと消化してる」


航は、黙った。


「だが、一つだけ——」


佐伯は、朱肉池に目を落とした。


「あの機械には、まだ足がない。書類を読むことはできても、人の顔を見て話を聞くことはできない。渡辺に会う時は、お前の足で行け。お前の口で話せ」


「……わかりました」


「テミスの分析は、武器だ。だが、武器を振るうのは人間の仕事だ。忘れるな」


航は、事務所を出た。


階段を降りながら、イヤホンの中のアイリスに聞いた。


「聞いてたか」


『はい。全部聞いていました』


「佐伯さんが笑った」


『珍しいことですか』


「俺は初めて見た」


『……マスター。佐伯先生の「足がない」という指摘は、正確です。テミスには、私にも、メティスにも、足はありません』


「わかってる」


『ですが、マスターには足があります。13歳の、健康な足が』


航は、本所の路地を歩いた。


9月が近い。蝉の声は、確実に弱くなっていた。


来週の水曜日。


弁護士・渡辺誠一郎。


テクノウェーブの特許。


霧島怜の、もう一つの嘘。


航は、ポケットの中のF501iを握った。


戦いは、紙の上で始まる。

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