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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
第三章 芽吹

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76 芽吹ノ章 三 

その日、おれと兄上は北の霞兼信(かすみかねのぶ)のところへ向けて馬を歩かせていた。


「兄上だけでもよいのではないですか?なぜおれまで?」

表向きは宗近殿の使いということになっている。実質は兄上が自分で言い出したことだ。


「おれが霞兼信と交渉してくる!」


といきり立っていた。

ならば、おれが行くまでもないのに・・・。


「何を言う。霞の総大将の使いがおれ一人では格好がつかん」

「ならば宗近殿本人が出向けば・・・」

「総大将が自ら赴けば、こちらが下に見られてしまうではないか」

・・・そういうものですか。


だからと言って、おれは人と向き合うのが苦手だ。

人前で堂々とできる兄上がうらやましい。人との間を作らない人懐っこさは姉上がすべて持って行ったらしい。おれには何もない。

なのでおれは汐永の屋敷から外へ出たことがあまりない。

海へ貝を取りに行ったり、山へ兎狩に行ったりはする。が、それ以外はあまり外へ出ない。


「いいか、もう一度言っておく。霞兼信は大島へ流されて土地役人の藤内(とうない)家を追い出してここまで成り上がった(あきない)に長けた男だ。油断すればあっという間に足を掬われる。注意しろよ」

「・・・だから、おれなど役に立たないというか・・・いない方が良いと思うのだが・・・」

「うじうじ言うな。もうすぐ兼信殿の屋敷だ」




「我が名は汐永(しおなが)太郎典崇(のりたか)。こちらは我が愚弟(ぐてい)義陽(よしはる)と申します」

兼信の前で兄上は頭を下げた。おれもそれにならう。

だが、愚弟は余分じゃないか?

「おう、よう参られましたな!汐永殿!ようやくお顔が拝見できて光栄じゃ!」

霞兼信は口髭を蓄え、その髭にも髪にも白いものが混じっていた。我が父上ほど年は取っていないと思うが、日ごろ精神をすり減らしているのだろう。顔にも年輪が刻まれていた。

「此度はお招きに預かり光栄至極。わが主、霞宗近の代役として参りました」

そう言って懐から書状を出し、兼信に渡す。

兼信はそれを受け取ると広げ、目で追ってにやりと笑った。

「霞の総大将は、思うたとおりの強者(つわもの)じゃな!」

そう言って声高らかに笑いだした。

兄上とおれは顔を見合わせる。

もちろん、書状の内容は知らない。何が書いてあったのか気になったが、何かを言う間もなく宴の支度がされていき、膳の上には酒や豪華な魚が並べられた。

「兄上、どういうことか?」

「・・・おれにもわからん。宗近殿、何を書状に書いたのか・・・」

そうこうするうちに酒を飲まされ、いい気持になったところへ家臣たちが面白おかしく舞を踊り、皆が大声で笑った。宴は夜半まで続き、酔ったおれはそのまま眠ってしまった。



・・・うっすら目を開ける。まだ辺りは暗い。

良くわからないが、誰かが布団をかけてくれているようだ。

「まったく、殿方はこのようなところで寝てしまわれるのですから・・・」

鈴の鳴るような女の声。おれは酔っていたせいだろう。姉上の声と思った。

「・・・天女のようなお声ですね」

酔っていたから、柄にもなく軽口が出た。軽くからかったつもりだ。姉上なら「当然でしょ」と、笑いながら返してくるはずだ。

だが、返事はない。

おかしいと思って顔を見上げる。

そこには・・・・本物の天女がいた。

月が照らす青白い光を背に、白い肌と切れ長の目。幼さは残るものの、整った鼻筋に、紅をさしたような赤い唇。長い黒髪。すべてが美しい。

「・・・天女様・・・・・!?」

思わずつぶやいた。勝手に口が動いた。

「いやぁっ!!」

次の瞬間そう叫ぶと、天女様はおれの頭を畳に叩きつけた。

べしっ!?

おれはそのまま頭を強く打って、再び意識を失った。




明くる朝、兄上とおれは昨夜の宴の礼を申し出た。

「構わぬこと。我が主となるお方からの命であるからして」

兼信殿は気さくに答えた。

そう言って、昨日兄上が渡した書状を開いて見せる。

そこには、「この二人に旨いものを喰わせろ」と、それだけ書かれていた。

兄上とおれは顔を見合わせる。何度目だろう。驚かされることばかりだ。

「それでな、典崇殿。申し出がある」

「はい。何なりと」

「わが家と汐永家の絆の証として、我が娘と婚儀をしてはもらえぬか?」

「・・・はい?」

さすがの兄上も突然すぎて面食らったようだ。

「十数年ほど前に娘を授かってな。その娘の母親はすぐに肥立ちが悪く亡くなってしまった。わしがひとりで育ててきたのじゃが、もう嫁に出してもよい頃合いと思うて。そんな時にお主らと和議の話が出たのでな」

しばし待つと、廊下を歩いてくる小さな足音が聞こえた。

「おう、来たな。これがわしの娘、妙珠(みょうじゅ)という」

妙珠という娘は、だまって頭を下げた。



おれの記憶、酔っていたのではっきりしないが、もし確かであるなら・・・あの時の天女だ。

長く艶やかな黒髪、白い肌、切れ長の目・・・。

夢ではないようだ。



「この通り、あまりにも大人しくてなぁ。いつ嫁に出せるかとても悩んでおった。もしも汐永殿の気に入ってもらえるなら、もらってやってほしい」

「あ・・・」

「是非とも、この話進めさせていただきます!」

おれが何か言う前に、兄上が大声で返事してしまった。

「おう、頼もしい!では、よろしく頼むぞ!」

兼信殿も嬉しそうな顔をした。

当の妙珠は俯いたまま、表情はわからなかった。




「で、我らも霜田(しもだ)から出て室山(むろやま)へ移れというのか?」

父上は明らかに不満そうだ。

汐永の屋敷がある霜田へ戻ってきた。父上と宗近殿を交えて、いきさつを話した。

「いずれにしても、この霜田は今後身動きがとりづらい。室山の霞が屋敷を用意してくれるそうなので」

兄上が言う。

「その代わり、娘を嫁にしろ、と」

宗近殿が言うと、兄上が頷く。

「よいではないか、絃眉(げんび)殿。この先のことを考えれば、ここはあまりにも手狭だ。典崇殿の身も固まり、一石二鳥ではないか?」

宗近がそう言っても、父上はまだ不満そうに俯く。

「でも・・・この屋敷を出るとは・・・」

「では、父上だけここへ残られてはいかがです?」

試に言ってみた。

「そうじゃな・・・そうするか・・・」

・・・案外、本気のようだ。

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