54 純波ノ章 十
火打城の戦いの後、墨羽は総大将の緋是基のところへ呼ばれていた。
墨羽一人で呼ばれたことに実継は心配でならない様子だったが、「子供じゃないですからね」の一言で実継は黙ってしまった。
「そなたが橘墨羽と申す者か?えらく幼い娘児だな」
「はい、大将殿。橘墨羽、お呼びにより参上いたしました」
片膝をついて頭を下げる。
「この度の働き、見事であった。褒賞として此度の大戦の先陣を主に任せる。やってくれるな?」
「はい。ありがたく務めさせていただきます」
「うむ。主のような幼いおなごが先陣とは、他の者に笑われよう。だが、その働きによって皆の鼻を明かしてやるがよい」
「御意に。お任せくださいませ。期待以上の働きをお見せいたします」
墨羽の愛らしい姿かたちにそぐわない力強い物言いに、回りの者たちは笑いをかみ殺した。
「いつから緋家の兵軍は稚児処になったんだか・・・」
緋将基は自慢の髭を撫でながら憎まれ口を叩いた。
愚痴も言いたくなるほど、加賀と越中の国境は山道だらけで、大軍の行軍には困難を極めた。
「口を慎め」
志摩綱典がたしなめる。
「だが、志摩殿。あのような幼いおなごが先陣と、他の者たちが黙っていますまい」
「・・・・・」
「是基殿なりのお考えがあると言っても・・・是基殿もあの若さではなぁ・・・」
「この戦は何があろうと負けるわけにはいかぬ。緋家は今、追い込まれておるからな。朝廷も裏切り、各地で霞が挙兵している。後がないことは是基殿とてじゅうじゅう承知である」
「だがな、志摩殿。どうも是基殿は功を焦っておられる。この峠道、休みもせずに毎日歩き続けておるではないか。兵たちも疲弊しておる。今、敵に遭遇したら何も発揮できぬまま、崖から谷底へ真っ逆さまじゃ」
見上げる散野原山には、山肌に絡みつくように螺旋状の山道が続いている。その険しさから、炎蛇ノ坂の修羅越と呼ばれていた。
切り立った崖のような岩肌がそびえ、小高い丘のように延々と上に伸びている。
「だが、ここを登れば越中に入る。あと一息だ」
「この山を登るのですか!?」
墨羽が見上げると、新緑の中にぐねぐねと続く山道が、やけにはっきりと見てとれる。軍行の先の方はすでに山の中腹に達しようとしている。
「ここからは勾配が強いので馬に乗っていると危ないです。降りて歩かないといけません」
実継は馬から降りて、荷物をすべて馬の鞍に乗せた。
「できるだけ身軽にして、息を整えながら登りましょう」
「・・・ほかに道はないのでしょうか?」
「おや、墨羽殿にも苦手なものがございましたか?回り道もできますが、山を回ると数日余分にかかる上、敵の正面に出る形になります。ここを登った方が戦としては得策でしょうな」
「・・・ですが、もうすぐ日が暮れます。このままだと山道の途中で野営することになってしまいます」
「そうですね。本来なら麓で夜を明かして朝から登り始めるのでしょうが・・・」
「焦っているのでしょうか?」
「・・・そうかもしれませんね」
「疲労は大敵ですからね」
「・・・・墨羽殿、時折媼のようなことを言いますよね?」
実継の言いように、墨羽はムスッと頬を膨らませる。
「あ・・・失礼なことを申しました。ついつい・・・」
山間の日暮れは早い。
あたりが赤くなって薄暗くなったと思うと、すぐに暗闇に包まれる。月明かりは足元を照らすほど明るくはなかった。
行軍中の兵たちは思い思いに火を起こして山道で野営することになった。
「墨羽殿の心配した通りになってしまいましたね。山道で野営なんて・・・」
実継が山の上の方を見上げている。
「こうして見ると、山のぐねぐねした道が炎の光でつながっているようですね」
兵たちの焚火の明かりが、山の螺旋状の道に沿っておぽつりぽつりとつながっている。
「・・・こんなにはっきり見えるんですね」
「そうですね。普通は山には木が多いので、ここまではっきり見渡せる山は珍しいですね。ですのでこの辺りの民も、この山道を通るらしいですよ・・・どうかなされましたか?」
山の上あたりを見つめる墨羽。
「あの山を越えたあたり、明るいですが・・・火でしょうか」
墨羽が指さした山の頂上の向こう側。切り立った崖の上に赤い光がかすかに動いている。
「・・・人・・・でしょうか?」
実継が言い終わる前に墨羽は護堕天に向かって走り出す。
「皆さんに警戒するように言ってください!わたしは先に行きます!」
「す、墨羽殿!!」
