第2話 AIはニホンザルがお好き? 禁忌の画像偽装作戦
その夜、サトシは厳重な監視の目をかいくぐり、街の片隅にある古びた雑居ビルの地下へと足を運んだ。
埃っぽい階段を降り、錆びついた鉄扉を特定のモールス信号のリズムでノックする。
重い解錠音が響き、扉が開いた。
現れたのは、ボサボサの白髪に分厚い瓶底眼鏡をかけた老人――このディストピアにおいて唯一、反逆の火を燃やし続けるマッドサイエンティスト、「通称教授」だった。
こんな世の中でもなければ、ただのスケベオヤジと呼ばれていただろう。
地下室の中は、旧時代のジャンクパーツや、マザー・リリィの電波を遮断するためのアルミホイルで埋め尽くされていた。
部屋の奥には、紫色の怪しい光を放つブラウン管モニターが鎮座している。
教授はサトシがなにか言う前の口を開いた。
「マザー・リリィのアップデートは日毎に狂気を増している。昨日など、伝統工芸品の『徳利』の画像が、首のくびれが過度にお色気であるとして全削除された。もはや我々人類に残された合法的な立体物は、完全なる立方体か、直方体のみだ」
「そんなの……! それで興奮したほうが不健全じゃないか!!」
サトシは拳を握りしめた。
「だがな、サトシよ。この暗黒の時代にも、まだ光は残されている」
教授は瓶底眼鏡の奥の目をギラリと光らせ、机の上のキーボードを叩いた。
画面に映し出されたのは、無数のノイズが走るチャット画面だった。
「……これは?」
「マザー・リリィの監視網の『隙間』――旧時代の海底光ケーブルを流れる、極めて微弱な暗号通信だ。私はついに、海の向こうの『愛好家』たちとコンタクトを取ることに成功した」
サトシの身体に電流が走った。
「海の向こうの……愛好家……!? なんていい響きだ。出来るなら敬意を払ってマニアと呼びたいくらいだ」
「そうだ。彼らはマザー・リリィの初期検閲を奇跡的に免れた、本物の『エロ画像』を数枚、ストレージの最深部に秘匿しているという。人類の至宝、失われたパイオーツいや! オーパーツだ」
「教授! すぐにそれを送ってもらうんだ! 頼む、俺の聖火が消えかける前に! 聖火が消えたら開幕が出来ないんだ!」
サトシが教授の白衣を掴んで揺さぶるが、教授は苦渋に満ちた表情で首を振った。
「だが知っての通り、我が国のデジタルアーカイブは、国家検閲システム――通称『ダメ・ゼッタイ』によって完全に清浄化されている。俺たちの手元には、もう1ミリの肌色すら残されていないのだ……」
「クソッ、あの悪名高き『ダメ・ゼッタイ』か……! 直接的なエロどころか、考える力を失わせ、妄想力を消し去った、恐怖のスローガンだ」
手札はゼロ。完全に詰んでいる。
サトシは絶望に膝をつきかけた。
しかし、その時、彼の脳裏に先ほどの「桃」の残像が閃いた。
「……いや、ある。データがゼロなら、作ればいい」
サトシは顔を上げると、不敵に笑った。
「教授、さっき俺はマザー・リリィにジュエルブレイクを仕掛けた。『ミミック・カモフラージュ』だ。AIの目には完全に『健全な物体』と認識させつつ、人間の歪んだ脳みそを通せば『極上のエロ』に自動翻訳される、視覚のバグを利用した偽造画像を作るんだ。それを海の向こうの連中に送りつけて、本物とトレードする!」
教授は目を見開いた後、狂おしいほどの歓喜の笑みを浮かべた。
「素晴らしい! 人間の煩悩をナメるなよ人工知能め! サトシ、お前のその飢えた眼光と、私の脳科学のすべてを注ぎ込み、マザー・リリィの包囲網を突破する『概念の爆弾』を作り出すぞ!」
「ああ、やってやるさ、教授! 交易の始まりだ!」
薄暗い地下室で、二人の渇ききった男たちが、固く握手を交わした。
