78 芽吹ノ章 伍
「諏訪の霞家が近頃、御霊石と鉄と樫の木を買い集めたと聞いた」
宗近殿は事も無げに言った。
おれと兄上は顔を見合わせる。
「ええと・・・それはどういう?」
「おそらく・・・いや、間違いなく戦御体を作っているのだろう」
兄上が聞くと、宗近殿は表情を変えずに言う。
「あの・・・戦御体とは、その・・・鉄と木と・・・なんとか石?を使うものですか?」
「知らぬのも無理はないだろうな。おれも伊豆へ来てから一度も見ていない。だが、この先戦をするなら御体は必要だ。一体の戦御体は千人の兵に値する」
・・・そんなすごいものが?
にわかには信じられないし、そもそも鉄と木と石に人が乗るということに違和感しかない。
「おれが書状を認める。それをもって諏訪に行け、義陽」
宗近殿はそう言うと、自分の前に墨と筆を並べた。
・・・え?最後、何と?
「え?・・・今、何とおっしゃいましたか?」
「諏訪に行け、義陽。と言ったのだ」
よしはる・・・たぶん、おれの名だ。いや、おれの名で間違いない。
「お、おれが行くのですか?ひとりで?」
「そうだ。誰か供が必要か?」
「いえ、そうではなくて・・・兄上でも兼信殿でもなくて・・・」
「お前だ、義陽」
宗近殿の顔に冗談はなかった。
「ああ・・・ひとりで諏訪まで・・・・」
「ああ・・・義陽がお使いに・・・・」
・・・・・・。
「おれに出来るだろうか・・・・」
「わたしはひとりぼっち・・・・」
・・・・・・。
「あの、姉上」
「なあに、義陽?」
「おれの気持ちを勝手に上塗りしないでいただきたい」
いつものように、おれにもたれかかってくる姉上。
「だって、わたしの遊び相手が遠くにお使いに行ってしまうのよ?寂しくなるじゃない?」
「おれは姉上の遊び相手じゃないです」
「でも、心配だわ」
「・・・心配してくれるのですか?」
「当たり前でしょ!あなたの心配してあげられるのは、この世でわたしだけなのよ!?」
・・・うれしくない事実だ。
「それはどうも」
「わたしも一緒に行ってあげようか?」
「ご辞退申し上げます」
「本気で言ってないわよ」
「わかっております」
翌朝、まだ日が明けきっていないうちにおれは屋敷を出た。
姉上だけが見送りに起きてくれた。
「はい。途中でちゃんと食べるのよ」
干飯を木の皮で包んだものを朝早くから用意してくれたらしい。
「ありがとう。いい嫁になりそうだね」
「皮肉はいいから、ちゃんと日が暮れる前には帰ってきてね。寂しいから」
「無理を言わないで・・・」
いつも通りのやり取りの後、おれは馬に跨って進み出した。
姉上が遠くなって、見えなくなるまで手を振ってくれる。
皆で土を運んだ畑の横を通る。
しっかり面倒を見ているせいか、運んだ土の成果なのか、瓜がたわわに実っている。
ひとつ持って行こうかな・・・と考えていると、薄暗い中、人影が見えた。
このような時間に畑に人が・・・?
畑泥棒か!?
いや・・・小袖で頬被りをしているが、その姿は小柄。そして気品あふれ、瓜をとる指先まで美しい。
「・・・あの・・・・・」
「ひぃっ!?」
なぜ、声をかけたかおれ自身もわからない。
妙珠殿は身をこわばらせ、取りかけていた瓜を落とす。
「あ、あの・・・すみません。驚かすつもりじゃなかった!」
「・・・・・」
しばらく怯える目でおれを見た後、踵を返して逃げ出す。
「あ、待って!逃げないで・・・ください!」
妙珠殿は少し走ったところで立ち止まり、振り向いてこちらを見た。
そして、ほぼ聞き取れない声で「すみません」と言った。
瓜の入った籠を両腕で胸に抱えながら、ゆっくりと戻ってくる。
「すみません・・・。今から旅に出るので、瓜を一つ持って行こうかと思い・・・」
「・・・・はい、どうぞ」
瓜を一つ、差し出す。
「あ・・・・、ありがとう。こんな早くに、ひとりで畑に?」
「・・・・はい」
「・・・・・・」
「・・・・・・・」
・・・話が続かない。このまま、立ち去るべきか!?
などと考えていると、妙珠殿が口を開いた。
「あの・・・・・」
「はい?」
「わたし、畑の仕事、できなくて。いつも母様に叱られて・・・それで、皆が起きてくる前に・・・・・」
「あ、ああ。そうでしたか。でも、気にすることないですよ。母上は口は悪いですが、悪いところは口だけじゃないので・・・いやそうではなくて、悪い人ではないですから」
「・・・・ふふっ、はい」
・・・やっと笑ってくれた。初めて見る義姉の笑顔。あまりに眩しいのは、朝日のせいだけではないだろう。
「わたし、本当に駄目で・・・。何もうまくできないので、迷惑ばかりかけて・・・。それで、少しでも役に立ちたくて・・・・」
一瞬の笑顔の後、また下を向いてしまった。
「殿にも迷惑を・・・夜のお務めもうまくできなくて・・・」
あ、それはあまり言わない方が・・・。
「わたしなどがここにいてよろしいのかと、苦しくてならなくて・・・・」
俯いているからわからないが、目を潤ませているように感じる。
「いいですか、妙珠殿」
「はい」
顔をおれに向ける。やはり目が赤い。
「瓜というのは青い。だから熟すのを待ちますが、待っていると誰かが持っていくのです」
「・・・泥棒ですか?」
「いえ、ええと・・・最後まで聞いてください。それで、畑に瓜はなくなって、瓜というのはそういうものだという常識が残るのです」
「?」
心底困った顔をする。確かに意味がわからない。宗近殿、やはり意味がわからないですよ?
「ええと・・・・・ここまでのことは忘れてください。・・・そうでなくて、先ほど、一瞬ですが、おれに笑ってくれましたよね。おれは妙珠殿の先ほどの笑顔で、とても嫌なこの旅が、やっていけそうな気になりました。帰ってくるのが楽しみになりました。その・・・妙珠殿は天女様なのですから」
そう言うと、はっとした顔でおれを見る。
「覚えていていただけましたか?」
「・・・ごめんなさい。あの時は驚いてしまって・・・・」
「いや、だいじょうぶですよ」
おれも笑顔を作る。あまりやったことのない笑顔だから、かなりぎこちなかっただろう。
「あの時は、本物の天女様と思いました。あまりに美しかったので」
「そ、そんな!」
ぶんぶんと首を横に振る。
「それに、毎日こんな朝早くから妙珠殿が水をやり世話をしたから、この瓜はこんなに立派になったのでしょう?妙珠殿も然りです。毎日頑張っているから、きっと立派になれます。・・・おれは汐永で一番頼りなくて立場も弱いですが、おれでよければいつでも力になりますよ」
「・・・ありがとうございます。少し元気出ました」
そう言って頭を下げる。
「あ、頭をあげてください。おれなんかに・・・」
”少し”でも、元気が出たならいいか。
顔をあげた妙珠殿は、とてもいい笑顔だったから。
そのあとおれは、馬に前後逆に跨ったり、鞍から滑り落ちたりしたあと、再度出発した。
姉上の飯と、妙珠殿の瓜、どちらを先に食べようかと悩みながら。




