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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
第二章 純波

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59 純波ノ章 十伍

「敵襲っ!!」

不意に声が聞こえた。

遠くの方で味方の混乱の声が聞こえる。

「火矢を止めるな!」

宗影は兵たちに叫ぶと、敵の方へ向かった。

白い御体・・・白縫が二体、斬られている。守武は無事か?

今、まさに一体がとどめを刺されようとしている。

(うろこ)、走れ!」

『承知!』

鹿嶺王は一気に速度を上げる。間合いに入った瞬間、太刀を振る。

手ごたえはない。

「避けただと!?」

『気を抜くな!来る!』


それからは敵の御体と打ち合いになった。

・・・なんだ、この感覚は・・・。敵の打ち込みは鋭い。だが、不思議と、次に来る太刀筋がわかる。

体に馴染んだような・・・・。何か、懐かしい。

わかる。追い込める。敵を崖の方へ追い込む。

気を抜けばこちらがやられる。

だが・・・今までは鹿嶺王といえど、この速さで太刀の打ち合いをするなど到底できなかった。これが鱗の力なのか?

敵の御体が崖に足を取られて地面に倒れる。

「もらった!!」

太刀を振り上げる。


一瞬、ほんの一瞬。

清葉?

泣き顔で何かを叫んだ。

なんだ・・・・?


『横から来る!』

我に返る。馬でこちらへ走って来る者たちがいる。

「敵かっ!!」

馬に跨った兵たちが叫びながらこちらへ向かってくる。いくつかは兵たちに討たれていく。

しまった、気を取られてしまった!

その瞬間、敵の御体は立ち上がり、太刀を突き出した。

その太刀は鹿嶺王の左肩に刺さる。

「うあああっ!?」

左肩に痛みが走る。



「村伊殿!!」

守武が叫ぶ。

その瞬間、敵の太刀が逸れた。

それを躱すと、敵の御体の腕を掴む。

「落ちろっ!!」

掴んだ腕を、思い切り崖の方へ投げ飛ばす。

よろけた敵の御体の足元の崖が崩れた。

激しく動き回る御体の重さに耐えられなかったのだろう。足元が崩れ、敵の白と黒の御体は崖下の暗闇に落ちていった。

「村伊殿、大丈夫か!?」

守武の白縫が近づいてくる。

「ああ、肩をやられた。だが我らの勝ちだ・・・」

そう言いつつも、大勝を諸手を挙げて喜ぶ気にはなれなかった。


なぜおれは躊躇した?

宗影の中で、あの時のほんの一瞬が、喉元に詰まる重い石のように圧し掛かった。

あの敵は・・・誰だった?





「・・・痛い・・・体中、痛い・・・」

全身がばらばらになったような痛みがある。頭から血が流れている。

腕や脚がついているか、力を入れて確かめてみる。大丈夫、腕も脚もある。

墨羽は何とか立ち上がる。護堕天の繰り座の扉を押し開けて外へ出る。

辺りに漂う血の匂い。

沢山の死体の山。流れ出る赤い血。焼けた匂い。うっすらと登り始めた朝日に照らされる凄惨な光景。

「うっ・・・」

胃の中のものが逆流を始める。両手で口を押えて何とか堪えて、改めてあたりを見渡す。

ほとんどの死体が人だったかどうかわからない肉塊と化していた。

そして護堕天。

足はちぎれ、腕もあらぬ方向へ曲がっている。頭と胴体はかろうじて残っているが、もうそこにあの輝かしい姿はなかった。

「護堕天・・・。わたしを守ってくれたんだね・・・」

護堕天の顔に頬を寄せる。

「わたしのせいだね。ごめん。ひとりで無茶したから。護堕天をこんな目に会わせちゃった。もう連れて帰ってあげられないね。ごめん。本当にごめん・・・・」

不意に目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。

「でも、いつまでもここにいられないの。もうすぐ敵が山を降りてきちゃう。お別れだね、護堕天・・・」

その時、護堕天の頭の奥で、ぼんやりと緑色の光が見えた。

「・・・・純波?そこにいるの?」

護堕天の顔の仮面を開けようとするが、硬くて手で開かない。腰の刀を抜くと、隙間にねじ込む。

「護堕天、ごめんね!」

ばきっつ!と音がして、護堕天の仮面が外れた。

その中に薄くぼんやりと光る、子供の頭くらいの石。

「・・・純波、よかった。無事だったね」

その石を取り出して、つながっている管を外す。近くにいた死体が持っていた旗をちぎって石をくるむと、自分の首に巻き付けた。

「生き残りがいるぞ!」

遠くで敵の声がした。

「ありがとう護堕天!まだ死ねないんだ、わたし!」

墨羽は痛む脚を我慢して、思い切り走り出した。

ありがとう、護堕天。そして、ごめんね!