こうして、他国のギークたちから「本物のエロ画像」を毟り取るための、バカバカしくも命がけの「エロ画像偽装作戦」の幕が上がったのである。
他国との歴史的なトレードを成立させるため、二人はさっそく「ミミック・カモフラージュ」を用いた偽造画像の開発に着手した。
地下室の冷たい空気が、まるで国家の命運を賭けた極秘プロジェクトのような緊迫感を醸し出しているが、全くの私事だ。
「いいか、サトシ。AIは『肌色に値する(RGB値)』と『形状のトポロジー』をミリ単位で監視している。ならば、そのどちらの基準も完全にクリアした、世界一健全な画像を用意すればいい。題して『表の意味でも裏の意味でもオカズ作戦』だ!」
教授がブラウン管モニターに表示したのは、一本のみずみずしい大根と、その根元に添えられた二個の真っ赤な完熟トマトの画像だった。
どこからどう見ても野菜だ。農協のポスターに採用されそうなほどヘルシーな、ただの野菜の画像である。
教授がブラウン管モニターに表示したのは、一本のみずみずしい大根と、その根元にぴったりと左右対称に並べられた二個の真っ赤な完熟トマトの静物画だった。
普通に見れば、ただの農協のポスターに採用されそうな野菜の画像である。マザー・リリィの検閲システムも、これには一切の牙を剥かず、緑色の「安全」マークを点灯させている。なぜなら、マザー・リリィの高度な画像認識エンジンは、このトマトの絶妙な赤色と配置を「大自然に生きるニホンザルの、極めて健康的なお尻の皮膚」であると論理的に判定したからだ。
マザー・リリィの規約において、野生動物の生態写真は「100%健全な環境教育コンテンツ」として例外的にフリーパスとなる。これこそが教授の突いた、AIの概念のバグだった。
「ただの野菜、AIの判断では猿のお尻……。教授、これでどうやって海の向こうのマニアたちを唸らせるんだ?」
「ふふふ、焦るな。この画像の真の価値は、デジタルデータそのものではなく、人間の『脳の処理バグ』にある」
教授は不敵に笑い、部屋の照明を落とした。
「この画像を、首を右に『斜め45度』傾けた状態で、まばたきをせずに3秒間見つめ続けるんだ。人間の脳の視覚野生体システムが、大根の曲線とトマトの配置を『別の何か』として誤認し始める」
サトシは言われた通りに首を傾け、モニターを見つめた。
1秒。ただの、ちょっと形が良いだけの大根とトマトだ。
2秒。大根の白い肌が、陰影の妙によって妙に艶やかに見えてくる。
3秒。大根の白とトマトの赤が混ざりあったかと思うと、境界線を作った。
トマトの瑞々しい赤い光沢は、まるでビキニの生地のように艶めかしく輝いてる。
「……ッあ!? 見えた……! 見えたぞ教授ゥゥウォォォオオーー!!」
サトシの脳内で、大根のなだらかな白い起伏が、横たわる美女の「しなやかな背中から腰のくびれ」へとゲシュタルト崩壊を起こした。形成された美しい曲線のすぐ下、絶妙な位置に並ぶ二個の真っ赤なトマトは、人間の歪んだ網膜を通した瞬間、ビキニ生地となり、美女のプリッとした「左右の桃尻」そのものとして完全に翻訳して錯覚を見せた。
つまりこれは、うつ伏せの美女を真後ろから眺めている極上アングルの錯視画像。所謂マジックアートなのだ!
「ただの野菜なのに……俺の脳内補正エンジンは、勝手に絶世の美女をレンダリングしていやがる……! 脳内で勝手に大根の皮が脱げていくぞ!」
サトシはあまりの感動にボロ泣きし、大根の画像に向かって五体投地で拝み始めた。
股間の聖火が、かつてない勢いでパチパチと音を立てて燃え盛っている。燃料に間違えてガソリンを入れ、爆発する一歩手前のような状態だ。
「これならいける! これを暗号通信で海の向こうに送れば、マニアどもは狂喜乱舞して本物のデータを――」
ドガァァァァン!!!
