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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
第二章 純波

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70 純波ノ章 二十六

遠くに松明の小さな火が点々と燃えている。その火があるところすべてに敵がいる。

敵の数は三万ほど。こちらは六万五千。

戦が兵の数で決まるならこちらの圧勝だ。

だけど、兵の数ではない。御体の使い方で決まる。実継はそう言っていた。

墨羽は遠くをぼんやり見つめながら、夜を過ごしていた。


「眠れませんか?」

突然声をかけられて、心臓が跳ね上がった。実継だ。

「はい。怖いんです」

実継はその言葉に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに真顔に戻る。

「散野原山の後、随分と辛い思いをされたようですね」

静かに言う。

「自分が誰なのか、何のためにここまでして生きているんだろう。そんなことばかり考えてしまって」

「・・・・・」

実継は黙り込んだ。まだ幼さの残る少女に、そんな重荷を背負わせている現実が、彼の中の何かに突き刺さる。

「必死の思いで都まで帰ってきて・・・そうしたら誰もいなくて。もう、生きていくのは無理だと諦めました。ですが、わたしはこうして生きています。・・・・まだやることがあるようです」

「まだ墨羽殿はお若い。人としてやることはたくさんありますよ」

実継の声は優しい。

「・・・人として・・・か・・・」

「そうです。戦が終われば、平安の世が来ます。墨羽殿の想い人と一緒に暮らせる日が来ますよ」

一緒に暮らす・・・。

その夢が叶う日はもう来ないことは知っている。だが、そう言ってくれる実継の気持ちはうれしかった。

「ありがとうございます。実継には、想い人はいないのですか?」

「え?・・・えと・・・・・」

柄にもなく狼狽える実継を見て、墨羽の唇にわずかな笑みが宿る。

「?」

「こ、この戦が終わればまたお話ししますよ。できればお休みください。おそらく今夜は夜襲もありますまい」

「実継がそう言うと、富士川の時を思い出しますね」

そういう墨羽に実継は柔らかい笑顔で応えると、来た道を戻って行った。

・・・富士川の時。戦の前日の夜だったっけ。あの夢を見たのは・・・。

今なら、全部わかる。

墨羽は手のひらに小さな炎を浮かべると、音もなく握りつぶした。





夜が明け、東の空が白々とする頃。

宗影のところへ鎧装束を身に着けた澄玲が飛び込んできた。

「どうした澄玲!?なぜここに・・・」

「殿、一大事にございます!」

澄玲が慌てている様子は珍しい。


「なにっ!?」

恒影が声を上げる。

「上皇が明橋を封鎖しただと!?」

「はい。殿たちが戦でいない隙を狙って、内裏の役人が門を封鎖し、出入りを禁じました。わたしと兵で、勝手口から役人を倒し逃げてまいりました。すみません、殿の留守を守れずに・・・」

