56 純波ノ章 十二
「これが・・・・慶秀の遺作か・・・」
宗晴と恒影は屋敷の御体蔵にいた。白い御体が並ぶ中、一番奥にその御体がいた。
黒鉄色と木目のまま、色を塗られずにいる。だがその美しい木目はそのままで美しい。頭に二本の角、腕や脚は今まで見たどの御体よりも細く、しなやかだった。
「はい。慶秀の遺作にして最高傑作と呼ばれております。名前は鹿嶺王」
「鹿嶺王・・・素晴らしい」
「この身軽さでどの御体にも負けない強さと頑丈さを持っています」
「しかし、なぜここに慶秀の御体が?」
「はい、かつて慶秀殿は飛騨にて匠の育成をしておりました。そこで、父が御体を依頼したのですが、なかなか首を縦に振らなかったそうです。ですが、いずれ宗晴殿がここへ来て、木曽霞の軍頭になると話したところ、ようやく腰を上げてくれたと、父は話していました」
「慶秀らしいな・・・」
「慶秀殿をご存じで?」
「ああ、都で少しだけ話をした。殺し合いの道具を作ることに嫌気がさしたと言っていたよ」
「はい。真面目で誠実な方だったと聞き及んでおります」
「今、動かせるのか?かなり埃がたまっておるが」
「はい・・・ですが・・・」
恒影は顔を曇らせる。
「今まで、いろいろな者が試しに動かしてみようとしたのですが、誰も思い通りにいかず。ほとんどが暴れ出す始末。木曽に着いていきなりお怪我などされてはと・・・」
神妙に言う恒影。
宗晴はニヤリと笑うと、鹿嶺王の繰り座にかかる梯子を上り始めた。
「何事もやってみないと気が済まない質でな!」
「あ・・・・・」
何か言いたげな恒影だったが、それを飲み込んだ。
鹿嶺王の繰り座は窮屈だったが、不思議と嫌な感じはしない。体に合わせて作られたような、ぴったりと収まった。
「では鹿嶺王、おれの言うことを聞いてくれるか?」
御霊石を両手で握ると、石はぼんやりと緑に光る。
・・・久しい感触だ。魂が吸い込まれていく感触。そして、ひとつになる。
鹿嶺王はゆっくりと歩き出す。
「・・・おお!!」
恒影が驚きの声を上げる。
「鹿嶺王が、言うことを聞いた!さすがだ・・・・」
「恒影殿、少し馴染むか試したい!誰か、相手をしてくれる御仁はいないか?」
「はい、ならば古越殿を呼んでまいります!」
御体同士が組手をするという話で、回りには屋敷の武士たちが集まって周りを取り囲んでしまった。
「大事になってしまったな!」
「すみませぬ、宗晴殿!古越殿を探していたら皆集まってしまいました」
「よかろう、これから世話になる挨拶代わりだな」
鹿嶺王の前に、長い木刀を持った白い御体が進み出る。
「はじめてお目にかかる!我が名は古越文堅と申す者。村井宗晴殿、以後お見知りおきを」
「古越殿であるな、今後よろしく頼む」
鹿嶺王も木刀を手に取る。
「では、参る!」
白い御体”白縫”が走り、間を詰める。
振り上げた木刀を鹿嶺王めがけて振り下ろす。
かん!と乾いた音がして、木刀同士がぶつかる。
鹿嶺王はそのまま木刀を横へ払うと、するっと白縫の後ろへ回る。
「速い!?」
目で追えないその速さは、まるで視界から消えたように感じた。
次の瞬間。
背中に何か突き付けられた感触が古越に伝わる。
「ああ・・・・、参りました」
場がどよめく。
「古越どのが一瞬で!?」
「生身でもあの素早さは難しいぞ!?」
「本当に初めて乗った御体なのか!?」
鹿嶺王と白縫は向かい合ってお辞儀をする。
「いやあ、本当に初めてとは思えぬ早業でした!」
恒影が鹿嶺王から降りた宗晴に駆け寄ってくる。
「これは、参りました。木曽にはおれに敵う者がいないと嘆いておりましたが、これからは精進に励めそうですぞ!」
そういって声をあげて笑う古越文堅。声の印象で思っていたよりも、ずっと小柄で華奢な男だ。
「兄者から一本取るなど、木曽ではこれ以上誇らしいことはないぞ!」
そう言ってきたのは古越文堅の弟、古越文成。兄よりも背が高く、がっしりした躯体の男だ。
「まったくだ。いつも俺より強い者がおらんと縁側で猫の頭ばかり撫でておるから腕がなまるのだぞ!」
