55 純波ノ章 十一
その御体はゆっくりと体を起こすと、太刀を低く構える。
護堕天も次の一撃に備える。
次の瞬間、二本角の御体が間を詰める。
「速い!?」
二本角の一撃を太刀で受け止める。
体をよじって反転し、振り向きざまに太刀を振る。
二本角はのけぞって躱し、起き上がると突きを繰り出す。
護堕天が上半身を左右に振って避ける。
その突きを太刀で跳ね上げると、空いた胴に一閃を振る。
二本角はくるりと躱し、太刀を構えて距離をとる。
護堕天はさらに踏み込んで太刀を打ち込む。
二本角がそれを太刀で受け、ぐいと前に踏み込む。
太刀の刃を合わせた格好で押し合いになる。
二本角が太刀を上へ跳ね上げると、返す刀で斬りかかる。
護堕天が後ろへ跳んで躱し、その勢いのまま後ろへ回り込み、斬りかかる。
二本角は身をかがめて地面を転がると間を取って立ち上がる。
・・・何、これ!?
どれだけ斬り込んでも、当たらない・・・・。
今までなかった。
富士川の時も、この炎蛇ノ坂でも。すべて一撃で片づけてきた。だけど・・・・。
この敵は・・・・。
楽しい!!
なにかが胸を熱くする!
まるで、まるで・・・・・。一瞬、あの時の光景が頭をよぎる。笑顔の清葉。そして・・・・
「己に生き延びる理由があるなら、相手が親でも姉妹でも友であっても、刃を向けてくる者は斬らねばならない。それは迷ってはいけないことだ。刀を持つということはそういうことだ。自分が死ぬ覚悟、誰かを殺す覚悟ができている者にだけ、生き残ることが出来る」
父様が剣技を教えてくれた時に、そんなことを言っていたっけ。蝉の声がうるさい日だった。
「たとえば、父様はわたしが敵なら迷わず斬りますか?」
「そうならぬように神仏に毎日祈っている」
清葉が縁側に腰掛けてこちらを見ていた。
「やるよ!純波!!護堕天!!わたしに力を貸して!!」
護堕天の御霊石がいっそう光を強く放った。純波が墨羽に答えたようだった。
墨羽は二本角に向けて護堕天を走らせる。
是基の羅刹は上から降り注ぐ火矢の雨に足止めされていた。
「兄者、岩が落ちてこなくなった!今のうちだ!山を降り、都へ戻れ!」
知基の魁怨が羅刹の腕を掴む。
「できぬ!お前は逃げろ!おれは最後まで立派に戦ったと父上に伝えろ!」
「何を馬鹿な!」
その足元を馬に跨る志摩綱典たちが駆け抜ける。
「殿!ここはわれらが引き受ける!早く山を降りられよ!!」
「綱典!!」
是基が叫ぶ。
綱典の乗った馬はすぐに夜闇の山道を遠く走って行った。
それに続いて数人の兵たちの馬が羅刹と魁怨の脚の間をすり抜け、山を登っていく。
「待て!!おれが行く!!離せ、知基!」
「まだわからないのかっ!!ここにいる誰もが、兄者を生かすために死んでいるんだ!ここで兄者が死んだら、誰も救われないだろうが!!」
「何を言うか!総大将が兵を見殺しにしておめおめと生き恥をさらすなど!」
「兄者が死んだら、誰がここで死んだ奴らの弔いをする!?誰がここで奴らが勇敢に戦ったことを伝えるんだ!?しっかりしろ!何のための総大将だっ!!」
「それをお前にやれと言っている!」
「皆がお前を生かすために死んでいるんだっ!!」
不意に是基の体から力が抜けた。
「・・・・・・・」
目の前がふわふわとして、ここにあるどれもが現実と思えない。夢のようだ。悪い夢のようだ。
「・・・・全軍、退却!!引き返せ!」
是基の叫び声が谷底に木霊した。
「どうしても、大将の首を取らないといけないの!!」
護堕天は太刀を振る。
二本角がそれを受ける。ぎいん!と金属の当たる音、火花が散る。
「まだまだ!」
護堕天が素早く太刀を繰り出す。そのすべてを受け流すと、二本角が一気に間を詰めて一撃を放つ。
ひらりと躱す護堕天。
「・・・何だこれは!?」
岡倉守武は目の前で起きていることが信じられなかった。
・・・御体とは、このように素早く動けるものなのか?
