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リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
序章:神童編

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第11話「パケットの戦場」

2000年7月3日。月曜日。


三郷市立皐月中学校。2年2組。


午前10時。2時間目。数学。


鳴海航は、窓際の席で教科書を開いていた。


「——それでは、この連立方程式を加減法で解いてみましょう——」


教師の声が、遠い。


39歳の脳みそで聞く、中学2年の数学。加減法。代入法。すべて、四半世紀前に通り過ぎた道だ。


航は、教科書の端にシャープペンシルを走らせた。


書いているのは、数式ではない。


// Metis v0.2 patch note

// auction_predict.cpp L.247

// 入札タイミングの最適化

// RTT補正値を動的に変更


メティスの修正コード。


昨夜、VOのオークションで発生したラグを解消するためのパッチ。神崎に渡す予定のメモだ。


「鳴海くん」


声がした。


顔を上げる。


教師が、こちらを見ていた。


「問3の答え、わかるかな」


航は、黒板を見た。


連立方程式。2x + y = 7、x - y = 2。


「……x = 3、y = 1」


「正解。ちゃんと聞いてたね」


教師が頷いて、次の問題に移る。


航は、また教科書に目を落とした。


加減法。両辺を足せば、3x = 9。


こんなものは、暗算で解ける。だが、この教室で「暗算で解ける」と言ってはいけない。13歳の鳴海航は、成績中の下。目立たない生徒。それが、航の選んだ「設定」だ。


窓の外で、どこかの家の室外機が低く唸っていた。梅雨の晴れ間。湿気を含んだ空気が、じわりと肌に張り付く。


もうすぐ、夏が来る。


---


午後6時。


マギ・ハブ。


1階のサーバールームは、業務用エアコンをフル稼働させても、30度を超えている。神崎のTシャツは、背中に張り付いていた。


3台のDELL PowerEdgeが吐き出す熱。4台のCRTモニターが放つ輻射熱。そして、神崎亮が淹れ続けるコーヒーの湯気。


航は、キーボードの前に座っていた。


「神崎。パッチ、入れたか」


「当たり前だ。朝イチで反映した」


神崎が、缶コーヒーを投げてよこした。ジョージア。エメラルドマウンテン。冷蔵庫で冷やしたやつだ。


「今夜、いくぞ」


航は、缶を開けた。


「VO。オークション。全鯖同時展開」


神崎の目が、光った。


「全鯖? マジか」


「マジだ。メティス、状況は」


〈Seoul Test Server #1〜#5、全サーバーへの接続準備完了。マギ・アント、総数48体を各サーバーに分散配置済みです〉


メティスの声が、スピーカーから響く。低く、冷たく、無機質な声。


〈本日のターゲットは『ヴァルキリーの涙』『深淵の鉱石』『古代の設計図』の3種。推定市場価格、合計で約30万ゴールド。RMT換算で18万円相当です〉


「18万か」


神崎が、口笛を吹いた。


「1日で18万。しかも元手ゼロ。詐欺だな、これ」


「詐欺じゃない」


航は、モニターを睨んだ。


「経済戦争だ」


---


午後8時。


VOの世界が、動き始めた。


画面の中で、マギ・アントたちが一斉にオークションハウスへ向かう。48体のボットが、5つのサーバーに分散して配置されている。回線帯域の限界を考慮した、最適な分散配置だ。


