60 純波ノ章 十六
「間もなく東雲山ですな。ここは昔、緋家から焼き討ちされた寺がある場所ですね」
都へ向かう道。木曽から近江を抜け、もうすぐ京に入る。
その東から京へ入る街道には、京の東の守りとして建てられた東雲山蓮華寺という寺がある。東の武士・蛮族の侵攻を止めるため、古い時代から僧兵たちが鍛錬を積む寺として存在していた。だが近年、寺の影響力が強くなり、都の内政にも手を伸ばし始めたことから、緋紀基が焼き討ちを命じたという。当時の中務恒範王と、山城守霞宗忠、この東雲山蓮華寺の僧正蓮空が緋家打倒の密談を密告され、怒った紀基に処刑された。僧を処刑などという神仏に仇なす行いに、僧兵たちが怒り緋家に対して小競り合いを繰り返していたことも焼き討ちの理由の一つになった。
「恒影殿、やはり黙って通るわけにもいくまいな」
宗影が恒影に言う。
「そうですな。一言添えるが道というものかと」
「そういえば近頃、この東雲山は天狗を雇ったと聞きましてな」
文堅が口をはさむ。
「天狗?」
「聞いた話なのだが、天狗の面をかぶった男で、めっぽう強いらしい。僧兵たちに剣術を教えているという噂だ」
「ふうむ。奇っ怪な話だ。ほんものの天狗なら会ってみたい。どれ、おれが寺を参ってみよう」
「あ、宗影殿。おれもお供しよう」
恒影が宗影の後に続く。
「では某も・・・」
「いや、文堅にはここで皆を任せる」
文堅が行こうとするのを、宗影が止める。
「・・・・そうなのか?」
「お主にしか頼めないことだ」
「・・・そうか、なら仕方ないな!」
残念なのかうれしいのかわからない口調の文堅。
蓮華寺への門をくぐると、そこには木の香りがした。
どれも新しく立て直された建物ばかりで、仏塔も鮮やかな朱と白で塗られている。
「何か天狗に心当たりがあるのであろう、宗影殿?」
「うむ・・・・まさかとは思うのだが・・・」
「よう参られた。蓮華寺の僧正、静円と申します。木曽の御当主自らがおいでくださるとは」
静円は僧服に身を包んではいるものの、かなり大柄で体格が良いことはすぐに見て取れた。顔は温和そのものだが、目つきの鋭さはここまで武家や貴族の間でもまれながら培ってきたものだろう。
「出迎えかたじけない。少し聞きたいことがあって、立ち寄らせてもらった」
「はい、そうでしょうとも。ではこちらへ・・・」
宗影と恒影は東雲山の中腹ほどにある貴賓殿へ招かれた。
「どれもまだ新しいな」
ここも、新しい木の香りがする。畳も草の香りがして、まだ日に焼けていない。
「ご存じの通り、ここは十五年前に焼かれましてな。三年ほど前にようやく建て直されたのです」
「三年前に・・・そうであったか」
「では、お話を伺いましょう」
静円が先を促すと、恒影が口を開いた。
「うむ。我ら木曽霞家はこれより都入りする。それ故にこの東雲山を通らせていただくことになる。東雲山蓮華寺の僧兵たちは屈強だと聞いてな。我らを黙って通すか、それとも緋家に組するかを聞きにまいった次第だ」
静円は柔和な笑顔を作った。
「もちろん、緋家討伐の邪魔をする道理は我らにはありません。わが師、蓮空も同様に思いあると思われますゆえに」
「蓮空殿は静円殿の師でありましたか」
宗影が口をはさむ。
「はい。わが師蓮空は民たちの生活が苦しいことをいつも嘆いておられました。少しでも救いになることを望んでおられましたが、残念なことでした」
「では、ここは我らをこのまま通していただけますかな?」
恒影が言うと、静円は首を縦に振った。
「もちろん、お通りください。我らは決して手出しいたしません」
せっかくだから修行をしているところを見せてほしいと宗影が静円にいうと、静円は自ら案内を申し出てくれた。
「こちらが武闘殿になります」
案内された建物はかなり大きく、豪奢な飾りなどない質素なつくりの建物だった。
中へ入ると、かなり広い板の間で、ところどころに柱が立っている以外は何もなく、風通しも良く、空気がよどみなく流れていた。
少し先の方で、数人の僧たちが組手をしているのが見えた。居合の声も聞こえてくる。
木製の薙刀を持った屈強で大柄な僧たちが打ち合い稽古をしている。
その中で、ひときわ異彩な目を引く者がいた。
「あれは・・・おなごか?」
恒影が言う。
「ああ・・・二年ほど前になりますか。この寺に天狗殿と一緒に来られた娘です」
・・・天狗。
