75 芽吹ノ章 二
「では、皆そろったところでおれの話を聞いてもらう!」
兄上が立ち上がる。
「これは、宗近殿とずっと話し合ってきたことだ。我らは霞家再興のために兵を挙げる!」
「兵を挙げるって・・・・」
父上が不安気な顔で言う。
自慢ではないが、この汐永家に兵などほとんどいない。一握りの兵と呼べる者たちも皆、刀ではなく鍬や鋤を振るう毎日を送っている老兵ばかりだ。
「もちろん、このままでは我らに勝ち目はない。なので北の霞家と同盟を結ぶ。そしてまずは畑松を討つ!」
・・・・・・。
一同が口を噤む。
「言うほど簡単ではないぞ!?そもそも、北の霞が我らのような小さな武家についてくれるのか?」
父上はやはり不安そうだ。
「もちろん!なので、われら、汐永家の当主に宗近殿を立てる必要があるのです!そうすれば、北の霞兼信はわれらの傘下に入ります!」
「いやです!」
姉上が突然口を挟む。
「まだ途中だ!何も言っておらん!」
「いやと言ったら嫌です!」
そっぽを向く姉上。
「・・・たしかに、この先汐永家が生き残っていくには、北の霞家を仲間につけるのは悪くない・・・」
「お母様まで!」
真剣な顔で姉上を見る母上。
「しかしな、弓綱、こうも藤月が嫌がっておると・・・」
ぎろっ。
「しゅん・・・」
母上の視線だけで委縮する父上。情けない。
「いいですか、藤月」
姉上の肩を掴んで、顔を突き合わせる。
「もし、宗近殿が霞家の後をとって都へ上り、緋家を討伐して公家の仲間入りしたら、どうなるかわかりますか?」
「・・・・・・わかりません」
「都の甘味が食べ放題!綺麗な着物も着放題!毎日歌を詠んで、舞を見ながら、公卿のいい男をあさり放題!浮名を流し放題!」
「・・・・あ、あの・・・・最後のやつ、それ、わしの前で言うかのぅ、弓綱・・・」
恐る恐る言う父上。
ぎろっ。
「しゅん・・・」
本当に情けない。
「それはお母様の願望でしょ!わたしを餌にしないで!」
そう言って姉上はおれの腕に抱き着いてくる。
「ちょっと、助けなさい、義陽!」
「・・・そう言うけど、現実的に考えると・・・いてっ」
「こらっ!」
言いかけたおれの頬をつねる姉上。
「皆、やはり簡単にはいかぬと思う」
満を持したように宗近殿が口を開いた。
「だが、おれと一緒に兵を挙げれば、官軍となるのだ。おれには朝廷の後ろ盾がある」
そう言って、懐から一通の書状を取り出した。
その書状には”勅旨”と書かれている。
「・・・それは・・・」
父上が声を漏らす。
「これこそが時の帝、桐高公より宗近殿への勅旨・・・・帝から、緋家討伐の命が下ったのだ!」
我が事のように胸を張る兄上。
「帝から!?」
全員が同時に声を上げる。
「そうだ。この勅旨を受け取った限り、おれは兵を挙げねばならん。これを無視すれば、帝を無視したのと同じ。だが、ここで兵を挙げれば、北の霞以外にも、沢山の霞の縁者、緋家に不満を持つ者たちがおれの元に集まる。その折には、汐永家は霞家の後見としてその位を約定する!」
そう言って宗近は姉上の肩に手を置く。
「形だけでかまわぬ。床も別でよい。おれと縁を結べ。悪いようにはせん」
姉上がおれの腕に抱き着いていたから、姉上の体がビクッとしたのを感じてしまった。
その時の姉上の横顔・・・初めて見る姉上の”女の顔”という気がした。
やはりこのとき、姉上は気持ちを決めたようだった。
後日、取り急ぎ形だけの婚儀が行われた。
単衣に身を包み、白粉を塗って化粧をした姉上はとても綺麗だった。これが形だけの姿というのはとてももったいないと、おれは感じていた。
「この前からずっと、何を認めているの?」
姉上が隣に座り込んで、手元を覗き込んできた。
嫁に行っても相変わらず、人との隙間を作らない方だ。
「姉上、近すぎて筆が使いにくいですが」
「別にいいでしょう?幼い頃はよくこうしていたのに」
「・・・もう、おれも姉上も幼くありません」
「むぅ、素っ気ないのね・・・」
頬を膨らませる姉上。こういう仕草は幼い頃から変わっていない。まだ子供だ。
「で、で、で!何を書いているの?」
「日記です。義兄がこの家にいらしてからのこと、忘れぬように。のちの世に伝えおいた方がよいかと思いまして」
「ふぅん・・・」
聞いておきながら、姉上の返事はさも興味がないと言った風だ。
なぜ、自分でもこの巻を書き始めたかはわからない。だが、義兄を見ていると、この世の何かを成し遂げる方のような気がしてならない。ならば、その功績を残しておくことが、おれの責務のような気がしていた。
「姉上こそ、おれの邪魔ばかりしていないで、やるべきことがあるのでは?まがりなりにも霞家の跡取りの嫁となったのですよ」
「庭いじりばかり・・・。もう飽いたもの!」
おれの方に体を預けてくる。
背中と肩に、姉上の体のぬくもりと、柔らかな重みを感じる。それはとても心地よい。
そして、ほんのりと姉上の優しい香りがする。この香りは子供のころから変わらない。どこか懐かしい。どこか寂しげで、古い蔵の巻物を開いたときのような、不思議な香りだ。
「・・・もう汐永のおなごではないのですよ。こんなところを見つかったら、兄上や義兄におれがまた怒られるではないですか」
「そんなこと言っても、わたしには霞家とかそんなこと、どうでもいい」
「だからといって、おれの邪魔をするのはお控え願いたいものです」
そういって、おれは姉上の体を軽く撥ね退ける。筆から墨が紙の上にぽとりと落ちる。
「・・・ふん!義陽はほんとうに冷たいのね!べぇ!!」
姉上はおれに向かって舌を出すと、やっと出て行った。
墨の落ちた紙を破り捨て、もう一度書き直す。
どこまで書いたのだったか・・・。
庭の向こう、外の低い壁越しに伊豆の海を眺める。
良い天気だ。日の光に海が煌めく。
物語の始まり・・・書き出しというのは、こんなありふれたものでよいのだろうか?