実継に任せて墨羽は護堕天に乗り込む。
「ただの思い過ごしならいいのですが!」
護堕天は立ち上がると、一気に崖の岩肌を走り出した。
この時、行軍の先頭にいたのは副将緋将基だった。
数人の兵たちと火を囲み、昼の行軍の疲れを眠りで癒していた。
岩場が固くてどうにも眠りづらく、寝返りを打った時だった。鼻のあたりに小石がパラパラと落ちてくる。何だろうと目を開けて上を見ると、丸い月が浮かんでいて、あたりはほんのり明るい。
「・・・月から石が落ちてきたか・・・」
将基が再び眠りに落ちかけたその時だった。
将基のすぐ隣で眠っていた兵の真上に巨大な岩が落ちてきた。
ずううん!!と腹に響く大きな音を立てる。血しぶきをあげて肉がつぶれる。
「なんだ!?」
将基が慌てて上をもう一度見上げる。
すると、散野原山の頂上付近、ここからかろうじて見える辺りに、巨大な黒い影が数体動いているのが見えた。
「て、て、敵襲ぅっ!!!」
叫ぶその瞬間、将基の視界は落ちてきた岩で塞がれ、真っ暗になった。
「何があった!?」
是基が叫ぶと、知基が近くに走ってきた。
「兄者、敵だ!木曽の連中が上から岩を投げている!」
「何だと!?」
この山道の行軍を襲われることを警戒して、松永道近に陽動隊を組織させていた。
道近は別の方向から山頂の木曽軍に攻撃を仕掛け、本体が山を登りきるまで引き付ける手はずだった。
「道近がしくじったか!?」
「もうそれどころではない!いったん引こう!」
「・・・・引く?そのようなこと、できるか!!」
「しかし、奇襲されては!それに、敵は山の上だ!こちらの矢は届かない!でも、向こうの矢は降って来る!」
「馬を出せ!御体のある者は御体を出せ!一気に山を登る!!」
「無茶だ!この暗闇では崖から落ちるぞ!」
聞く耳持たない是基に、知基が叫ぶ。
是基は知基の襟をぐいっと掴むと、眉を寄せて睨みつけた。
「知基、今ここで手柄を挙げなければ、どのみち我らに明日はない!」
「兄者・・・・」
是基が知基を突き飛ばすと、知基は地面に落ちる。
「羅刹で出る!他の者も、ついてこい!!」
「御体で上から岩を投げている!」
墨羽は護堕天を走らせ、道のない崖を登っていく。
兵たちの悲鳴、叫び声が聞こえてくる。
「・・・この辺りの木は、あらかじめ切り倒されている・・・。そして・・・枯れ草・・・・」
新緑が出てくる季節だというのに、道にはやたらと枯れ草が舞っている。
「・・・・岩の次は、火か!」
それはまるで星の雨のように見えた。
赤く光る流れ星が地上に降り注いだように、無数の火矢が混乱状態の軍の隊列に襲いかかる。
地に落ちた矢の火は敷き詰められた枯れ草に燃え移り、あっという間に広がると付近を昼間のように照らした。
「・・・早く上までいかないと!」
護堕天をさらに早く走らせる。
『待て』
「・・・何、純波?今、急いでる!」
『これ以上は駄目だ。この器が持たない』
「・・・護堕天が耐えられないってこと?」
『そうだ』
「・・・・・」
やむを得ない。無理に上まで登っても、敵の御体と戦えなければ意味がない。
「でも、急いで!全滅しちゃう!」
赤い御体、羅刹で細い山道を駆け上がる是基。
あっという間に広がった火の明かりで、何とか足元を見ることはできる。
「兄者!無茶をするな!」
朱色に肩から脚まで白い線の通った御体、魁怨。知基の御体である。
「知基!来るな!お前は兵を連れて下がれ!」
「総大将を見殺しになど出来るか!!」
足を止めない羅刹を、魁怨が押しとどめる。
「功を焦るな!死んでは元も子もない!」
「うるさい!言ったであろう、今ここでやり遂げねば・・・・」
是基が言いかけた時、下から急に登ってきた影があった。
黒と白に塗られた御体。その素早い動きに、二人はしばし言葉を失った。
「総大将、是基殿とお見受けいたします!わたしは橘墨羽!軍を引くことをお勧めいたします!わたしが時を稼ぎますゆえ!」
言うが早いか、護堕天はすっと跳んで行ってしまった。
「・・・あれが・・・・あの娘・・!?」
「志摩殿!別動隊の松永道近殿、全滅いたしました!松永殿、討ち死ににございます!」
志摩綱典は馬に跨り、散野原山を見上げていた。
今も、燃える雨のように火のついた矢が降り注いでくる。
あたりを見ると、行軍は完全に火によって分断された。
下に戻れば火の海、上には敵が矢を降らせている。
・・・どのみち、先はなし!