そう言ったのは、水沢直兼。
「やっと文堅殿の鼻を明かしてくれる御仁が現れて、胸がすっとしましたぞ!」
そう言って宗晴の肩を叩いたのが、岡倉守武。
この四人が木曽の霞の忠臣として控えている。恒影からそう聞いている。
「なんじゃ、お主ら!おれが負けたのがそんなにうれしいのか?」
「ああ、うれしいとも!これで”木曽一番の武者!の称号は返上だな!」
守武がにやにやして言うと、文堅は悔しそうにぎりぎりと歯を鳴らす。
「ならば守武、次はお主がおれの相手をせい!滅多滅多にしてやる!」
「おうとも!今日こそはおれの勝ちだ!」
ふたりは睨み合うと、それぞれの白い御体に乗り込んでいった。
「おう!やれやれ!!」
「ぶっ飛ばしてしまえ!!」
他の者たちが囃し立てる。
「・・・いつもこのように賑やかなのか?」
「ははは・・・今日は特別かもしれませんが・・・」
苦笑いの恒影。
「仲が良いのは良いことだ」
そう言って宗晴も笑った。
木曽霞家の当主、霞貴影が逝ったのはそれから半年後だった。
貴影は床に恒影と安影を呼び、宗晴殿と力を合わせて木曽を盛り立てて行けと言い残して永眠した。
あまりに安らかな亡き顔に、みな次の言葉を待っていたところ、すでに息を引き取っていたという。
貴影の弔いがひと通り済んだあと、宗晴は恒影・安影の兄弟と、古越文堅・文成兄弟、水沢直兼、岡倉守武を集めた。
「宗晴殿、今日は奥方もご一緒か」
恒影がいう。
「ああ。澄玲にもかかわる話だ」
澄玲も一同に頭を下げる。
「では、そろったので始める。この度、貴影殿ご逝去によって、木曽霞家を預かることになった。家の当主は恒影殿に就いてもらう。だが、木曽の領主としておれが就く。それに合わせ、名を改めることとした」
「ほう、していかに?」
文堅が前に乗り出す。
「霞家の名を継ぐ。そして御当主だった貴影殿から、影の一字をいただくこととする。よって、霞宗影と名乗ることとした」
「おう、良き名だ!」
文成が声を上げる。
「おれは村伊殿と呼んでしまいそうだが」
と守武が言う。
「まあ、それでもかまわない。好きに呼んでくれ」
少し笑って、宗晴が言った。
「で、話というのはそれだけではなかろう?」
安影が促す。
「うむ。先ほど、これを受け取った」
宗晴が懐から書状を取り出し、恒影に渡す。
「・・・これは!?」
全員が身を乗り出して覗き込む。
「帝から直々の勅令だ。霞家一同を挙げて、緋家を討てとある」
「おおっ!」
「本物か!?」
「ああ、ここに帝の印がある」
皆がざわめくのを押さえて、宗晴が続ける。
「それと時を同じくして、越中の霞凪高殿より知らせがあり、越後の長条氏がわれらの都への道を断つべく、越中へ進軍したと知らせが入った」
「・・・我らに越中を討て、というわけですな?」
「そういうことだな」
直兼の言葉に恒影が頷く。
「では、我らの行動は一つしかあるまい?」
「うむ。長条氏を討ち、越中の霞家を木曽に取り込む」
文成が言うと、文堅が答えた。
「そういうことだ。そこで、澄玲と安影殿に木曽の留守を任せたい」
宗晴が澄玲を見る。澄玲は何も言わずに頷く。
「御前殿に?」
安影が驚いた顔で宗晴を見る。
「うむ。これでも兵法や武芸には長けておってな。おれでも十本に一本は取られる」
一同がざわめく。
「む、村伊殿でも?十本に一本と?おれでも一本も取れないのに?」
守武が驚きを隠せずに言うと、澄玲は宗晴の尻をぎゅっとつねる。
「うっ!?・・・すまぬ!五本に一本は取られる」
その場の全員が顔を見合わせる中、澄玲は何も言わずににっこりと微笑んだ。
「それと、澄怜の腹には子がおる」
「・・・・はあっ!?なぜそれを先に言わんのですかーっ!」
恒影の叫びが木曽の山に木霊したように感じられた。
霞宗影の率いる木曽軍は北上を開始し、三日後には越中に入った。
「木曽殿、この度は真にかたじけない」
越中守霞凪高は涙を流して感謝した。
「まだ、戦の前だ。勝ってから涙を流すがよい」