その夜、紀基の正室・すみは不思議な感覚に襲われ目を覚ました。

目を開けると、、枕元に誰かの気配があった。

「殿!?」

そこに立っていたのは紀基。だがその姿を見て驚愕した。

紀基は燃え盛る炎の中に立ち、焼けただれた顔でこちらを見ている。

眼球がこちらを見降ろし、皮膚が剥がれ落ち、むき出しの奥歯が白く見える。

鉄の焼けたようなにおいまではっきりと感じられた。

「殿!?いかがした!?」

慌ててすみは身を起こす。紀基に手を伸ばすが、指先が強烈な熱さに弾かれる。

「熱い!」

「・・・すみ。ここは地獄じゃ・・・。もうわしには触れられぬ」

紀基がゆっくりと口を開く。

「殿・・・・」

「わしはわしのやってきたことに悔いはない。行きつく先が地獄でも、わしはわしにしかできぬことをした・・・」

「ああ、殿・・いたわしや・・・」

紀基の体はさらに炎を纏い、焼けただれていく。

「だが、我が恩情にて命を助けた霞の子らがわしに刃を向けた・・・。それだけがどうしても許せぬ!」

瞼の焼け落ちた目をさらに広げる。

「霞宗近の首をわが墓前に捧げよ!わしには葬儀も経もいらぬ!霞の首だけが我が供養と思え!」

紀基の声が響く。だが、怒りではなく怨みの声だった。

「すみ、お主こっちへ来るな・・・」

それだけ言って紀基は炎の中に飲まれて消えた。

すみそこではっと目を開けた。指先が赤く腫れてじんじんと痛い。

胸騒ぎがして紀基の元へ急いだ。

「殿・・・・・」

すでに紀基は事切れていた。

あれほどまでの熱に苦しめられたのは、生きながらにして地獄の炎に身を焼かれていたのだろう。

未来永劫、無間地獄に休む間もなく体を焼かれ続ける。

せめて、この世の未練だけでも晴らしてやりたい・・・。






「決して口外ならん!」

孝基は血族家臣一同を集めて紀基の死を口止めした。

「これより三年、父紀基の死を世に伏せる!兵を集めろ!やがて来る木曽の霞を迎え撃つのだ!」




だが、噂というのはどこからでも漏れるものだ。

それ自体は孝基にもじゅうぶんわかっている。今やるべきは、京を捨てること。都を移す。

京の周辺には緋家に対する不満のある貴族豪族が木曽に寝返ろうとしている。

もうここに長くいることは難しい・・・。

「孝基!」

自室で思慮を巡らしている孝基の元に、母しのがやってきた。

「殿の未練、霞討伐はどうなっておるのか!?」

・・・またか。今は伊豆どころではない。木曽が大軍勢を率いてそこまで来ているのだ。

「母上、今はそれどころではありません。やるべきことは他にあります。今、父上の死を知られては、各地の不満を持つ者共が一気に緋家に反旗を翻すでしょう。今は我慢してくだされ」

「何を言うのです!今やるべきは、一刻も早く殿の未練を晴らすこと!お前は殿のあの恐ろしい姿を見ていないから言えるのです!無間地獄で今も業火に焼かれて苦しんでいるのですよ!」

・・・・それはおれが何とか出来る話ではないではないか。

「霞の首を取ったとて、地獄の沙汰は覆らぬでしょう。今やるべきは緋家の滅亡を防ぐことです」

「なんと恐ろしいことを!緋家が滅びるなどと!孝基、お前が行って霞の首を取りなさい!今すぐです!」

・・・老いたな、母上。

「ともあれ母上、今はあなたの相手をしている(いとま)はないのだ。お引き取り願おう」

「何を、孝基!今のお前があるのは殿のおかげなのですよ!待ちなさい!」

怒りに任せて叫ぶすみを、女房たちが無理やり連れていく。

孝基は大きくため息をついた。

・・・できることならとっくにやっている!



