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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
第二章 純波

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66 純波ノ章 二十二

それから四日間、墨羽はほとんどを眠りに費やした。

時折目が覚めると、女房達に実継が用意させたのだと思われる食事が枕元に置いてあり、少し食べてはまた眠った。安心して眠れる場所があることに、心から感謝した。


翌日から、実継と共に少し打ち合いの稽古をした。初日は辛かったが毎日続けるうちに、固まっていたからだが少しづつほぐれていく。

こういう毎日は本当に救われる。日常は墨羽の心に安定をもたらしてくれる。

「墨羽殿、一度本気で打ってきてください」

ある時、実継が墨羽に言った。

実継が木刀を構える。

「・・・本気で・・・ですか?」

「はい。御体に乗った時の墨羽殿、稽古をするときの墨羽殿は別人のようでした。墨羽殿の本当の本気というものを見てみたいのです」

・・・墨羽としては、実継との稽古は父と手合わせしているのと同じように感じられた。それは命懸けの戦いではなく、あくまでも意思を通い合わせる心の触れ合いの時間。

だから、いつも体格や力の差で実継に勝てなかった。

でも。

「・・・わかりました」

墨羽が木刀を構える。

「ありがとうございます!」

実継も低く構える。背の低い墨羽に対するには、下半身への打ち込みに注意する必要がある。

「行きます!」

墨羽がそう言った瞬間だった。

実継には何が起きたかわからない。

ただ、自身の鼻先に墨羽の木刀の先があった。息をすれば触れるくらいの距離。

息を吸って吐くまでの時間もかからなかった。

その間に、ここが戦場なら自分は敵に斬られていた。

「・・・・参りました」

ふたりは木刀を収めて頭を下げる。

「墨羽殿、今までの稽古・・・手を抜いておられたのですか?」

実継は少し震えている。

「い、いえ!そんなつもりはありません!実継と打ち合いをするのはとても楽しくて・・・」

「楽しい・・・」

「・・・はい。すみません」

怒っているのだろうか?顔を伏せて少し震えている。

「ごめんなさい。手を抜いていたわけではありません」

「・・・今日は失礼いたします」

実継はそう言って足早に去って行った。

「あ・・・・・」

・・・怒らせてしまった。今までずっと真剣に稽古をつけてくれていたのに・・・。手を抜いていたと思われてしまった。

「違います!実継!!」

追いかけようとしたが、実継の姿はもう見えなかった。


実継は物陰に隠れて、墨羽をやり過ごした。

「・・・すごいことだ。あの幼い娘児が・・・あれほどの剣を振るうとは」

実継の興奮は止まらなかった。遠くで見ていたのとは違う、目の前で自身に振るってくる剣の鋭さ、文字通り目にも止まらぬ早業。

まだ、脚と手の震えが止まらない。

怖かった・・・。

この恐怖の顔を見せたくなくて隠れてしまった。

迫ってくる木刀に死を覚悟した。あれが真剣だったら・・・・。

想像するだけで、背中がぞくぞくとする。

いままで、二人でやってきた稽古は何だったのか?偉そうに剣術を教えていた自分が恥ずかしくなる。

だが、それを差し置いても・・・。


・・・一生、お傍にいたい。

我が主ながら、・・・ますます・・・。






新居というのは落ち着かないものだ。

畳の草の匂い、柱の木の匂い。

姿は見えないが、近くで職人たちがまだ作業をしている声がする。

清葉は帝と二人で並び、朝子から字を習っていた。

清葉はもういろはは全て書けるし、朝子よりも字の美しさに自信があった。だが、他にやることもない。

高条帝は少し筆をもって何やらぐにょぐにょと書いては癇癪を起し、脚をバタバタさせては怒られてまた筆を持ち・・・を繰り返している。

少しは大人しくなってきたのだが、まだまだ幼い子だなぁと墨羽は見ていて思った。

「では今日はここまででございます。帝、中宮様、お手習いありがとうございました」

朝子が膝の前で両手をついて頭を下げる。

「よし、毬をついてくる!」

帝はそう言って庭に出て行ってしまった。

朝子は筆や硯を片付ける。

「わが君にはいつも困りものですね」

清葉が朝子に言うと、朝子は少しにっこりする。

「帝とはいえ、まだ五歳の子です。あれでも清葉様が後宮にいらしてからだいぶ大人しくなられましたよ」

「そうなのですか?」

「はい。以前は毎日女房達は泣いておりました。怪我をしたり、水をかけられたり。幼い稚児のする悪戯を越えておりましたから」

ここにいると、誰も叱ってくれない。ある程度分別をわきまえてから後宮へ入ったならわかることも、生まれてからずっとここにいたら感覚がおかしくなる。しかも、あなたは帝になると言われて育ったならなおさらなのかもしれない。