「いや、生きて木曽殿にお会いできる日が来たことに泣いているのでございます。いかようにもお応えいたしますゆえ、我ら越中一同、木曽殿に忠誠を誓います」
そう言って頭を垂れた。
「越後の長条は当主長条依衛が率いる軍が一万、御体は五体。長男の長条江良の軍が一万五千、御体は三体。後は七千が後方に控えています」
凪高が一同に説明を続ける。
「この街道沿いに進んで、我が越中国府へ進軍すると思われます。そうなれば、敵を迎え撃つのに最も良い場所とはここ」
地図の上に指を立てる。
「千畳川と寧川の間、ここに広い原があり、街道はこの日本の川の間を通っています。数に劣る我らにとっては、この地が最も有利に戦えると思われます」
全員が凪高の言葉に頷く。
「さすがだな、凪高殿。ではそこで敵を待伏せいたそう」
凪高の言った通り、長条は千畳川に沿って進軍を続けてきた。
木曽の軍勢は川に挟まれた中洲のような何もない野原に陣取り、長条を迎え討つべく支度を整えていた。
「両側を大河に挟まれた地では、大軍は思うような動きがとれません。われわれには五千ほどの兵しかおりませんが、地の利を活かせば勝機はじゅうぶんあります」
白い御体の文堅が鹿嶺王に近づいてきて言った。
「逆に言えば、この手勢で長条に勝てぬなら、緋家を滅ぼすなど到底無理なこと。この戦を緋家滅亡の始まりとせねばならん」
「もっともですな」
太陽が高く昇るまでは快晴だった天候が、急に黒い雲が立ち込めて土砂降りの雨になった。遠くから雷鳴も響いてくる。
「この辺りは雨になると沼地になるゆえ、兵の足元がとられます」
白縫の中から文堅が言う。
「川も水が増えます。もう敵に逃げ道はありませんな」
守武が愉快そうに言う。
「それはお互いにだがな!」
直兼が皮肉っぽく言うと、守武が「違いない!」と言って大笑いした。
「来たぞ!」
雨音に紛れるようなこえで、文堅が静かに言った。
「皆の者、聞け!我が霞の守護は青龍なり!青龍は水の化身!この雨、川の流れ、全てがここに我らに勝てと導かれた!この戦を緋家滅亡への足掛かりとする!」
「おおー!!」
宗影の叫びに一気に士気があがる。
「我に続けーっ!!」
「おおーっ!!」
鹿嶺王が走り出すと、兵たちが鬨の声をあげながら続いて走り出す。
雨は一層強さを増し、雷鳴も真上に轟くようになってきた。
兵たちはぬかるみに足をとられながらも、必死に前へと進む。
「しかし、村伊殿はなぜ、この沼地でもあのように動けるのだ?」
守武が感心して言う。白縫の足が思うように歩けなくて何度も倒れそうになる。
「そもそも、我々とは違うのだ。何が起きても納得できるぞ、おれは!」
文成が答える。そういう文成もぬかるみに苦戦している。
だが前を行く宗影の鹿嶺王は身軽に飛び跳ねながら敵を蹴散らしている。
その泥がこちらまで跳んでくる。
「おい、二人とも、見ているだけでは宗影殿の一人戦だぞ!?」
文堅の白縫が二人に近づいてくる。
「だが、これでは・・・ついていくのも難しい」
「そうだ兄者。このままではすべて宗影殿の手柄になってしまう」
「手柄よりも、このままだと宗影殿の鹿嶺王が孤立する。敵は数が多い。何とかついていくぞ!」
守武と文成は頷くと、白縫を前へ走らせる。
鹿嶺王は宗影が思っていたよりもずっと滑らかで軽い。
この沼に足をとられることもなく、まるで水の上を走るように軽かった。
「できるだけ敵の数を減らさなければ!」
その思いで太刀を振る。あっという間に辺りは血の赤い水たまりが広がり、泥へと吸い込まれていく。
多勢に無勢、どれだけ斬っても敵の数が減る様子がない。
「ここで負けるわけにはいかない!」
気持ちを奮い立たせる。
前へ、前へ。敵の中を切り込んでいく。
すると雨で霞む視界の遠くに、いくつかの大きな影がゆらりと動くのが見えた。
こちらへ近づいてくる。その影はやがてはっきりと見えてくる。四体の朱色の御体。一体には顔がついている。
「やっと、長条にたどりついた・・・」
だが、あたりはぐるりと敵に囲まれて、鹿嶺王は完全にひとり孤立してしまっていた。




