69 純波ノ章 二十五
「なんだ!?どうしたことだ!?」
岡倉守武は思わず声をあげた。
西玉津湊から堺まで引き返し、港に停泊している船に御体のまま乗り込む。
だが、乗り込んだ船には漕ぎ手がひとりもいない。もぬけの殻だ。
残っていたのは、飛び散った血しぶきの跡。あちこちに散らばる動かない見張りの兵たち。
「守武殿!?これはどういうことだ!?」
安影が後ろから乗り込んでくる。
「・・・やられた。完全に読まれていた!」
「後ろから追手が来る!海からも船が近づいてくるぞ!」
内通者?
いや、この策は木曽からの仲間以外は知らない。
なぜ!?
・・・今は考えるな!無駄に命を捨てるわけにはいかぬ!
「安影殿!宗影殿に早馬を飛ばせ!水軍は失敗だ!軍を引けと!」
「・・・わかった!」
安影の白縫は船から出て、兵たちのところへ戻って行った。
「・・・・・・さて。覚悟を決める必要がありそうだな・・・」
ひとり呟く。
最初に与えられた兵の数は七千。今は半分もいないだろう。
勝ち目はない。逃げ道もない。
・・・ならば、道は一つ!
「船に火を放て!敵に奪われぬよう、燃やしてしまえ!」
守武は大声で言うと、兵たちは自分たちの乗るはずだった船に火を放つ。
「守武殿!何を!?」
安影が狼狽した様子で駆けつけてくる。
「我らのように慣れぬ者には海での戦いは不利だ。ならば引き返し、敵の一人でも多く道連れにする!安影殿は一か八か宗影殿のところへ合流されよ!」
「・・・守武殿・・・・そんな・・・・・」
安影の声は泣きそうな弱弱しいものだった。
港の海の上に炎が上がった。
「申し上げます!こちらへ逃げてくる敵がいます!御体が二体。兵がおよそ千!」
申上太郎が膝をついて貞基へ言う。
「よし、おれも出る!重国、ついてこい!」
「承知!」
貞基は翔鶴へ、重国は瀧雨へ乗り込む。
腰の太刀を抜くと一気に走り出す。
「やっと出番だ!行くぞ、翔鶴!!」
「安影殿、生き延びてくれよ!」
守武は白縫の太刀を抜く。
海からやって来るのは八隻の船と赤い御体-朱獄二式が五体。そして肩の黄色と桃色の御体。
「木曽霞家の手のものと見た!我が名は備前水軍当主浦崎澪瀬!わが御体陽桜花と勝負せよ!」
女の声だ。・・・また女か。
「我が名は木曽霞家家臣、岡倉守武!わが御体白縫!尋常に勝負!」
備前の船は接岸すると甲板の縁から板を渡し、兵たちが上陸を始める。
あちこちで小競り合いが始まり、声をあげて兵たちがぶつかり合いを始める。
守武たちが乗り込むはずだった木曽の船は燃え尽きて沈み始める。もう逃げ場はない。
陽桜花がゆっくりと守武の白縫の前に歩み出る。
白縫は太刀を構え、姿勢を低くする。
「ひとつ、お聞かせ願いたい!」
守武が言う。
「なんだ!?」
「なぜ、この船のこと、西玉津湊を我らが襲うことを知った!?」
「木曽霞家の遠縁による者がよく喋ったそうだ。仔細は知らぬ!」
「・・・木曽霞家の・・・遠縁!?」
そんなものが戦の策を知っているはずがないが・・・。
「いずれにせよ、お主はここで終わりだ!」
澪瀬が叫び、陽桜花が薙刀を振る。
白縫は間一髪で避けると、後ろへ跳んで間を取る。
すぐに陽桜花の追撃が来る。陽桜花の鋭い突きは白縫の左腕を掠める。
白縫は身をよじるとさらに後ろへ跳ぶ。
敵の間合いに入らねば太刀が届かない。だが、あの薙刀は早く、迂闊に近づけない。
村伊・・・・・宗影殿なら、このような相手にも後れは取らないだろうな。
陽桜花が一気に間合いを詰めて迫る。
「くそっ!」
陽桜花の薙刀の先を太刀で払いのける。
甲高い金属音がして陽桜花は体勢を崩す。
一気に目に出る白縫。
「間合いに入った!!」
「しまった!?」
すぐに陽桜花の姿勢を戻す澪瀬。
「遅い!」
守武の白縫は袈裟懸けに太刀を振るった。
水を得た魚というのはこの事だ、と重国は思った。
貞基の翔鶴は縦横無尽に暴れまわり、あっという間に敵の御体を一人で倒してしまった。
残る御体は後ひとつ。
どうやら、残ったこいつが大将らしい。
「わが名は緋四郎貞基!この御体は翔鶴と申す!木曽の名のある方とお見受けするがいかに!」
太刀の先を敵に向けて名乗りを上げる。
「・・・・わが名は木曽霞次郎安影!この御体白縫で、何としてもここは押し通る!」
手が震える。
もう味方はほとんどいない。兵力はほぼ壊滅状態。
生き残る手段があるとすれば、何とかしてここを逃げ切って本軍に合流するしかない。
・・・逃げるのは恥ではない!
