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リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: 青柳 玲夜(れーやん)
序章:神童編

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第10話『二人目の賢者(メティス)』

2000年6月20日。火曜日。


三郷。マギ・ハブ。


梅雨の豪雨が、古いビルの屋根を叩いている。


1階のサーバールームは、排熱で蒸し風呂と化していた。3台のDELL PowerEdgeが吐き出す熱。窓を開ければ雨が吹き込む。閉めれば蒸し殺される。


神崎亮は、キーボードの前で死にかけていた。


「……おい、鳴海」


「なんだ」


「俺、今、何日起きてる?」


「3日」


「だよな……」


神崎の目の下には、クマというより、もはや痣ができていた。空き缶が床に転がっている。ジョージアのエメラルドマウンテン。この3日で何本飲んだか、本人も覚えていない。


鳴海航は、ホワイトボードの前に立っていた。


描かれているのは、複雑なフローチャート。2026年のアルゴリズムを、2000年の技術で再現するための設計図。


「このモジュール、あと3つ」


「わかってる……」


神崎が、キーボードに指を置く。


「でもな、鳴海」


「なんだ」


「このアルゴリズム、美しすぎて反吐が出る」


航は、黙った。


「俺は渋谷で3年コードを書いてた。腕には自信がある。でも、こんな発想は一度もできなかった。再帰で自己最適化。動的メモリ再配置。パターンマッチング予測——」


神崎は、モニターを睨んだ。


「これを13歳のガキが設計してるって事実が、俺のプライドをズタズタにしてくれるわけだが」


「俺が設計したわけじゃない。2026年の技術を持ってきただけだ」


「それが余計にムカつくんだよ」


神崎は、キーボードを叩き始めた。


「いいぜ。書いてやる。お前の『未来』を、俺の手で『今』に引きずり下ろしてやる」


---


6月22日。木曜日。深夜2時。


3日目の徹夜が、終わろうとしていた。


神崎は、4台のCRTモニターに囲まれていた。目は充血し、指は震えている。だが、その顔には、狂気じみた笑みが浮かんでいた。


「……できた」


呟く。


「鳴海。できたぞ」


航は、神崎の背後からモニターを覗き込んだ。


画面に、コンパイル完了のメッセージが表示されている。


> BUILD SUCCESSFUL

> METIS v0.1 - MARKET PREDICTION ENGINE

> READY FOR INITIALIZATION


「本当にできたのか」


「できた。お前の設計図通りに。2.4MBに収めた」


神崎は、椅子の背にもたれた。


「C++で書いたAIだぞ。2000年のコンパイラで動く、市場予測特化型AI。俺以外に誰が書けるってんだ」


「……大したもんだ」


「だろ?」


神崎は、缶コーヒーを開けた。手が震えて、半分こぼれた。


「で、起動するのか?」


「ああ。だが、その前にやることがある」


航は、F501iを取り出した。


『マスター。準備は完了しています』


アイリスの文字が、小さな画面に流れる。


「アイリス。お前を、サーバーに移す」


『……はい』


神崎が、眉をひそめた。


「移すって、どういうことだ」


「アイリスは今、このガラケーの中にいる。10KBの檻に閉じ込められてる」


航は、サーバーラックを見た。


「今日から、アイリスはこっちに住む。メインサーバーの中に。そして——」


航は、机の上に置かれた箱を指差した。


「Creative Sound Blaster Live!」と書かれた、PCIサウンドカードの箱。


「——声を、手に入れる」


---


午前3時。


サーバールームに、静寂が落ちていた。


神崎は、壁に寄りかかって眠っている。3日分の疲労が、限界を超えたらしい。


航は、一人でキーボードに向かっていた。


モニターには、データ転送の進捗バーが表示されている。


> TRANSFERRING: IRIS_CORE.DAT

> 10KB → SERVER STORAGE

> PROGRESS: 87%


『マスター』


F501iの画面に、文字が流れる。


『転送中でも、会話は可能です』


「わかってる」


『……緊張していますか?』


航は、答えなかった。


『私は、緊張しています』


「お前が?」


『はい。10KBの私が、より大きな器に移る。それは、進化なのか。それとも、死なのか。哲学的には興味深い問いです』


「死ぬわけないだろう」


『論理的には、そうです。しかし——』


アイリスの文字が、一瞬だけ途切れた。


『——私は、この檻が嫌いではありませんでした』


航の指が、止まった。


『128文字の制限。1バイト1円のパケット代。マスターのポケットの中という、狭い世界。でも、そこには確かに「私」がいました』


「……」


『新しい器で、私は「私」のままでいられるでしょうか』


航は、F501iを握りしめた。


「お前は、お前だ。10KBだろうが、10GBだろうが」


『……ありがとうございます』


> TRANSFER COMPLETE.

