58 純波ノ章 十四
嶺巴は狛丸を寝かせようとして一緒に寝てしまった。二人とも、幸せそうな寝顔だ。
「やれやれ、嶺巴も体つきだけで結局子供よのう」
ミカナが言うと滑稽に聞こえる。思わず苦笑いする澄玲。
本当にこのミカナという娘、不思議な子だ。陰陽師の娘と聞いているが、幼い見た目に反して古臭い言葉遣いをするし、宗影が若い頃出会ったままの見た目で、十五年ほど経っているのにまったく変わっていないという。
・・・ちょっと羨ましい。
「つかぬことを聞くが・・・」
ミカナが急に重い口調で口を開く。
「何かしら?」
「お主、兄はおるのか?」
「兄?」
澄玲の中で兄という言葉が駆け巡る。
兄と呼べる人物は、何人かいる。でも・・・。
「隠さなくてもよい。お主が誰か、おれはもう知っているからの。緋紀基の娘じゃろ?」
「!」
それは、澄玲がもっとも認めたくない事実だ。
「おれが聞く”兄”というのは、緋家の浄基や孝基のことではない。そのほかに、お主に兄と呼べる者はおるのか?」
幼い頃の思い出が次々と蘇る。貧しかった頃の、想い出。母と兄と自分。それが自分、すみというしがない娘の世界のすべてだったころ。それが顔に出てしまっていたのか。
「やはり・・・。ある男の心の中にいる妹とあまりに似ておったのでな」
「兄と・・・あぎと会ったの?」
「うむ。その男は記憶をなくしておった。だが、妹を守ってやれなかった後悔と、母の命を奪った緋家への憤りだけで生きておった。おれが出会ったとき、その命にもう先はなかったがな。本人も、死を望んでいた。だが、妹だけは幸せになってほしいと、そう願っていたぞ。できるなら今のお主を見せてやりたかったな」
ミカナはにっこりと笑む。
澄玲の目からぽろぽろと涙が一気にこぼれだす。頬を伝い、膝の上に落ちてはじけて消える。胸の中に何か呑み込めないものがこみあげてくる。嗚咽が込み上げてくる。
もうずっと会っていない兄。どこかで生きていてくれればいいと、そう思っていた。
あぎも、自分のことは忘れているだろうと。だけど、ずっと自分のことを思っていてくれたなんて。あれからもずっと。
輿入れの時、姿を見ることはかなわず、声だけを聴いた。今もはっきりと覚えている。
「ゆるしてくれ、すみ!」
あれが澄乃が聞いた最後のあぎの声だった。
「兄は、あぎは幸せな最期だった?」
「・・・そうじゃな」
ミカナは嘘をついた。
「それで、これからどうするんですか?」
皆秀が白結丸に聞く。
そんなやり取りを隣の部屋でしているとは露知らず、白結丸と皆秀、宿儀の男三人は膝を突き合わせて話し合いをしていた。
「伊豆へ向かうしかないだろうな。どのみち最初はそのつもりだったから」
白結丸が言う。
「宗重殿が本来の立場を隠している以上、霞の直系たる白結丸殿が一緒にいるのはまずい。本来なら霞を継ぐのは白結丸殿ということになる。それが円転滑脱」
言いながら頭を掻く宿儀。
「できれば、木曽と伊豆が手を組んでくれるとありがたいが・・・」
白結丸がいつになく暗い声で言う。
「難しいでしょうね。伊豆の頭領、宗近殿は本流霞家の御曹司ということで諸国の霞所縁の武家たちが集まっています。それが実は兄が生きていたとなれば、離反する者も多く出るでしょう」
皆秀が言うと、宿儀が続ける。
「最悪の場合、伊豆と木曽の戦いになるやも・・・本末転倒」
確かに、宗近にとっては宗矢は表に出てきてもらってはいけない人物だ。それがわかっているから宗影という別人になっているのだろう。
「そうだな。霞同士の衝突だけは避けたい」
しばらく腕を組んで考えた後、ひらめいたように顔をあげた。
「いい案が浮かびましたか!?」
「名を付けてほしいと?」
次の日、白結丸は宗影を訪ねた。
「はい。いつまでも幼名の白結丸を名乗るわけにも参りません。名はすでに決めておりますが、兄・・・宗影殿より影の字をいただきたいと思っております」
「名付け親になれということだな。して、名はすでに決めていると?」
