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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
禍神 (まがかみ)

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6-12 禍神ノ章 十二

だんっ!!


寅正の巨躯は道場の床に投げつけられた。

「くっ!!」

悔しそうに顔を歪ませる寅正。


「ほかに、もっと強い者はいませんか!?」

墨羽が大きく声を上げた。


吹原の武士詰所、その一角にある道場。

緋家に仕える武士たちが三十人ほど。そのほぼ全員が、墨羽に倒されたあとだった。

ちなみにこの日、寅正が床に叩きつけられたのは四回目である。


「まだまだだ!!小娘!!」

寅正は立ち上がると叫んだ。


「えい!」


ぐきっ!!


「ぐほっ!?」

墨羽が木刀を寅正の足に叩きつけると、寅正は悲鳴をあげて床に倒れた。


「何度もかかってくるのはよいけれど、寅正ではわたしの修練にならないの!」

「ぐううぅぅぅぅぅ・・・・っ!!」

寅正は声にならないが、悔しそうな音を立てる。


見渡すと、道場にいる誰もが怯えた表情で墨羽を見ている。

もう、相手になりそうな者はいない。


・・・・これで勝てるのだろうか。


―――霞淡影。

父様を倒した男。

わたしが、どれほど鍛えても届かなかった父様を。

その男は、一人で倒したという話だ。

・・・・もし、その男と戦うことになったら。

わたしは、勝てるの?

今はただの人となっているわたしに、勝てる相手なのだろうか。


もっと強くならなくては、清葉を守れない。


焦り、不安。



もう一度道場の中を見渡す。


はぁ・・・・。

大きくため息を漏らすと、墨羽は道場を出た。


・・・・ここではもう強くなれない。自分より強い相手と戦わなくては、上に行けない。


だけど。


「・・・・実継がいれば・・・・・・」

そう言いかけて、口をつぐむ。




墨羽は道場を後にした。




◇




武士詰所の門を出ると、吹原の町に出る。

人の往来も増え、商いをする人も多い。墨羽たちが最初に来た頃は静かだった吹原の町も、徐々に活気づいてきていた。


詰所から少し西に歩くと御所がある。


その大きな屋根は、政務所と御所を兼ねており吹原で最も大きい。同じ敷地の中に多くの建物も並び、かつての緋家の拠点だった六原よりも規模は小さいものの、その姿は重厚で雄大である。


・・・・わたしがここに自由に入れれば、清葉に会いに行けるのに。


そう思ったが、はたと気づいて首を振る。

今、清葉に会って何を言うの?

木曽宗影は村伊宗春、すなわち清葉の実の父様で、わたしたちを都から追い出した張本人。そして父様は戦で殺されて、その父様を殺した男がもうすぐわたしたちを殺しにやってくる。


・・・・そんなこと、清葉に言えるわけもない。



「はぁ・・・・」

大きく息を吐く。


でも、会いたい。

気持ちだけが膨らむ。


輿入れの時、何枚もの単衣に着飾った清葉。

髪飾りや白粉、紅の色。

とても綺麗だった。

あの時の清葉の姿、今でも絵に描けるほどにはっきり覚えている。


「鯉に餌をあげてね」

そう言っていたっけ。

ごめんね。もう、ずっと橘の家にも帰っていない。

きっと、斑王丸がやってくれているわ。あの子も、もう大きくなっていると思うから。


「これは恋ね」

「そう、こいなら餌をあげないと・・・・」

これからも一緒に餌をあげて育てていきましょうね・・・・。


ふたりだけの約束。


今でも、清葉はわたしのことを想ってくれているのかしら・・・・。



・・・・わたしの”こい”は、もう胸に収めておくのが苦しいほど育ってきている。



いつか、清葉に会えるように。清葉のいるところへ、わたしも辿りつかないと・・・・。

でも、それには、わたしがもっと強くならなければ。少なくとも、霞淡影よりも。



そう墨羽が思って空を見上げた時だった。



「うっ!?」

墨羽は突然目に見えない何かに襲われた。

思わず手で口をふさぐ。


甘い香のかおり。


それと同時に、凄まじいほどの黒い気配が全身を包む。

今まで感じたことのない、何か歪な気配。

自然と足が止まる。体が動かない。


・・・・何?


あたりは変わらずに賑やかだ。

いろいろな声が飛び交う。

馬を引く旅の人、女たちが糧を篭に入れて運んでいる。子供たちが蜻蛉を追いかけて走り回る。


これは・・・・何?

墨羽の体から一気に汗が流れ落ちる。


・・・・恐怖?これが、怖いということなの?

今まで感じたことがなかった。

人というのは、得体の知れない何かを感じた時、こんなにも体が気持ちを拒否するものなのか。



この気配を放っているのは・・・・誰?


あたりを見回すが、そこにあるのは当たり前の日常。


でも。



「朱雀の巫女よ。運命《さだめ》からは逃れられん」


ふいに、耳元に囁くように聞こえた。

低い男の声。

「誰っ!?」

振り向く墨羽。だが、相変わらず人の往来が多く、声の主の姿はわからない。

さっきまで全身を痺れさせるほどに感じていた歪な気配も、急にまるで感じなくなった。



「朱雀・・・・」


墨羽の喉の奥に、重たいものがのしかかる。


・・・・あいつは、もう消えたはず。わたしは、人になったのだから。




◇



「あれが、宗影の娘・・・・いや、朱雀の化身か」

「はい」

叢方《むらかた》に、紺織《ことり》が頷く。

「斎尾《いお》の・・・・いや、幻丈《げんじょう》の香が、役に立つとよいのだがな・・・・」

この甘い香りは、人を暗示にかけやすくしたり、人の持つ本性を引き出すことが出来るいうものだ。手の上にある小さな香炉からその甘い香りが漂っている。

紺織は黙って頭を下げる。

「紺織、おまえはあの娘を見張れ。”兆し”があれば、すぐに知らせろ」

「はい」

紺織はもう一度頭を下げると、その場から跳び去った。


「この世に滅びをもたらす禍神《まがかみ》・・・・」

叢方は吹原の空を見上げた。

「深い地の底から、空へ羽ばたく時まで、あと少しだ」

その顔には恍惚とした笑みが浮かんでいた。

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