息をつく暇もない。助太刀したいが、入り込む隙もない。
敵の御体・・・たしかに女子の声だった。
二本角の御体、鹿嶺王の村伊宗影殿と互角に張り合える者など、木曽には誰もいない。女子にそんなことが?
だが、気づいているのだろうか?少しづつではあるが、敵の御体が崖に追いやられている。
『墨羽、もう後がない。下がるでないぞ!』
「わかってる!」
護堕天の半歩後ろには崖の奈落が広がっている。夜の闇の中、谷底が燃えている光が見える。
二本角が上段から太刀を振り下ろす。護堕天がそれを太刀で受けると、闇の中に火花が散る。
『力比べは不利だ!このまま崖から落とされる!』
「・・・くっ!!」
二本角の力は護堕天よりずっと上だ。じりじりと崖に押し込まれていく。
足元の岩がパラパラと下へ落ちていく。
次の瞬間ー。
護堕天の足元の岩が崩れ、護堕天は地面に這いつくばる形で倒れ込む。
「うわぁつ!?」
『まずいぞ!』
倒れ込んだ護堕天に、二本角が大きく太刀を振りかぶる。
「避けられない!!」
一瞬だった。周りで見ている誰も、その一瞬の時間に気づかなかっただろう。
だが、その瞬間を墨羽は感じた。
あれ、遅い?
・・・・迷っている?
「うわぁああああああ!!」
そこへ、馬に跨った緋家の兵四人ほどが、叫びながら二本角に馬ごと体当たりしてきた。
他にいた誰も、彼らの侵入に気づかなかった。夜の闇の暗さと、誰もが御体同士の戦いに気を取られていたからだ。
二本角は振り上げていた太刀を、急遽その馬の兵たちに向けた。
老兵の首が飛ぶ。馬は嘶いて倒れ、綱典の体は血を吹き出しながら宙を舞って、首と別々に地面に落ちた。
「今だ!!」
その隙を墨羽は見逃さなかった。
倒れたままの姿勢で二本角に太刀を突きさす。
咄嗟に躱そうとしたが、護堕天の太刀は二本角の肩に突き刺さった。
「ぐあっ!?」
声を上げる。
そのまま太刀を引き抜く。
「とどめ!!」
もう一度、太刀を突き出す。
「村伊殿っ!!」
守武が叫ぶ。
え?村伊?
その声に一瞬気が逸れた。
二本角は突きを半身で躱すと、護堕天の腕を掴んで勢いそのまま振り回し、崖の方へ突き飛ばした。
「しまった!!」
よろける護堕天を二本角が蹴り飛ばす。
宙に浮く。
闇の中へ落ちる・・・・。
栄昌十年
父・宗晴が二人を呼んだ。
「清葉、墨羽。少し話がある」
普段の優しい口調とは違い、ひどく重々しい口調だったことを覚えている。
「・・・・・・」
何か、いつもと違う空気を感じ、言葉が出なかった。隣の清葉も同じように何か感じたのか、下を向いて黙っている。
清葉の父、村伊宗晴は大柄で恰幅もよく、いつもは柔らかな笑顔を絶やさない。だが、この時はひどく思いつめたような厳しい顔をしていた。隣にいる母、澄玲も、いつもの優しい顔ではなく、陰のある表情で二人を見ている。
「清葉はもう十になる。墨羽も・・・それほど変わらない歳だと思う。実は、私たち村伊家が世話になっている中納言橘朝臣殿とある約定がある」
「・・・約定?」
清葉が聞き返す。
「うむ。橘殿に子がなかった時、清葉、墨羽が十になったら養女にするという約定で、わたしたち村伊はここに住まわせてもらい、糧を得ていたのだ。黙っていたことは済まなかったと思うが、幼い頃のお前たちに話すべきではないと思っていた」
「・・・・それは、わたしたちは父様や母様と別れて暮らすということですか?」
「そうなるな。中納言殿の娘として、これから生きていくことになる」
中納言橘満良と妻の紀子はふたりが幼い頃からよく遊んでくれていた。自分の子のように二人を可愛がってくれて、幼心に”やさしいおじさんとおばさん”の印象しかない。
「・・・ですが、父様と母様も近くにいてくれるのでしょう?たまにここへ帰ってきても構わないのですよね?」
墨羽が言うと、宗晴は首を横に振った。
「お前たちを送り出した後は、わたしと澄玲は遠くへ行くことになっている。わたしたちにはどうしてもやらなくてはならない仕事があってな」