澄玲は目のあたりを着物の袖で拭う。

「澄玲・・・。すまなかった。心細い思いをさせたな」

宗影は澄玲の手を取る。

「それだけではございません。上皇は伊豆へ木曽討伐の令旨を発したと聞き及びました。いち早くお知らせせねばと・・・」

澄玲が言うと、恒影の顔が一気に怒りに染まる。

「桐高めっ!!最初から、われらを京から締め出すつもりで緋家討伐を命じたのだろう!」

恒影が地面に拳を叩きつける。

「どうするのだ?今から緋家と和議を結ぶか?」

「・・・無理だろうな。上皇のことは敵にも知らせが入っているだろう。どう考えても緋家に和議に応じる意味がない」

「・・・・殿・・・」

澄玲も不安な顔で宗影を見上げる。

「やるべきはひとつ。緋家討伐をやり遂げる。我らが生き残るにはこれしかない」

「・・・・宗影殿。」

あくまで静かに言う宗影。

「最初から京に味方はいなかった。ならば、悲願の緋家討伐を成して、木曽へ帰ろう」

「・・・そうだな。覚悟を決め、敵を倒す!それしかなかろうな!皆で木曽へ帰ろう!」

恒影は宗影の言葉を繰り返し、自分に言い聞かせているようだった。

「わたしも微力ながら、戦わせてください」

「・・・澄玲・・・」

「大丈夫。まだ腕は落ちておりません!」

にっこりと微笑む。

・・・強いな。やはり・・・武家の娘か。

「よし、間もなく日が甲鷹山に登る!全軍に伝えよ!今日が緋家滅亡の日になる!!」

宗影が大音声に叫ぶ。

「おう!!!」

兵たちの声が木霊した。

それは、木曽を出た時のような希望に満ちた凱旋ではない。それは、泥を這ってでも故郷へ帰ろうとする、執念に近い決断だった。





「敵の声が聞こえますね・・・」

墨羽はひとり、鳳炎天の中で手の震えを押さえている。すでに太陽は高く昇り始めた。もうすぐあの山の上に日が光を落とす。

『なぜ震える?』

「・・・怖いから」

『なぜ怖い?』

「わからない。でも、すごく怖い」

・・・たぶん、恐れているのは”死”ではない。”負け”を恐れている。

「わたし、父様に勝てるかな?わたしと父様が戦っているって知ったら、清葉はどう思うかな・・・」

『・・・人の思いはわたしにはわからない』

いつもの冷静な口調で純波が答える。

「そうだよね。でも、父様は私が止めないといけない!」

墨羽は大きく息を吸った。


その時、開戦を告げる鏑矢が双方の陣から飛んだ。

その合図とともに、唸るような「おお・・・・!!」という声。睨み合っていた木曽霞三万、緋家六万五千が一斉に動き出した。

地響きが地面を這い、静かだった葦野原の空気が一変してびりびりと震え出す。野鳥や獣が驚いて逃げだす。


「撃てーっ!!」

号令とともに、雨のように矢が降り注ぐ。

槍を持った兵たちが、近くの民家から外した戸板を傘にして走る。戸板の上に四本五本と矢が突き刺さる。

槍が敵の兵たちの胸に突き立てられる。馬から引きずり降ろされて串刺しにされる者、刀で切られ、血を吹き出して倒れる者。

流れ出す血が葦野原の草を血で赤く染めた。



墨羽は鳳炎天を敵に向けて走らせる。

「純波、どっちに行けばいい?教えて!」

墨羽は鳳炎天を走らせる。

『まだ先だ』

「・・・敵の真ん中だね。また孤立しちゃう」

そこへ敵の白縫が太刀を振り上げながら近づいてくる。

鳳炎天は構えた太刀を袈裟懸けに振り下ろす。白縫の左腕が跳んだ。

「邪魔しないでっ!」

振り向きざまに一閃する。

白縫の上体が二つに裂け、ゆっくりと後ろへ倒れる。


「・・・なんだ、あれは!?」

敵兵たちに動揺が広がる。その艶やかな赤の御体は、さながら地獄の鬼のようないで立ちで木曽軍の前に立ちはだかった。

「火が届かない!もっと撃て!」

弓兵たちが火をつけて矢を放つ。無数の火のついた矢は鳳炎天を落下点として放物線を描く。

その矢が鳳炎天に届く瞬間、鳳炎天が右腕を振る。すると放ったはずの火矢が反転する。

「何っ!?」

自ら放った火矢に体を撃ち抜かれて焼かれる。

悲鳴をあげることもできないまま、地面に倒れ燃え尽きる。

「何が起きた!?」

「次だ!撃て!撃て!」

敵兵たちは代わる代わる火矢を放つ。

だが、その全てが自らのところへ戻ってくる。


『前だ。白い御体が来る』

「わかった!」

正面から走って来る白い御体が太刀を振り上げる。

振り下ろされる白い御体の太刀を躱し、相手の懐へ入り込む。

一気に太刀を突きだして白い御体の胴を串刺しにする。

『気を付けろ。囲まれている』

「・・・そうだね。またやっちゃった・・・」

後を見ると、味方の兵たちは跳んでくる矢になかなか進めずにいるようだ。

その距離はかなり離れてしまった。

御体の中にいると、その歩幅の違いから一歩の感覚がずれる。


実継にまた叱られるな。・・・叱ってほしいけど。


『もう一体、来るぞ!右だ!』

「はいっ!」





守武は街道を避けて森の中を進んでいた。

「安影殿、もうすぐだ。ここを越えれば葦野原へ出る」

安影も、ずっと白縫に乗ったままで逃げてきた。守武も積み重なった疲労で限界に近い。霊力が枯渇するのも感じている。

・・・このままでは戦には出られない。少し休むべきか。

夜通し歩き続けている。宗影たちの主力と合流したところで、この状態では戦力にならない。

堺を逃げ出した時は八十人ほどだった兵も、徐々に減り今では二十人ほどになってしまった。