「おい、蓮華!こちらへ来て客人にご挨拶を!」
静円が呼ぶと、蓮華と呼ばれた娘が打ち合いを止めてこちらへ走ってくる。
見たところ、清葉より少し年上だろうか。長い髪を後ろでまとめ、修行僧の装束を身に着けているがやや大きいようだ。だが、走り方に無駄がないことは宗影には見てとれた。
「初めまして、お客人。我が名は蓮華と申します」
「おれは木曽宗影。こちらは霞恒影と申す。蓮華とは、寺と同じ名だな?」
「はい。元の名は”蓮”と呼ばれておりました。こちらでご厄介になる折に、寺の名を僧正殿からいただき”蓮華”と改めたものです」
よほどその名が気に入っているのか、名前のことを聞かれて嬉しそうな顔をした。
「お客人は霞家のお方なのですか?」
「うむ。木曽から来たのだ。これより都へ入るため、ここに立ち寄ったのだ」
恒影が言う。
「・・・そうですか・・・」
何か思案に耽るような顔をする。
「天狗という者に会いたいのだが・・・おられるか?」
宗影が言うと、蓮華が顔をあげて「お呼びいたします」と走って行った。
しばらくすると、蓮華が男を連れて戻ってきた。
顔に天狗の面をつけているので表情はわからないが、宗影の近くまで来て片膝をつき、頭を下げた。
「・・・・・」
声が出ないのか、肩が少し震えている。
「やはりか、久しいな・・・」
宗影が天狗の肩に手を置く。
「・・・若!」
「お知り合いだったのですか?」
蓮華が静円に耳打ちする。
「わかりません」
静円は温和な笑顔のまま首を横に振った。
「おれの名は、木曽霞宗影だ。長い務め、すまなかったな」
「いえ・・・こうして若に再び会えたこと、とてもうれしく思います」
その声は少し震えていた。
蓮華は言葉を失う天狗を初めて見た気がした。
少し二人で思い出話をしたいと、宗影と天狗は寺の一室を借りた。
「沙湯です」
蓮華が湯呑を運んできた。
「蓮華、お主も一緒にいなさい。お前たちにも関する話になる」
「はい?」
蓮華は天狗に言われて天狗の隣に座る。
「お二人はお知り合いでしたのですか?」
「それを話すと長くなるのだが・・・。わしは以前、この御方に仕えておった」
「天狗様が?そうだったのですか?」
「ああ、おれが宗影と名乗る前の話だがな」
宗影は沙湯を口に運ぶと、そう言った。
「宗影殿は、木曽で白結丸たちと会ったらしい」
「白結丸様と?どうして木曽で?なんで私たちを迎えに来てくれないのですか!?」
白結丸の名前を聞いた途端にまくしたてる蓮華。
「まあ、まて。一度はここへ来ていたらしいが、霞家の挙兵と戦が重なり、宗影殿に会うことを優先したのであろう」
「でも・・・・!」
ムスッと頬を膨らませる蓮華。
「蓮華は白結丸・・・今は淡影と名乗っておるが、よほど奴に会いたいようだな?」
「そんなことございません!あいつ、わたしのこと忘れてるんだと思う!胸の大きい女が好きだから!!」
宗影と天狗は顔を見合わせて笑った。
「笑い事ではございません!」
あまりの蓮華の迫力に、二人はビクッとなる。
「とりあえず、事情はわかった。淡影は今、奥州にいるはずだ。おれがそのように申し付けたからな。その後はおそらく伊豆の宗近のところへ行くだろう。源馬・・・ではなくて天狗は伊豆へ向かうか?」
「いえ。せっかくこうして若とお会いできたのも縁のなせること。わしはここに残り、僧兵たちに指南を続けます」
「・・・白結丸様のところへは行かないのですか?」
蓮華が不安そうな顔で言う。
「案ずるな。いずれ向こうからこちらへ来る。無駄にこちらが出向けば、行き違いも出てくるからな」
「・・・・・」
心配そうな顔の蓮華。
「あいつは大丈夫だ。ミカナもついているしな」
宗影が言う。
「・・・ミカナ?」
「ミカナとは・・・あのミカナでしょうか?宗忠殿のところへ送った陰陽師の・・・」
蓮華と天狗が宗影に聞き返す。
「うむ。おれも驚いた。あの時の姿のままだったからな」
「あの頃はまだ子供でしたが・・・・」
「まだ子供の姿のままであった。あれから十五年も経とうというのに」
「・・・ともあれ、無事だったのですな。いやはや、やはり不思議な娘ですな」
・・・・娘!?
蓮華の眉がぴくっと動く。
「他にも仲間を連れておったぞ。ひょろっと背の高い職人と、薄汚い鉄打ちと・・・。澄乃に聞いたのだが、千子の娘も連れておったそうだ」
「緋家の姫・・・浄基殿の娘でありますか?」
・・・・娘!?