自分に言い聞かせる。
西玉津湊を落とせなかった時点で我らの負けは決まっていた。それでもここまで敵の水軍を引き付けた。もういい、じゅうぶんな成果だ。
囲まれる前にここから逃げなくては!
「いざっ!」
貞基の翔鶴が太刀を振り上げて飛び掛かって来る。
安影の白縫はそれを太刀で払うと、後ろへ飛び退く。
少しでも距離をとらなければ囲まれる!
敵の御体は正面の翔鶴、その後ろに控えている薄い青の御体、あとは右に一体、左に二体。
後ろに戻れば敵の水軍と挟まれる。
間髪入れず翔鶴が迫る。
繰り出される太刀を何とか受け止めて躱す。
白縫は間合いを取りたいが、その隙をくれるほど敵は甘くない。
次々と太刀を繰り出す。
安影はもうさばききれない。
次々と白縫に傷が増える。安影の体にも痛みが走る。
「くっ!!」
「でえいっ!!」
気合の声とともに、翔鶴が袈裟懸けに太刀を振るう。
その軌道は安影の白縫の左肩から胸あたりを引き裂く。
「ぐああっ!?」
強烈な痛みに倒れ込む。
「勝負ありだな。覚悟!」
翔鶴が太刀を振り上げる。
「待ってもらおう!!」
貞基が太刀を振り下ろそうとした瞬間、声が響いた。
もう一体、白い御体がこちらへ来る。
右手には太刀を持ち、左手には黄色と桃色の御体を引きずっている。
「・・・澪瀬殿!?」
貞基が叫ぶ。
「貞基殿、すみません・・・わたしにかまわず、敵を!」
「この通り、まだ息はある。だが、その太刀を振り下ろせば、この御体にわが刃を突き通す!後世に恥じることとなろうとも、我らは生き延びなければならぬ!」
・・・こんな駆け引きに応じるだろうか?
守武自身、賭けだと思っている。緋家の将が噂通りなら、見捨てて安影の将を討ち取るだろう。いずれにしてもここで人質を殺してしまえば、守武自身もすぐに囲まれて討たれる。人質を殺すわけにいかない。それは敵も考えればすぐ答えの出ること。ならば、応じるわけもない。
「・・・・わかった」
翔鶴が太刀を下ろす。
「馬鹿・・・・若!?」
重国が息を飲む。
「貞基殿・・・・!わたしにかまわず、敵を!」
澪瀬が言う。
陽桜花は右足と右腕の先を失っている。全身を走る痛みの中、声を絞り出す。
「だが、澪瀬殿は必ず生きて返せ。さもなくばすぐに全軍でお主らを討つ」
「貞基殿・・・・」
「なぜなら・・・・」
「若は女好きですからな」
重国が口をはさむ。
「・・・先に言うな。それにおれは女好きではない!女が好きなのだ!それと、また馬鹿と言ったな!」
「聞き間違いです」
「ええと、とりあえず安影殿、立てるか?」
「あ、ああ。すまない」
守武が声をかけると、ようやく安影は白縫を立て直す。
「それと、我らが逃げ切るまでこの人質をあずかる!」
守武の白縫は陽桜花の腹のあたりに太刀を突きつけたまま後ずさりする。
「若!」
追おうとする重国の瀧雨を翔鶴が手で制す。
「澪瀬殿の陽桜花が敵わなかった相手だ。追えばこちらもただで済むまい」
「馬鹿、ほんとにそこまで考えておいでなのですか?」
「また馬鹿と言ったか?」
「いえ、言い間違いです」
「守武殿、すまなかった」
安影が言う。
「詮方なきこと。完全にわれらの負けだ。どこかから策が漏れていた」
「生き残れただけでもよしとせねば・・・」
後を見ると、七千人いた兵たちが、今や百に満たない。惨敗だ。
「・・・よし、澪瀬殿と言ったか。ここで放してやる」
「・・・とどめを刺さぬのか?」
守武に安影が言う。
「敵が約定を守ったのだ。こちらも義で返さねばならん」
「わたしが女だからか?」
澪瀬が言う。
「戦場で刃を抜けば男も女もない。お前を生かして返すのは、あの大将への礼だ」
澪瀬の中に何か熱いものが沸き立つ。
守武の白縫は陽桜花に突き付けていた太刀を腰に納める。