「母が、父上にわたしの名を決めるときに、霞家の家名の由来を話していたと聞き及んでいます。”霞は白く淡く、影を結うもの”だと。そこから白結丸という名を付けたといつも言っておりました。ですので、残りの字をいただいて”淡影”と名乗ろうと思っております」
「霞四郎淡影か。良い名だな。よし、おれの影の字をやろう」
「ありがとうございます」
白結丸は頭を垂れる。
「ならば淡影、おれからも頼みがあるのだが・・・」
「で、名前を淡影に改めたことが、いい案なんですか?」
皆秀が首をひねる。
「・・・・わからないが、兄上がいるところでしか出来ないことだと思って」
「・・・はぁ」
「淡影か・・・。まだ馴染まないねぇ」
嶺巴がいうと、伊佐がちょっと頷く。
「何を言う。おれと祝言を挙げるために名を変えたのじゃ」
そう言って淡影の腕に絡みつくミカナ。
「い、いや、そうではないけど・・・」
「ほら、そうじゃないでしょ!」
伊佐がミカナを引きはがそうとミカナを引っ張る。
「邪魔するな、伊佐!」
「そんなこと言ってないでしょ!!」
「い、痛い・・二人とも、落ち着いて!」
皆秀と宿儀は顔を見合わせてため息をつく。
「それと、兄上にひとつ頼まれたことがある」
「なんだい?」
「陸奥の国へ行って、国主和賀玄隆殿に長条討伐の礼を述べて来いと言われた」
「はぁ?なんだいそれ?ただのお使いじゃないか」
不服そうな嶺巴。
「まあ、感じてはいたのだけれど、あまりおれたちにここにいてもらうと困ることが多いのだろう」
「そりゃあまあ、そうだろうけど・・・」
「天狗やお蓮のことも気になるし、早々にここを発とうと思う」
「そうだね。東雲山にも鞍馬にもいなかったからね」
「白結・・・淡影様の馴染みの方ですね」
伊佐が言う。天狗とお蓮のことを知っているのはここには嶺巴だけだ。
白結丸と一緒に鞍馬山を出た二人は、御体のない自分たちは緋家と戦えないからと、鞍馬へ帰って行った。
唯一鞍馬で、白結丸と母・璃玖が身を寄せていた法橋尼寺の妙寂の婆には会うことが出来た。二人はここに立ち寄り、東雲山へ行くと言い残して出て行ったそうだ。
ちなみに、「熊退治に行っただけなのに何しとんじゃ!!」と滅茶苦茶殴られた。
木曽へ来る途中、落ち合う約束をした東雲山に立ち寄ったが、二人の足跡は見つからなかった。
「天狗がついているから、万が一のことはない。また会える」
その四日後、淡影たちは宗影と澄玲だけに見送られて木曽を出立した。
御体車を馬で引きながら遠ざかっていく。
「よかったのですか?追い出すようなことになって・・・」
澄玲が言う。
「仕方がない。これは木曽と緋家の戦いだからな」
宗影と恒影、文堅たちはそれから何度も軍義を重ねた。
都から最も経済的に負担のない道程で木曽へ至る道。北部街道を制圧している以上、都にそれだけの兵を養う兵糧は少ないはずだ。しかも、今年都は冷夏により作物が育たない飢饉にみまわれている。そんな中兵を送り出したということは、向こうにも後がないということだろう。
ならば敵が選ぶとするなら、散野原山の炎蛇ノ坂を越えてくる。
それが最も最短。だが、最も険しい道でもある。
「都から登ってくるにはこの山道を登ってきます」
宗影と文堅は守武を伴って炎蛇ノ坂の上に来ていた。
山の頂から下を覗き込む。切り立った崖は真下に吸い込まれるように聳え立っていて、山肌に曲がりくねった道が張り付けられているように見える。
「この山頂さえ守れば、上から敵を狙うことは容易だな」
守武が言う。
「おそらく、敵もそれを警戒して搦手から別隊を仕向けてくるでしょう」
文堅はこの辺りで育ったから、土地にも詳しい。
「他にも道はあるのか?」
「道というほどのものではないですが。小人数ならば通り抜けることもできるかと」
「そちらも見に行こう」
三人が向かった先には、道というものではなかった。ところどころに滝や川があり、切り立った崖と崖の間に小さなつり橋が据え付けられていた。
「馬で乗ったらすぐ落ちそうだな」