「これより馬で一気に上まで駆け上る!足を踏み外せば崖の底まで真っ逆さまだ!だが、ここに留まれば火に飲まれ命はない!生き残る道はただ一つ!生きて上まで登り切り、敵将の首を取れ!!」
「おおおー!!!」
綱典は馬を走らせると、崖の細い道を走り出す。
後ろから兵たちがついてくる。
が、ある者は踏み外して馬ごと奈落の底へ落ちていき、ある者は上から落とされた岩の下敷きになってつぶれた。馬が火を怖がって暴れ、崖下へ落される者もある。
・・・どれほどが上にたどり着けるか・・・。
「あと少し!頑張って、護堕天!!」
墨羽には頂上が見えていた。
腰の太刀を抜き、護堕天が最後の崖を駆け上る。
「敵は・・・御体が四体。それと・・・」
敵兵が見渡すと千人くらいはいるだろうか。
御体のうち、三体は火打城の時の白縫と同じ。富士川でも同じ御体だった。
護堕天は一気に登りきると、岩を抱えて投げ落とそうとしている白い御体に斬りかかる。岩を上に持ち上げて投げ落とそうとしたその腕を一気に切り落とすと、岩につぶされて動かなくなる。
「敵だ!!敵が登ってきた!!」
敵兵たちがざわめきだす。
「ここまでくるとは、予想外だったかもね!」
護堕天は走りながら敵兵たちの真ん中に突っ込むと、薙ぐように太刀を振るう。敵兵たちは首を刎ねられたり、逃げようとしたものは背中から血を吹き出して倒れる。あっという間にあたりは血の海と化した。
そこへ、次の御体が太刀を構えて走ってくる。
護堕天めがけて振り下ろす白い御体の太刀をするりと躱し、すり抜けざまに太刀を一閃する。白い御体の胴体は上下に別れ、どすん、と倒れる。
「・・・次!」
白い御体に狙いをつける。
一気に走り寄って太刀を振り下ろす。
がしん!!
白い御体は振り上げた岩でその一撃を受け止める。
そのまま岩を投げつけると、後ろへ跳んで距離をとる。
「その手際、名のある武士とお見受けする!我が名は木曽四天王がひとり、岡倉守武そしてこの御体は白縫・・・おっと!?」
言い終える前に護堕天が斬りかかる。間一髪でその一撃をよけた白い御体は太刀を構え直して前に出る。
「武士なら名乗りくらいはしておくべきだろうに!」
そう叫んで太刀を振る。
護堕天はひらりと躱すと、敵の太刀を払う。
「・・・わたし、武士じゃあないので!」
「女!?」
再び護堕天が前に出て袈裟懸けに太刀を振るう。
守武の白縫がその太刀を払うと、一気に前に出て間を詰める。
「武士じゃない女が、なぜこんなに戦う!!」
太刀を横に薙ぐ。
護堕天は跳び上がると、その一閃を飛び越えて白縫を踏みつける。
「うあっ!?」
仰向けに倒された白縫に上から太刀を振り下ろす。
白縫は身をよじって躱そうとするが、護堕天の太刀は白縫の右肩を貫いた。
「があっ!!」
守武が激痛に悲鳴をあげる。
「とどめっ!」
護堕天が太刀を再び振り下ろす。
『避けろ!』
それを理解するより早く、体が動いた。
その瞬間まで護堕天がいた場所を太刀が通り過ぎる。
「もう一体のやつ!?いつの間に!?」
頭部の左右に二本の角。黒鉄とむき出しの木の色の御体。
圧倒されるほどの不気味で見えない光を放っていた。