「それが済めば、戻ってこられるのですか?」
「・・・そうかもしれない。だが、違うかもしれない。人の世というのは先がわかるものではない。だができる術があるのなら、必ずお前たちに会いに来る。それはわたしも澄玲も思いは同じだ。お前たちはわたしたちの大切な娘だからな」
墨羽がなんとなく宗晴から目を逸らし、清葉を見た。清葉はすすり泣いていて、顔を両手で覆っていた。澄玲がそばに行って清葉の肩を抱いた。そして何度も「御免ね。御免ね」と言った。
こんな時に泣けるのがうらやましい。清葉はどんな時も感情を表に出せる。墨羽にはそれができない。
何といえばいいのだろう?感情に任せて叫べばいいのだろうか?それとも、黙って受け入れるしかないのだろうか。そして絞り出した言葉が・・・。
「清葉と一緒なら、わたしは構いません」
胸の中にもやもやと漂うものは、不安なのだろうか?怒りとは違う。悲しみでもない。
言葉では言いようのないものを胸の真ん中に感じたのを覚えている。
墨羽たちが橘の養女となった後、村伊は旅に出て行った。
どこへ行くのかはついぞ教えてくれなかった。
墨羽と清葉は二人で作ったお守り袋を二人に渡した。とても器用に作る清葉に対して、墨羽のお守り袋は不格好だったが、宗晴と澄玲は目を赤くして喜んでくれた。
別れの寂しさをいつまでも引き摺らずに済んだのは、ひとえに橘満良と紀子が村伊以上に二人にやさしく接してくれたからだろう。翌年には斑王丸という弟も養子に来た。二人は赤子がかわいくて仕方なかったし、墨羽にとっては清葉が楽しそうに毎日を暮らしているだけで幸せだと感じられた。
「父様と母様、どこでどうしているのでしょうね・・・」
ある夜に、二人で月を見ていた。
ふたりで手を繋ぎ肩を寄せ合って見上げる月は優しく笑んでいるように見える。
こんな夜が、毎夜当たり前に続いていくとその時墨羽は思っていた。
「久しくしております。貴影殿」
木曽霞家の当主、霞貴影は半年前から病床にあった。
病に伏したことが、宗晴を木曽へ呼んだ主な理由であろうと、宗晴は貴影の顔を見て思った。
歳は五十と少しだということだったが、髪は抜けて顔に皺も刻まれ、青白い顔色がいっそう歳を寄せて見えた。
「よう来てくれた・・・。おお、父上によく似ておるなぁ・・・」
「・・・・・」
「おう、そうじゃったな。宗晴殿。いかんいかん。歳をとると、物忘れが激しゅうて・・・。昔のことは覚えておるのに・・・」
そう言いながら貴影が体を起こそうとしたので、宗晴はそれを制した。
「では、息子たちを紹介せねばならんな・・・。誰か、恒影と安影を呼べ」
呼ばれてきたのは、二人の青年だった。歳は十八から二十歳くらいだろう。それほど二人とも歳は離れていないように見える。
「わたしは木曽霞太郎恒影と申します。お話は父から伺っております」
「わたしは同じく次郎安影と申します」
ふたりは床に拳をついて頭を下げる。
「宗晴殿は客人であり、我が木曽霞家の当主としてお迎えしたのだ。しっかりお仕えいたせ」
「はい、父上。宗晴殿、これからよろしくお願いいたします」
恒影がもう一度頭を下げた。
「すまない。これから厄介になる。その分の仕事はさせてもらうつもりだ」
宗晴も頭を下げた。
「では、屋敷を案内いたします」
恒影が言う。
「頼む」
「兄者、ちょっと・・・」
物陰から安影が恒影を呼ぶ。
「御免」
宗晴を残して恒影は安影のところへ行く。
「どうした?これから宗晴殿を・・・」
「いいのか、兄者。これでは本当にあの者に木曽霞家を乗っ取らっれてしまうぞ?」
「何を言う。これまで散々話し合ったではないか。我らが霞家を名乗り続ける以上、仕方ないことだと」
「だが、やっぱりおれは素直に納得できん!本来この木曽霞家は兄者が継ぐものだろう?」
「いい加減にしろ。宗晴殿を待たせておる。その話は後で聞く」
「・・・」
恒影は宗晴のところへ戻って行った。