「でも、皇后様は叱っておいでですよね」

「いえ、とんでもない!皇后様のお手を煩わせるなど・・・」

「ですが、母としては・・・・」

「・・・それが・・・ここだけの話ですが・・・」

「はい?」

朝子は少し声をひそめる。

「皇后様が東宮様に乳をあげているのを見た女房は誰もいないそうなんです。子を産んでも乳が出ないこともありますが、皇后様のお腹が大きいところを見た女房もいないそうで・・・。で、いまだにあの美しさを保っていらっしゃるというのは、皇后様には何かあるのでは?という、女房達の中では噂になっております」

「何か・・・?」

「あ、あくまで噂ですよ。お気になさらないでくださいね」

朝子はにっこりと笑顔を見せる。

「約束です。誰にも言わないでくださいね」

「噂ですか。そうですよね」

清葉も笑顔で答える。

宮中に仕える女房達は噂好きだ。退屈な毎日のお務めだから、刺激が欲しいのだろうか。根も葉もない話や、尾鰭背鰭の付いた話をいつも何処かでしている。ほとんどがどこかの偉い方の恋の話や、どこかの殿方が麗しかったなどという話ばかりだ。

・・・まあ、良くわからないことだし、わたしにはわからないわ。




「近頃、西国からの荷が滞っておるそうだ」

桐高上皇の御前である。宗影は顕和親王とともに、参内していた。

桐高上皇の顔は渋い。顕和親王がここに来るということは、話の内容は言われるまでもなくわかっている。譲位の話だ。

緋家が勝手に遷都して連れていかれた高条天皇に代わり、位を譲れというのだ。

「それは、ひとえに緋家が瀬戸内の海路の実権を握りつつある。瀬戸内の諸国を取り込むことで、かつてよりも強大な勢力となっている。早く手を討たねば、手遅れになるぞ」

顕和は桐高に迫る。だが、桐高は首を縦に振らない。

「だが、帝あるところが都だ。吹原に帝がある限り、帝都に攻め入ることは許さぬ」

「言っておるであろう?高条の皇位を一時剝奪し、おれに譲れ。さすれば、吹原を攻める口実も作れよう」

「皇位は世襲であり唯一にして無二のもの。高条が皇位にある限り、誰も帝にはなれぬ」

緋家が都落ちしてから、何度この問答が繰り返されたか。

「・・・だがな、桐高よ。ひとつおかしな噂を聞いてな」

顕和は不敵な笑みを浮かべる。

「・・・・・」

桐高は腹の下あたりにもやもやするものを感じた。

「皇后・・・沙苑殿だが、一度も産房に入ったことがないそうではないか?」

桐高の顔が一瞬ひきつる。だが、すぐにいつもの無表情に戻った。

「それがどうした?」

「沙苑殿が高条に乳をやっている姿も女房達は誰も見ていない。本当に高条はお主らの子か?」

「・・・・・高条はわしの子だ。間違いない」

桐高は表情を変えない。

「ならばそうであるとしよう。だが、お主の子であっても皇后の産んだ子ではない。ならば、皇位の継承権はおれの方が上だ」

「・・・・・・」

宮中でこういうやり取りが頻繁にあるのだろうか?宗影は場違いな感じがして腰が据えられない。

聞いてはいけないことを聞いている気がしてならない。

「はぁ・・・お主の父、幸徳王は謀反の罪を受けて刑に処された。よって、その一族は皇位に着けぬ。それはわかっておるだろう?」

桐高は深いため息の後、そう言った。

「わかっている。だからだ。一時のことでよい。高条の皇位を失わせれば、緋家に名目を与えずに逆賊として処分できる。今を逃せば後はないぞ?」

「・・・・・」

桐高は沈黙して考え込んでいるようだった。

顕和は手ごたえありとニヤリと笑んだ。

やがて桐高はゆっくり口を開いた。

「わかった。だが・・・」

「だが?」

「皇位は高条のものだ。神器がここにない以上、帝の位を他の者に移すことはできぬ」

「・・・・」

顕和の顔が険しくなる。

「霞木曽宗影!」

「はっ」

「征夷大将軍霞木曽宗影に令旨を申し付ける。緋家討伐を成せ。ただし、帝並びにその近くある者は全て、無事京へ連れ戻すこと。よいな」

「・・・・はっ」

宗明は返事はしたが、それがどれほど難しいことかわかっている。




「何という石頭だ!桐高めっ!」