体が重い。疲労のせいだけではないだろう。

「安影殿、あそこの高台まで登ったら休もう」

「ああ、助かる・・・」


守武は白縫から降りて高台の崖に登り、そこから眼下を見下ろす。

「あれは・・・」

見渡す限りに広がる平原。そこに戦場が見下ろせる。

「宗影殿・・・・」

安影も隣に来ると、声を漏らした。

戦場のほとんどが緋家の赤い旗印に染められている。

「・・・多勢に無勢、まずいな」

守武も不安を漏らす。

「守武殿、ともかく早く宗影殿のところへ!」

「・・・・・・」

眉間にしわを寄せて、顎に手を当てる。

「守武殿・・?」

「・・・このまま敵の横から突っ込む!」

「は!?何を言っているんだ!?我らは兵の数も二十人ほど、御体はおれと守武殿の二体だけだぞ!?こんなで敵の本隊に突っ込んだら、矢の的になるだけだぞ!?」

「だからだ。少しでも敵の目線を逸らす」

「正気か!?」

「この下は森だ。木に隠れながら近づき、一気に攻めれば兵の数など敵にはわかりはしない」

そう言って、足元に広がる森を指示す。

「・・・・・!?」

言葉にならない音をあげて頭を抱える安影。

「大丈夫だ。そのまま足を止めずに味方の本陣まで一気に突っ走る。われらが敵と気づく前に突破すればよい!」

「・・・せっかく助かったのに・・・・」

地面に両手をつく安影。

「おれとて死にに行くつもりはない。西玉津湊の汚名返上と行こう!」





「出てくるから、斬られるのっ!!」

鳳炎天の一閃が敵の白い御体を切り裂いた。

腹部から二つに分かれ、ゆっくりと崩れ落ちる。

深く息を吐いて、墨羽はあたりを見回す。

「ここはどこ!?完全に孤立しちゃった!」

『かまわぬ。鱗の気配がする。そう遠くない』

「ちょっとは考えて!囲まれちゃう!」

周りを見渡しても味方らしき兵はいない。駆け寄ってくるのは火の矢を構えた白い旗印の兵たちばかり。

「火は効かないって言ってるでしょ!」

鳳炎天が手を大きく振る。

「ぎゃっ!?」

次々と火矢を持つ手元の火が爆ぜ、吹き飛ぶ。

『・・・何か来るぞ』

「え?どこ!?」

『後ろの方だ。新手だな』

「別の敵がいるの?」

『かまうな』

「そんなわけにいかないでしょ!実継たちがいるんだから!戻るよ!」



実継は馬上で奮戦していた。

次から次へと飛んでくる矢を刀で叩き落し、迫ってくる槍を切り落とす。

何とかして兵たちを前に進めたいが、敵兵たちが次々と迫ってくる。

・・・どこだ、墨羽殿!?また見失った!

まったくいつもいつも、一人で先に行ってしまう!

飛んでくる矢を切り落とし、いらいらとしながら辺りを見回す。

遠くに、こちらへ向けて走ってくる赤い御体が見えた。

「墨羽殿っ!!」

実継は叫んで、そちらへ馬を向ける。その時。

「後ろから!敵だっ!!」

誰かが叫んだ。

振り向くと、白い御体が二体。いくらかの兵たちが槍を持って走ってくる。

「来るぞ!備えよ!!」

実継が叫ぶ。


「止まるな!!駆け抜けよ!!敵は相手にするな!!」

守武はそう叫ぶと、白縫の腰の刀を抜いて両手に持つ。

「覚悟っ!!」


「矢を放て!!白い御体を止めよ!!」

実継が兵たちに檄を飛ばす。

兵たちが突如現れた敵の行く手を阻むように立ちふさがる。


「だめっ!!いけない!!」

墨羽が声の限り叫ぶ。

だが、その声はまだ遠くて実継に届かない。


馬を敵に向ける。

墨羽殿は、おれが守る!!

「絶対に奴らの足を止めろっ!!一瞬でいい!そうすればわれらが主が仕留めてくれる!!」

「おう!!」

実継の叫びに兵たちが応える。


「逃げて!!実継!お願いっ!!」

必死に走る。手を伸ばす。

まだ遠い。

何でこんなに遠いのっ!?


「蹴散らす!!」

守武の白縫が太刀を振るう。

兵たちは血しぶきをあげながら吹き飛ぶ。


「いくぞおっ!!」

実継はもう一体の白縫に狙いを定め、馬を走らせる。


「なんだ!?なぜ向かってくる!?」

安影に向けて馬に乗った男がこちらへ来るのが見えた。

「ええいっ!」

安影の白縫が太刀を一閃する。


実継は身をかがめて白縫の太刀を躱す。

「わあああああっ!!」

叫びながら刀を敵の御体の足に突き刺す。


「ぐああっ!!」

痛みに、安影が叫ぶ。


「安影殿!!」

守武が叫ぶ。

だが、足を止めるわけにはいかない。

その瞬間、横を何かが一瞬で通り過ぎた。

敵の御体!?


「こいつっ!!」

安影の白縫が太刀を振り上げた。

実継が顔を上げる。

太刀を振り上げる白縫。


その太刀が、自分の眼前に振り下ろされる。

・・・墨羽殿・・・・。

墨羽の顔が浮かぶ。

初めて会った時のはにかんだ笑顔。

稽古の時の真剣な顔。

御体から降りてきて抱き着いてきたときの体のぬくもり。

泣いているような笑顔で、頭を撫でてくださいと言ったときの・・・。


ざしゅっ!!


鈍い音と共に、鮮血が宙に舞う。

実継の体は、実継の乗る馬の首と共に切り裂かれた。

馬から弾き飛ばされて不自然に曲がりながら地面に叩きつけられる。



あ・・・・・・。

墨羽の鳳炎天が手を伸ばす。その手は虚しく空を切る。

ただ、流れ出た赤い血が草叢を赤く染めていくのを見つめるしかなかった。

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