〈Seoul #1、『ヴァルキリーの涙』3個を確保。平均落札価格、52,000ゴールド〉


〈Seoul #2、『深淵の鉱石』5個を確保。平均落札価格、31,000ゴールド〉


〈Seoul #3、競合入札者を検知。対応中〉


メティスの声が、淡々とデータを読み上げる。


神崎が、別のモニターで数字を追っていた。


「すげえ……。価格が、リアルタイムで動いてる」


「当たり前だ。俺たちが買い占めれば、市場価格は上がる。上がったところで売り抜ける。それがRMTだ」


「わかってるけどよ。目の前で見ると、やっぱすげえな」


〈Seoul #4、本日の目標達成率、73%。予定より12分早いペースです〉


アイリスの声が、割り込んだ。


「マスター。Seoul #3で異常を検知しました」


航の指が、止まった。


「異常?」


「競合入札者の動きが、不自然です。入札タイミングが、メティスの予測を0.3秒ずつ先回りしています」


〈確認しました。統計的に有意な偏差です。偶然ではありません〉


メティスが、データを表示した。


画面に、グラフが現れる。マギ・アントの入札タイミングと、競合入札者のタイミング。


ほぼ完璧に、0.3秒ずつズレている。


「……誰だ、こいつ」


航は、画面を睨んだ。


〈アカウント名『void』。取引履歴、ゼロ。本日初出現です〉


「また新規か」


「マスター」


アイリスの声が、わずかに緊張を帯びていた。


「通信パターンを解析しました。このプレイヤーの応答速度は、平均47ミリ秒です」


「47ミリ秒?」


神崎が、振り向いた。


「待て。ISDNで47msは——」


「不可能ではありません。専用線を使えば」


「専用線? 個人プレイヤーが?」


航は、椅子の背を掴んだ。


47ミリ秒。


一般のISDN回線では、日韓間のRTTは100〜150ミリ秒が限界だ。47ミリ秒を出すには、企業向けの専用回線か、あるいは——


「……ソウルにいるのか」


航は、呟いた。


「韓国国内からの接続なら、47msは出せる」


〈仮説としては妥当です。ただし——〉


メティスが、言葉を切った。


〈——このプレイヤーの入札アルゴリズムは、私の予測モデルを学習しているように見えます〉


「学習?」


〈過去2時間の入札パターンを分析しました。『void』は、マギ・アントの行動を観察し、次の入札タイミングを予測しています。その精度は、時間とともに向上しています〉


航の喉が、詰まった。


学習するアルゴリズム。


2000年に、そんなものは——


「マスター」


アイリスの声が、静かに響いた。


「私と同種の技術が使われている可能性があります」


---


午後10時。


オークションは終了した。


結果は、予定の82%。目標には届かなかった。


「……『void』に、3割近く持っていかれたな」


神崎が、コーヒーを啜った。


「あいつ、何者だ?」


航は、答えなかった。


モニターには、『void』のプロフィールページが表示されていた。


アカウント作成日:2000年7月1日。取引履歴:ゼロ。ギルド:なし。


何もない。


だが、その「何もなさ」が、逆に不気味だった。


「アイリス」


「はい、マスター」


「『void』の通信ログ、全部保存しろ。パケットの中身も、可能な限り解析だ」


「了解しました」


〈マスター。一つ、報告があります〉


メティスの声が、割り込んだ。


〈本日の日経平均終値は、17,156円でした。正史との累積乖離は、412円に拡大しています〉


航は、目を閉じた。


412円。


6月30日の時点では177円だった。わずか3日で、乖離は倍以上に膨らんでいる。


「……俺がここにいることで、歴史が変わり続けている」


「マスター」


アイリスの声が、少しだけ柔らかくなった。


「それは、マスターの責任ではありません。歴史は——」


「違う」


航は、目を開けた。


「俺の責任だ。俺がこの時代に存在すること。俺が動くこと。その全部が、歴史を書き換えている」


窓の外で、気の早いニイニイゼミが一匹、チーと鳴いた。


7月の三郷。夜になっても、湿気は消えない。


「……でも、俺だけじゃないかもしれない」


航は、呟いた。


「『void』。あいつが使ってる技術。2000年のものじゃない」


神崎が、こちらを見た。


「お前、まさか——」


「わからない。まだ、何もわからない」


航は、立ち上がった。


「だが、調べる。誰が、何を、どこで——全部、洗い出す」


〈マスター。『void』の通信パケットから、一つ気になるデータを検出しました〉


メティスの声が、響いた。


〈暗号化されたヘッダに、『reprompt』という文字列が含まれています〉


航の背筋を、冷たいものが這い上がった。


reprompt。


暗号化されたヘッダの向こう側に——誰かがいる。自分を見ている。


それは、航が作ったサイトの名前だ。


「……偶然か?」


〈不明です。ただし、この文字列が偶然一致する確率は、0.0003%以下です〉


アイリスの声が、静かに響いた。


「マスター。この世界には——私たち以外の『未来』が、混じっているかもしれません」


遠くで、ニイニイゼミがまた一声、チーと鳴いた。


夏は、もうすぐそこまで来ている。

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