顕和は心底悔しいのだろう。桐高の御前を辞してから、ずっとそれを繰り返している。

「・・・だが、緋家追討の令旨を取り付けた。わかっておるな、宗影?」

「・・・・・・」

わかっている。戦の最中、女子供を連れて帰れというのだ。兵たちは帝や皇后、中宮らの顔を知らない。間違って斬り伏せてしまうかもしれない。おそらく顕和はそのことを望んでいる。高条さえいなくなれば、皇位の継承権は自分に回ってくる。

それをおれに命じているのだ。木曽軍が()()()()()天皇を殺してしまうことを、だ。

一方、桐高上皇は顕和親王の手駒となってしまった征夷大将軍が煩わしくなったに違いない。程度よく高条を救い出せればそれもよし。失敗しても宗影をここから追い出す口実が出来れば、顕和は再び孤立する。ならば皇位に口出しはできない。

「しばし、策を練りますゆえ、明橋に戻らせていただく」

そう言って顕和の元を離れた。

どちらに転んでも、ここではおれは駒でしかない。

必要無くなれば切って捨てるだけの駒だ。






実継が怒っているのではないかと気が気でなかった墨羽だったが、実継はいつも通りの笑顔で墨羽を迎えに来た。

この日墨羽は実継を伴って御造所へ入り、御体守の坂忠房(さかただふさ)を訪ねた。

「ご無沙汰しております」

「おう!これは橘朝臣殿のご息女!此度は無事の生還、何よりでありましたな!!」

細い目をさらに細めながら言う。

・・・もしかしたら、護堕天が言うことを聞かなかったとかで文句を言いに来たのじゃないだろうか?

「あの、今日はお願いがありまして・・・」

「お願い?」

墨羽が顔を伏せると、実継が前に出る。

「御体を橘殿にくだされ。前の御体は散野原山でやられてしまいましてな」

「ああ・・・・」

「あの・・・護堕天よりも速くて頑丈な御体なんて・・・ありますか?」

文句を言いに来たのではなくてほっとしたが、護堕天よりも速くて頑丈?そんなもの・・・・。

「ないこともないが・・・」

「あるのですか!?」

「でも・・・・」

「う・・・・・」

”あれ”がこの娘に乗りこなせるのか?いや、護堕天を操った娘だ。一か八か・・・・。

「ついてきなさい」

そう言って忠房は歩き出した。

実継と墨羽は顔を見合わせた後、忠房について歩きだした。


御造所の奥に、数人の職人が集まっていた。

新しく作っている御体に関しての話をしているらしい。

壁沿いに赤い首のない御体が並んでいる。肩のところに朱獄二式と書かれている。

「御体がいっぱい・・・」

「これだけ並んでいると・・・すごいですね」

墨羽と実継は内裏の御体蔵でも広いと感じていたので、その倍以上の広さのある吹原の御造所に圧倒されていた。

「これからは御体の数が戦の勝ち負けを分ける時代ですからね。兵を集めるよりも御体を作ることに費やすべきですよ」

そう言うと忠房はひとりの男を呼び止めた。

男は無言で振り向くと、「ついてこい」という風に顎をしゃくった。

御造所の裏口を出て御体蔵の中へ。そこはさらに広く、御体が壁と柱に沿って並べられていた。

「すごい・・・何体あるのですか?」

「さあ・・・・わかりませんね。六原から持ち出したもの、取り急ぎここで組み立てたもの・・・八十はくだらないでしょうな」

「はぁ・・・・」

男はやはり無言で立ち止まり、一体の御体を指さした。

「わぁ・・・・・」

「おぉ・・・・・・」

墨羽と実継が息を吐く。

そこにいたのは深紅と金の線の入った御体。高い窓から漏れてくる光を反射して鈍く光っている。細い腕と足は他の御体とは違い、人のそれに近い。顔は口元が覆面で隠されていて、目が鋭く覗いている。

「どうでしょう?この御体は!」

「きれい・・・」

忠房の言葉に墨羽は声が漏れる。

「ああ、紹介しましょう。この男が唐から来た御体匠、黄鎧(こうがい)です。護堕天もこの男が作りました」

「では、この御体も?」

実継が聞くと、黄鎧は無言だったが忠房が頷く。

「気に入ってくださいましたか?この”鳳炎天(ほうえんてん)”を!」

鳳炎天・・・。

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