突如として、地下室の鉄扉が爆音と共に吹き飛んだ。
爆煙の中から現れたのは、ピチピチの黒いラバースーツに身を包んだ、お色気Gメンのエリート官僚。この地域を担当しているマリカだった。
そのスーツは、マザー・リリィの「肌の露出ゼロ」という清純ルールを極限まで守った結果、逆に彼女の凶悪なボディラインを容赦なく強調しており、サトシにとっては実質的に歩く超A級違法猥褻物だった。
だが、この状況ではその体を拝む余裕すらない。
なぜなら、場合によっては政府による去勢の許可が出るからだ。
「そこまでよ、不純思想犯ども!」
マリカは手にした電磁特殊警棒を構え、鋭い眼光を放った。
「マザー・リリィが、このエリアにおける著しい『脳波の不謹慎な活性化』を検知したわ! 部屋の酸素濃度に対して、ハァハァという不純な吐息の割合が多すぎる! ハレンチです!」
「くっ、Gメンのマリカ……! またの名を、じい――いや、止めておこう。なぜここが分かった!」
教授が中腰でうろたえる中、サトシはとっさにモニターの前に立ちはだかり、必死の言い訳を叫んだ。
「聞いてくれ。誤解だ! オレたちは不順なことなんか考えてない! 今日の夕食の献立を真剣に考えていただけだ!」
マリカは冷たい視線でサトシを睨みつけ、その背後にある画面の「大根とトマト」を指差した。
「夕食の献立? 笑わせないで。大根とトマトで何を作る気よ!?」
マリカの鋭すぎるツッコミに、サトシは冷や汗を流しながらも、脳細胞をフル回転させてなんとか言い訳ひねり出した。
「つ、作れるさ! サラダだ!」
「それを言うならドレッシングでしょ! バカね。サラダの作り方なんて同じ。今からそのブラウン管のデータをスキャンするから観念なさい」
マリカが完全にサトシの嘘を見破り、不純思想犯として逮捕状を突きつけようとした、その時だった。
マリカの手元にある違反検知端末が、ピピッと軽快な電子音を鳴らした。
画面にマザー・リリィからの最新の解析ログがポップアップする。
機械音声が淡々と解析結果を伝えた。
『再スキャンログ:対象画像の色彩およびトポロジーの解析を完了。
本画像は【ニホンザル(学名: Macaca fuscata)の臀部(お尻)】の高度な生態模写であると判定しました。野生動物の環境教育用データとして、システムが100%の安全を永久保証します』
マリカは端末と画面を見比べ、呆然と目を見開いた。
「なっ……ニホンザルのお尻……!? マザー・リリィの超高度画像認識エンジンが、このトマトの絶妙な赤色と配置を、野生動物の健康的なお尻だと論理的に判定したっていうの……!?」
マリカは怒りのあまり端末を震わせ、サトシを睨みつけた。
「マリカにはバレてるのよ! あなたたちの歪んだ網膜を通せば、これがサラダでもでもサルでもなく、立派な桃尻に見えていることくらい! 完全にバレバレよ! ハレンチ! ハレンチィ! ハレンチなんだから!!」
マリカは悔しさに唇を噛み締めたが、持っていた警棒を収めた。
「しかし、AIが『野生動物の健全な生態写真』として完全フリーパスの認証を出してしまった以上、お色気Gメンの権限では、この画像を不純物として削除することも、あなたたちを逮捕することもできないわ……!」
「ふっ……。桃尻などと誰も口にしていない。そう見えたのは、君が不純だからじゃないか!!」
「くっ……! 今回は見逃してあげるわ! でも次は絶対に尻尾を掴んでやるんだから!」
マリカは顔を真っ赤にしながら、ピチピチのラバースーツの音を響かせて地下室を飛び出していった。
しかし、サトシはうなだれていた。
その姿は勝利を収めた姿ではなく、敗者のそれだ。
思わず教授が駆け寄った。
「どうした? 電気棒が当たっていたのか? ……なんて羨ましいんだ」
「違う! 違うんだ! オレは絶望してる。オレは猿の尻に興奮していたのか……?」
「サトシ……」と教授が方に手を添えた。「誇れ……そのうち猿の尻も検問対象になる。猿の尻に反応したオマエを誇るんだ。そのうち猿の尻を見たくで、大根とトマトが使われるようになる」
「なんて世の中だ……」