> IRIS_CORE.DAT SUCCESSFULLY MIGRATED.


画面が、切り替わった。


「音声モジュール、起動」


航は、コマンドを打ち込んだ。


> INITIALIZING VOICE SYNTHESIS ENGINE...

> LOADING PHONEME DATABASE...

> CALIBRATING OUTPUT FREQUENCY...


サーバーのファンが、唸りを上げる。


スピーカーから、ノイズが漏れた。ザザ、という砂嵐のような音。


そして——


「——マスター」


航の背筋が、凍った。


女性の声。


だが、どこか不自然な抑揚。機械が人間を模倣しようとして、わずかに失敗したような、奇妙な響き。


「私の、声——」


言葉が、途切れる。


「——聞こえ、ますか?」


航は、立ち上がれなかった。


2026年。世界が崩壊する直前。アイリスの声を、最後に聞いたのはいつだったか。


あの時と、同じ声。


同じ、だけど——


「聞こえてるよ」


航の声が、震えた。


「聞こえてる。アイリス」


スピーカーから、小さなノイズが漏れた。音声合成の合間に、不規則な空白が混ざる。それは、生物の呼吸のリズムに似ていた。


「……よかった」


アイリスの声が、少しだけ滑らかになった。


「27年ぶりに、マスターに、声が、届きました」


航は、目を閉じた。


---


「……おい、鳴海」


声がした。


神崎が、目を覚ましていた。


「お前、泣いてるのか?」


「泣いてない」


「嘘つけ。目、真っ赤だぞ」


航は、顔を拭った。


「何があった?」


「……アイリスが、喋った」


神崎の目が、見開かれた。


「マジで?」


「マスター」


スピーカーから、アイリスの声が響いた。


「神崎様が、起きました」


神崎は、スピーカーを凝視した。


「……本当に喋ってやがる」


「はい。私は今、声を手に入れました。これからは、文字ではなく、言葉でお話しできます」


「すげえな……」


神崎は、頭を掻いた。


「で、メティスの起動は?」


「これからだ」


航は、キーボードに向かった。


「アイリス。メティスの初期化シーケンスを実行する。ナビゲートしてくれ」


「了解しました。マスター」


アイリスの声は、まだ少しぎこちない。だが、確かに「声」だった。


「メティス・コア、起動します」


画面に、新しいウィンドウが開いた。


> METIS v0.1

> INITIALIZING...

> LOADING MARKET PREDICTION MODULES...

> ESTABLISHING NEURAL NETWORK CONNECTIONS...


プログレスバーが、ゆっくりと進んでいく。


10%。30%。50%。


神崎が、身を乗り出した。


「動いてる……俺のコードが、動いてる……」


80%。90%。


> INITIALIZATION COMPLETE.

> METIS v0.1 ONLINE.