「よい大将を持ったな」
陽桜花を放す。
「わが大将はわが命を懸ける価値のあるお人だ」
澪瀬は、なぜ自分がそんなことを言ったのかわからなかった。
それに答えることなく、守武と安影の白縫は森の中へ消えていった。
「無事であったか、澪瀬殿?」
貞基は戻ってきた澪瀬に声をかける。
「すみませんでした。わたしのために敵の将を取り逃がしてしまい・・・」
「構うな。おれたちの相手はどうせ主力ではない。それに戦はわれらの勝利だ。お主が命をとられればせっかくの勝ち戦にケチがつく。それよりも何よりも、おれは澪瀬殿に生きていてほしいのだからな」
「・・・・・貞基殿。あの・・・わたしが、女だから助けたのですか?」
「そうではない。澪瀬殿だからだ。澪瀬殿は女だが、女なら誰でも助けるわけではない」
「そうなのですか?」
「それに、おれにとっては一時の手柄よりも澪瀬殿の命が惜しいからな」
澪瀬はほんのり頬を染める。
「それに敵も」
きょとんとする貞基。
「・・・浦崎殿。この馬鹿はそんなつもりはないと思いますぞ?」
重国が割って入る。
「何の話だ、重国?」
「若の女好きには困る、という話です」
「おれは女好きではない。女が好きなだけだと言うておろう。それと、またまた馬鹿と言ったな?」
「聞き間違いです」
・・・・ええと、わたしはこの気持ちどうしたら・・・?
澪瀬は体の痛みをすっかり忘れた。
「若、お教えくだされ」
「何をだ、重国?」
「女好きと女が好きの違いです」
「知らん」
「・・・・・」
「宗影殿、安影から早馬が来ました」
恒影の顔に明るさはなかった。
「・・・・なんと?」
「西玉津湊、落ちず。堺の船も沈んだと・・・」
安影が額を押さえる。
「して、安影殿と守武は?」
宗影が聞くと、恒影は首を振った。
「わかりません」
「・・・そうか」
宗影は周りを見渡す。
夏の蝉の鳴く声が響いているが、足元の影が伸び始めた。小高い丘陵地帯の葦野原だが、遠くは高い山々に囲まれている。日は落ち始めればすぐに暗くなる。
「・・・開戦は明朝。東の甲鷹山の頂に日が昇った時と敵に伝えよ。それと、暗くなり次第、文堅にも早馬を走らせろ」
「承知・・・」
恒影は頭を下げると、宗影のそばを離れた。
「皆!決戦は明日行う!だが、心して夜襲に備えよ!」
宗影が大音声に叫ぶと、兵たちが「おう!」と答えた。
敵陣から馬に乗った使者がこちらへ走ってくる。
是基は羅刹の中からそれを見ていた。
使者は矢がぎりぎり届かないあたりで馬を止める。
「緋家大将殿に申し上げる!開戦は明日、甲鷹山の頂に日が昇る頃!鏑矢を射る!」
羅刹は少し前に出る。
「承知した!そう大将殿に伝えよ!」
是基がそう叫ぶと、使者は馬を翻して自陣に戻って行った。
知基の魁怨が羅刹の隣に来る。
「兄者、夜襲には気を付けたほうがよいな」
「ああ。兵たちにもそう伝えてくれ」
「承知した。・・・それと兄者」
「どうした?」
「貞基殿は西玉津湊を護ることと、堺の木曽の船を沈めたそうだ」
「・・・さすがだな。叔父上」
「だが、敵の将は討ち漏らしたとのこと。いずれこちらへ合流してくるだろうな」
知基が言うと、是基は深く息を吐いた。
「知基、お前の言う通りだった。敵は水軍を用意していたなど、父上でも思いつかなかったことだ」
「いや、兄者。おれとて思ってはいなかった。たまたまだ」
「お前がいてくれて心強いな。おれは弟に恵まれた」
「そう言うな。兄者があって、おれたちがいるんだ」
そう言うと魁怨は羅刹の肩に手を置いて、その場を去って行った。
「・・・あいつが総大将を務めていたら、炎蛇ノ坂でも負けなかったかもしれない」
是基の中にはその思いがずっと消えない。