ぴくっ。
「あの娘もたいそう淡影に入れ込んでおったようだから、蓮華、うかうかしておれぬぞ」
宗影からすれば、軽い冗談のつもりだった。
「・・・・あの女たらし・・・・娘娘娘・・・・・女連れで旅なんていい御身分ですことぉっ!!!」
蓮華から黒い霊気が立ち上る。
「こ、こら蓮華、そのような禍々しい霊気を放つでない!」
「天狗様!わたし、今すぐ奥州へ行って白結丸様をぶん殴ってきます!」
「待て待て!!」
「おお、冗談だ!落ち着け!」
ふたりは慌てて蓮華を制止した。
「わかった、ではおれが稽古の相手をしよう。それで押さえてくれないか?」
「宗影様とお手合わせできるのですかっ?」
蓮華は嬉しそうに両手を合わせた。
ふたりは武闘殿へ戻り、木刀を持って向き合い礼をした。
「どこからでも打ってきてよい」
宗影がいう。
「わかりました。行きます!」
蓮華が間合いを詰めて、振りかぶる。
それをいとも簡単にはじき返す。
「きゃっ!」
よろめきながらも堪える。
「蓮華、動きが大きい。それでは簡単に相手に動きを読まれる。体格では相手に勝てないからと、力みすぎだ。動きを小さくして素早く動き、一つ一つを丁寧に相手に入れろ」
「はい!」
蓮華が走る。横薙ぎに木刀を振る。宗影はそれを捌くが、ひどく感心した。
・・・ほう。
なかなか思い切りがいい。繰り出す打ち方も鋭い。
「よし、いいぞ。その調子でどんどん打ってこい!」
「はい!」
嬉しそうに蓮華が返事をする。
・・・たった一言言っただけで格段に良くなった・・・。呑み込みが早い。
カン、カンと木刀同士が当たる音が響く。
何か・・・懐かしい。墨羽に剣を教えてくれと言われたときのような・・・。
・・・墨羽?
炎蛇ノ坂で感じた、あの一瞬の迷い?まさか?
宗影の脳裏にあの時の白と黒の御体が映る。似ている。そうだ、墨羽の太刀筋と似ている。
だからあの時、相手がどこを打ってくるかすぐにわかった。毎日何十回と繰り返した動き。
「父様、まだやれます!!」
「もう一本お願いします!!」
墨羽のあの声。そして太刀筋。
体が覚えていた。
だが・・・墨羽のはずがない。
今は公家の娘だ。
戦場に出るようなことは決してない。
・・・だが、あの感じ。似ている・・・。
「えいっ!」
「あ!?」
カン!
蓮華の一撃はまっすぐ宗影の頭に入った。
「きゃーっ!!ごめんなさい!!」
・・・意外と力が強い・・・。
「しまった。気を取られてしまった・・・・」
「ああ、ごめんなさい!ちっとも当たらないから、どうせ当たらないと思って思い切り振ってしまいました!」
「・・・この力でしょっちゅう殴られては、淡影も打たれ強くなるわけだ」
宗影は頭をさすりながら納得した。
蓮華が木曽の剣豪・宗影から一本取ったことは、すぐに蓮華寺中の噂になった。
「ひゃあっくちん!!」
「白・・・淡影殿、風邪であるか?万病大敵であるぞ」
宿儀がいう。
「誰かが噂しておるな」
ミカナが悪戯っぽい顔で言うと、嶺巴が脇から寄ってきて、「お蓮だね。間違いない」と言った。
淡影たちが陸奥の国へ入って二日が立った。
「そろそろ岩島だよ。皆秀、和賀氏の屋敷ってのは大きいんだろ?」
嶺巴が皆秀に聞く。
「おれも見たことはないですが、広さだけでは京の内裏を越えると言われてますよ」
「そりゃもう町じゃないか」
「小さな村落よりはずっと大きいところだと聞いています」
「なんでもいいけど、畳の上で寝たいのう・・・」
ミカナがボソッとつぶやく。
「わたしも、体があちこち痛いです」
伊佐が言う。
「今日中には着くと思うからな。畳の上に寝かせてもらえるかどうかわからないけど、野宿よりはましだと思う。すまないな」
淡影が言う。
「ほんにいつも淡影は伊佐にだけは口調が優しいのう。妬けるぞ」
ミカナが頬を膨らませて言うと、嶺巴が追い打ちをかけてくる。
「ほんとだよ。あたしにはいっつもガミガミいうのに」
「そんなことないだろっ!」
「ほれ、それだよ!」
「・・・・・」
言葉が出ない。
「まったく、ここにお蓮がいたら手足がバラバラだね、白結丸・・・じゃなくて淡影」
にやにや顔で嶺巴が言う。
「・・・そんなに怖い方なのですか?」
顔を赤くした伊佐が恐る恐る聞く。
「ええと・・・ま・・・そうかな?力は人並外れて強いぞ」
淡影がそう言ったので、伊佐の頭の中は鬼のような筋肉娘を想像してしまった。
「・・・・怖い・・・・。そんな方と一緒に育ったなんて。淡影様、強いわけです」
「・・・何か?」
「・・・・いえ・・・・」
伊佐は首を振った。