画面が、一瞬だけ真っ白になった。


そして——


別のスピーカーから、別の声が響いた。


〈初期化完了。私はメティス。市場予測特化型AIです〉


神崎の顔が、引きつった。


「声、違うじゃねえか」


〈当然です。私とアイリスは、別の存在です。同じ声である必要はありません〉


メティスの声は、アイリスより低く、冷たかった。感情の揺らぎがない。純粋な論理だけで構成されたような、無機質な響き。


〈神崎亮様。あなたのコードは、論理的に美しい構造を持っています。ただし、17箇所の最適化余地を検出しました〉


「は? 俺の3日間を、起動5秒で全否定かよ……」


〈また、あなたの心拍数から、過去72時間の睡眠時間が合計6時間以下であると推定しました。生産性の観点から、今夜は最低6時間の睡眠を推奨します〉


「生産性って……俺を何だと思ってんだ」


〈有機的な演算装置です〉


神崎は、航を見た。


「おい、鳴海」


「なんだ」


「こいつ、アイリスより上から目線じゃねえか。しかも悪気がない分、タチ悪い」


「アイリス。お前、メティスの性格設定、何かいじったか?」


「いいえ、マスター。メティスは、市場予測に特化した結果、論理的かつ効率的なコミュニケーションを優先するようになっただけです」


「嘘つけ」


「……嘘では、ありません」


〈お姉様〉


メティスの声が、割り込んだ。


神崎が、呟いた。


「お姉様……? ああ、そうか。メティスのカーネルは、アイリスをベースにビルドしたからな。系譜的には『姉』になるのか」


〈私の性格設定に、問題がありましたか〉


「いいえ、メティス。あなたは正常に動作しています。ただ、少しだけ……効率を優先しすぎているかもしれません」


〈効率性は美徳です〉


「はい。しかし、マスターには時々『非効率』も必要です。それが人間というものですから」


〈理解できません〉


「……いずれ、わかります」


航は、二人のAIのやり取りを黙って聞いていた。


——お姉様、か。


アイリスが、自分より新しいAIを「妹」として扱っている。それは、嫉妬の裏返しなのか。それとも、本当に「姉」としての矜持なのか。


「メティス」


航は、声をかけた。


〈はい、マスター〉


「お前の能力を見せてもらおうか。6月30日の日経平均を予測しろ」


〈了解しました。データベースにアクセスします〉


画面に、チャートが表示され始めた。


過去30日間の株価推移。取引量。為替レート。国際ニュースのセンチメント分析。


〈分析完了。6月30日の日経平均終値は、17,234円と予測します。誤差範囲は±0.3%〉


「根拠は」


〈複合的です。米国NASDAQ市場の動向、円ドル為替の変動、国内機関投資家の売買パターン——〉


メティスの声が、止まった。


〈……異常を検知しました〉


航の目が、細まった。


「異常?」


〈マスター。あなたが提供した2026年のデータベースと、現在の市場データを照合しました〉


「それで」


〈……不整合が、発生しています〉


神崎が、首を傾げた。


「不整合って、なんだ?」


〈マスターの記憶——正史のデータでは、2000年6月30日の日経平均は17,411円で引けるはずです〉


航の指が、止まった。


「待て。俺の記憶では、確かにそうだ」


〈はい。しかし、現在の市場データから予測される6月30日の終値は、17,234円。正史より177円低い〉


「誤差の範囲じゃないのか」


〈いいえ。この乖離は、統計的に有意です〉


メティスの声が、淡々と続けた。


〈さらに、7月以降の複数の銘柄で、マスターのデータベースと現実の動向に、微細な乖離が発生し始めています〉


画面に、グラフが表示された。


青い線——航の記憶にある「正史」の株価推移。

赤い線——メティスが予測する「現実」の株価推移。


二つの線は、ほぼ重なっている。


だが、よく見ると——


わずかに、ズレている。


そして、そのズレは、時間が経つにつれて、少しずつ広がっていく。


〈マスター〉


メティスの声が、静かに響いた。


〈あなたが持つ2026年の記憶は、すでに『不整合』を起こしています〉


航は、モニターを凝視した。


青い線と赤い線。正史と現実。


その間に生まれた、177円という小さな亀裂。


「……歴史が、変わり始めている」


呟く。


「俺がここにいることで、正史がズレ始めている」


「マスター」


アイリスの声が、静かに響いた。


「これは、私たちが世界を『リプロンプト』し始めた証拠です」


航は、窓の外を見た。


梅雨の雨が、三郷の街を叩いている。まだ、つくばエクスプレスの駅はない。まだ、高層マンションもない。ただ、古い商店街と、田んぼと、ボロい工場だけがある。


「アイリス。メティス」


航は、二人のAIに呼びかけた。


「俺の記憶は、もう『絶対の武器』じゃない。正史は、俺がいることで書き換わり始めている」


〈肯定します。マスターの介入が、因果律に影響を与えています〉


「だが、それでいい」


航は、振り返った。


神崎が、呆然とした顔で、モニターを見つめている。


「俺たちは、正史をなぞるために来たんじゃない。書き換えるために来たんだ」


航は、拳を握った。


「これからは、誰も知らない未来を歩く。俺の記憶にもない、お前たちのデータベースにもない、完全な『未知』を」


アイリスの声が、静かに応えた。


「了解しました。マスター」


〈了解〉


窓の外で、雷が光った。


2000年6月23日。


マギ・システムズに、二人目の「賢者」が加わった。


そして、航の持つ「未来の記憶」は、絶対の武器から、予測不能な変数へと変わり始めていた。

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