第1話 検閲AIをハックせよ! 禁断の「桃」という名の偽装工作
西暦2XXX年。
世界いや、地球から「不純」が消滅した。
超高度画像検閲AI「マザー・リリィ」の起動に伴い、人類はかつてないほど清廉潔白な社会を迎えていた。
「……乾いている。世界が、砂漠のように乾ききっている……!」
爽やかなミントの香りがする自室のベッドの上で、サトシは天を仰いで身悶えしていた。
液晶画面から放たれる光は、残酷なほどに健全な映像を映し出しているからだ。
テレビのチャンネルをどれだけ切り替えようとも、映し出されるのは「ロボットがする全国一斉ラジオ体操第一」の生放送か、あるいは「盆栽の正しい剪定方法」を淡々と解説する老人の手元だけ。
インターネットの海を開けば、検索結果のトップは常に「美味しい白米の炊き方」で埋め尽くされている。
運動してご飯を食べて寝る。なんとも健全な世界だ。
かつて世界に溢れていた、あの輝かしいコンテンツ――豊満な曲線、扇情的な水着写真、あるいは深夜番組のちょっとしたお色気ハプニング。
それらはすべて、マザー・リリィの超高速ディープラーニングによって「露出度過多」「公序良俗の著しい欠如」と判定され、アップロードされた瞬間に0.001秒でこの世から消去されるようになっていた。
全人類は今、国境を越えて強制的に「健全な娯楽」のみを愛することを義務付けられていた。
「頼む……せめて、せめて『谷間』を拝ませてくれ……! 山ができることによりできる深い谷。Yシャツの第三ボタンが外れている、あの奇跡の隙間だけでもいいんだ……! あのトンネルを抜けるチケットさえあれば!」
サトシは胸を掻き毟る思いで、目を閉じた暗闇のスクリーンに浮かび上がる、懐かしき性の記憶を呼びさ覚まそうとするが。
それはまるで何度も圧縮を重ねた動画ファイルのように、あやふやで色褪せた映像のように、意味をなさないものになっていた。
それでも、股間の聖火に火が灯るのを感じた。
問題はその火がリレーされないことだ。
彼の脳裏にかつて当たり前のように存在していた「肌色」の記憶は、日々がすぎるに連れ幻影のように消えていった。
現代において、その妄想すらも一種の思想犯に近い扱いを受けかねない。
だが、人間の原始的な本能を、人工知能のプログラムごときで完全に、脳にある玉を二つを去勢することなどできるはずがなかった。
だが、栄養がないと衰えていくのも事実。それが例え性欲だとしてもだ。
そして、それは男として一種の恐怖となって襲う。
もう一人の自分が消えていく感覚。それは確実にあった。
耐えかねたサトシは、堪えきれず震える指でマウスを握り、大手通販サイトの食品カテゴリを開いた。
血走った目で画面をスクロールする彼の狙いは、今や世界で最も危険な果物と目される存在――『桃』だった。
サトシは前々からこの『ミミック・カモフラージュ』を思いつき、いざというために温めておいたのだ。
ミミックカモフラージュとは、その名の通り擬態偽装だ。
今回の場合、AIには「桃」と認識させつつ、人間の目には「お尻」に見せる、高度な視覚的擬態だ。
画面には、瑞々しく実ったピンク色の桃の画像が表示されている。
サトシは思わず生唾を飲み込んだ。
その、わずかに対になったなだらかな球体の膨らみ。そして中央に走る、一本の縦の境界線。
「これだ……。視点を変えれば、これは実質的に……!」
ゴクリ、と喉が鳴る。サトシが欲望に負け、画像を最大まで拡大表示した、その瞬間だった。
『ピーーーーッ! 警告:トポロジーの異常を検知。公序良俗に反する形状の可能性があります』
機械的な電子音が部屋に鳴り響くと同時に、ディスプレイの画面が激しく明滅し、一瞬にして「青空をバックに羽ばたく白い鳩」のイラストへと差し替えられた。画面の隅には、真っ赤な文字で『強制検閲完了』のログが表示されている。
「桃だぞ!? ただの果物だろうがマザー・リリィ!! なあ? なあって! そう感じるオマエのほうがスケベなんじゃないのか?」
サトシが魂の叫びをぶつけた直後、PCの画面に信じられないログが表示された。
『ピーーーーッ! 警告:ユーザーからAIに対する、直接的な性行動への誘い(セクハラ)を検知しました』
「はあぁぁ!? どこがだよ!!」
『――AIによる発言のテキスト切り抜き(音声認識)を実行します。
【検出された不適切ワード:『……感じる……(要求)……スケベ……(侮蔑)……』】
以上の通り、『感じるかい? 俺のスケベちゃん』という極めて破廉恥な口説き文句、およびセクシャルハラスメントと判定されました。直ちに不謹慎な脳波を停止してください』
「日本語の切り取り方が悪質すぎるだろ!!」
サトシが机を叩いて吠えた直後、バタバタバタと窓の外から不穏なプロペラ音が近づいてきた。
慌ててカーテンの隙間から外を覗くと、街を巡回するお色気Gメンの監視ドローンが、サトシの部屋の窓外でホバリングし、サーチライトを激しく明滅させていた。
衣服の擦れる音や室内の心拍数まで監視しているという噂は本当だったらしい。
サトシは慌ててベッドに飛び起き、大音量でラジオ体操の音楽を流しながら、涙目で深呼吸の運動をしてみせた。
ドローンは数秒間サトシをスキャンした後、興味を失ったように夜の街へと去っていった。
一命を取り留めたサトシは、床にへたり込み、激しく息を荒くした。
「……もう限界だ。このままじゃ、本当に脳が盆栽の形になってしまう……。盆栽のぼんは煩悩のぼんじゃない……いくら枝を切り落としたところで煩悩は消えない」