「兄者、そんなに塞ぎ込むな。柿を持ってきてやったぞ」

敦王が自身も柿を齧りながら柿を差し出す。

是基が散野原山の大敗から六原へ帰還した翌日。

何もする気が起きず、屋敷の縁側でぼんやり柿の木を眺めていた。

「・・・ああ、ありがとう」

是基は敦王から柿を受け取ると、齧りつく。

「うつ!?」

「あははは!ひっかっかったぞ!!」

知基と昭基が物陰から出てきて大笑いする。

「・・・なんだよ、渋柿じゃないか!」

「まあまあ、怒るな兄者。敦王も兄者に元気になってほしいんだ」

知基が是基をなだめる。

「・・・・」

敦王の嬉しそうな顔を見ると、それ以上怒れない。

「なあ、兄者。これからおれたちどうなるんだ?」

昭基が是基を覗き込んで聞いてくる。

「・・・どうなるとは?」

「母様が言ってたんだ。もうすぐ六原を出なくちゃいけないんだって。おれたちどこへ行くのかな?」

是基と知基は顔を見合わせる。

「・・・すまない。おれが・・・」

「心配いらない。ここを出ても、またすぐに戻って来られるさ」

言いかけた是基の言葉を遮って、知基が昭基に言う。

敦王はよくわからないといった顔で兄たちを見上げる。

「ふうん。まあ、外に出られるのはうれしいけどな」

「おれも外出たいぞ!」

敦王も柿を齧りながら言う。

「大丈夫さ。おれたち兄弟四人が一緒なら、どこへ行っても大丈夫だからな!」

知基が敦王の頭を撫でながら言った。





「宮様、中宮様。出立の御準備をいたします」

その日、朝から後宮は慌ただしかった。

女房たちが眠っている高条を立たせて無理やり装束を替える。寝ぼけ眼の高条はされるがままだ。

「何かあったのですか?」

清葉が聞くが、女房達は何も答えない。

「出立とは、ここを出るのですか?」

何を聞いても答えてくれない。

「何を隠しているのですか!答えなさい!!」

近くの女房の襟をつかむ。その女房は慄いた顔で、一番年上の女房の顔を見る。

「中宮様、ここにもうすぐ敵が来ます。京を出て、吹原(ふくはら)に都を移すこととなりました」

「ですが、敵の討伐に緋家の大軍が向かったと・・・・」

そこまで言いかけて、はっと気づく。

「・・・・負けたのですか?」

全員が目を伏せた。

その後、どこをどう走ったかわからない。後宮の中を駆け回った。

「朝子さん!!」

大江朝子は他の女房達と荷づくりに汗を流していた。

「中宮様!?そのような格好で・・・いかがなされましたか?」

「朝子さん、墨羽は!?墨羽はどうなりましたか!?」

朝子に縋るように抱き着いてくる。

「・・・・中宮様、申し訳ございません。わたしにはわかりかねます」

「調べてください!墨羽が無事かどうか!」

朝子は深くため息をついて、清葉の小さな体に手を回した。

恐れ多い朝子の仕草に、まわりの女房達は息をのむ。

「清葉様、皆の前ですがお許しを。この度の戦、緋家の大敗です。半分以上・・・それよりもっと多くの兵を失ったと聞いております。このままでは京は木曽霞家に攻め込まれ、もっと多くの人が死にます。そうならないよう、帝と中宮様、皇后様も、都を出て新しい都へ移っていただくと知らせが来ています。今は堪えてください」

「でも・・・・そんな・・・・」

「中宮様の想い人は強いお方なのでしょう?無事を信じましょう」

清葉喉元辺りから熱いものがこみ上げ、目から涙となって溢れ出た。

「・・・大丈夫ですよね。きっと。」

「はい」

清葉も朝子の肩に手を回し、ぎゅっと力を込めた。朝子は清葉の細い腕のその強さが、あまりにも切なく感じた。



「大丈夫!墨羽はきっと大丈夫!」

後宮を出る牛車に揺られながら、清葉は呪文のように繰り返していた。

「大丈夫!墨羽は絶対大丈夫!!」

「中宮様、どうかなさいましたか?」

牛車の外から女房が声をかける。

「大丈夫・・・墨羽は絶対大丈夫!!」

「中宮様?」

「大丈夫!!墨羽は大丈夫っ!!!」

「ひっ?」



孝基率いる緋家の一族、家臣たちは播磨と摂津の境にある吹原(ふくはら)へ都を移すと宣言した。

朝廷が祀る三種の神器と高条帝を吹原へ移したのである。だが、貴族たちは「落ち目の緋家などのやることに従えるか」と京を出ないものがほとんどだった。言うことを聞かない貴族や公家たちに業を煮やした緋家の一族は、木曽の霞家が都を焼き討ちすると噂を流して京を去った。それでも腰の重い公卿たちは動こうとはしなかった。根も葉もない噂よりも、緋家と行動を共にして木曽に討たれることの方が怖かったのである。

あまりに突然のことであったが、わずか三日ほどで六原は(もぬけ)の殻になった。

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