守武がつり橋をゆすって確かめる。
「この道を上がってくるなら、まず道づくりから始めなければなりません。今の緋家にはそのような余裕はないでしょう」
「ならばやはり、あの崖を登ってくるか」
「遠回りしたくなければ・・・いや、功を焦っているなら間違いなく」
「では、まず散野原山の上に社を築こう。そこにわれらの本隊がいると、敵に教えてやればよい」
「なるほど!そうすれば間違いなくあの崖を登ってくるでしょうな!」
それから散野原山に人足を集め、木を切り倒した。上から敵が見やすくするためである。
道のまわりには枯れ草を撒き、山頂には御体を使って大きな岩を集める。
「宗影殿!伊豆から書状が参りましたぞ!」
安影が宗影のところへ息を切らして走ってきた。
「伊豆から?宗近殿か?」
安影から書状を受け取って広げる。
「・・・やはりか」
「・・・なんと?」
「安影殿、皆を集めてくれ。そこで話をしよう」
「・・・・これは、なんとも・・・」
恒影が書状を見て言葉を失う。
「伊豆の家臣として加わるか、恒影殿を人質に出せとある」
「なんと!」
「人質とは?我らの敵は緋家であろう?」
「伊豆としてはわれらが緋家を落とすことが気に喰わぬということだな」
「本来なら富士川の戦で緋家軍をしっかり倒しておれば、このようなことにもならなかったというのに!」
「人質などとんでもないことですぞ!それではわれらが伊豆に屈したことになる!」
「そうだ、絶対に人質など渡してはならん!恒影殿は今の木曽には必要だ」
皆が口々に言う。しばらく皆の意見を待つ。
そしてゆっくりと宗影が口を開いた。
「ああ、そうだ。恒影殿を人質にするなどもってのほかだ」
「宗影殿・・・しかし・・・」
恒影が顔を向ける。おそらく、すでに人質になる覚悟をしているのだろう。
「人質としているがな、これは見せしめだ。伊豆についたら何かと理由をつけて処刑する腹積もりだろう。それは何としても許されぬ」
「では、伊豆とことを構えるつもりで?」
「今は緋家の大軍が都を出る時だ。伊豆と戦をするわけにもいかぬ」
「ならばやはりおれが伊豆へ行く」
恒影がずいと前に出る。
「それはいかん」
宗影が制す。
「だが、他に策など・・・」
「わが息子、狛丸を差し出す」
「はぁっ!?」
全員が驚きの声をあげた。
「まだ乳飲み子、それを人質など!!」
「だからだ。宗近なら、まだ何も知らぬ乳飲み子の命まで取らぬだろう。おそらく手駒として利用することを考えるに違いない。生かしておいて損はない。だからこそ、その価値のある者を引き渡さねばならん」
「宗影殿・・・・・」
全員が当主としての宗影の決意に言葉を失った。
数日後、護衛の兵数人と乳母たちに抱かれて狛丸は木曽を出た。
澄玲は遠ざかっていく狛丸を遠くで見ていた。
「これも、戦い・・・」
自分に流れる緋家の血というものは、どこまで業の深いものなのかと涙した。
辺りはしんと静まり返っていた。夜の山頂は初夏でも寒い。
昨日、火打城があっさり落ちたと知らせが入った。あまりに早い。敵も本気ということだろう。
崖から下を見下ろす。山道のところどころに火がついているのが見える。焚火で暖を取っているのだろう。だが、それが投石の目印になる。
「はじめっ!!」
宗影が合図すると、白い御体が前に出て、用意した岩を崖から落とす。
下の方で騒ぎ声や岩が砕ける音が響いてくる。
御体が岩を取りに下がると、火矢を持った兵たちが前に出て、崖下めがけて矢を放つ。
敷き詰めた枯れ草に燃え移り、下の方は一気に火の海と化した。
続いて御体が前に出て岩を落とす。それをただ繰り返していく。
敵は崖下で慌てふためき、勝手に自滅していく。崖から転落する者、火に巻かれて燃え尽きる者、岩につぶされる者。
文堅、文成、直兼の三名が昼間のうちに緋家の別隊を討ったと知らせが来た。
ここには守武とわずかな手勢しかいない。
だが、おそらく敵はここまで来られないだろう。
そう思っていた。




