6-4 禍神ノ章 四
都に駐屯する伊豆霞軍の居所として、今は主を失った明橋が与えられた。内裏から近い、都の北西一帯の地域である。
以前は緋家の屋敷が連なり、六原という名で呼ばれていた。木曽軍が占領した際に、名を明橋と改めた場所である。
・・・・どうも、複雑だなぁ。
伊佐があたりを見渡しながらとぼとぼと歩く。
幼い頃、父や母、姉の紅羽と育った場所。時千代が生まれ、しばらくして父が早逝した場所。
懐かしいと思えるほど、昔の面影があるわけでもない。
ほとんどの屋敷が取り壊され、建て替えられているようだ。おそらく、緋家のものをそのまま使うことを木曽が嫌がったのだろう。
でも、あの大きな屋敷は父上がいた頃にわたしたちがいたところ。
あそこはそのまま残っている。
伊佐は門をくぐると、庭に入る。
松の木。
まだあるんだ。
幹についた傷。
紅羽姉様が木刀を振り回して付けた傷。
父様に何度立ち向かっても敵わなかった。姉様とふたりで一緒に飛び掛かったが、あっという間に振りほどかれてしまった。
今にして思うと、父様の強さ、偉大さが身に染みる。
父様のところまでわたしは今でもまだ及ばない。
「伊佐殿っ!!」
不意に声がして、伊佐は振り向いた。
「ここにいらしたのですか!探しました!!」
汐永義陽だ。
「ああ、すみません!つい・・・・何か御用でしたか?」
伊佐が言うと、義陽は訝し気に伊佐の顔を覗き込んだ。
「・・・・泣いていらっしゃいますか?」
「え?」
慌てて指で目を拭う。涙が流れていた。
自分でも気付かなかった。泣いていたんだ、わたし。
「ご、ごめんなさい。なにか、いろいろ思い出してしまって・・・・」
「・・・・伊佐殿」
「な、何でしたか?何か御用があったのでしょう?」
無理に笑顔を作る。たぶん、いくらか引きつっているだろう。
「いえ・・・・あの、ちゃんと伊佐殿と話をしないといけないと思いまして・・・・」
「はい。何の話ですか?」
「はい・・・・ええと・・・・」
申し訳なさそうな顔で言い淀む義陽。
「なんでも言ってください。気になさらず」
「では、言いますね」
義陽は深く息を吸った。
「おれはしばらくここに留まった後、負傷した者たち、ええと千浦殿たちを連れて関ノ府へ戻ることになりました。政所のこともあまり空けてはおけませんので・・・・」
「そうなのですか。てっきりこのあとも随行されるのかと」
「それで、伊佐殿・・・・」
「はい?」
ふう、と息を吐く義陽。
「おれと共に、関ノ府へ帰ってくれませんか?」
「・・・・?」
「もちろん、今すぐではありません。負傷した兵たちが旅に出られるまでの間を置いてからです。そして、関ノ府には竹丸や狛丸が待っています。おれと一緒に帰りませんか?」
「それは・・・・どういう?」
「おそらく・・・・あの、あくまでも、おれの聞いたことが確かであればの話ですが・・・・その・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・すみません。はっきり言います」
義陽は伊佐の肩を両手でつかんだ。
「義陽殿?」
「ここからは、緋家との戦いになります。伊佐殿にとっては、とても辛い戦いになるでしょう。・・・・そうでしょう?」
「・・・・・・」
伊佐は驚きの目を義陽に向ける。
「知って、いらしたのですか?」
「唐橋で、伊佐殿の名乗りを聞いてしまいました。誰にも話してはいません」
義陽はまっすぐに伊佐を見つめてくる。
「はぁ」
伊佐は大きく息を吐き出した。
「そんなにまっすぐ見つめられては本当のことを言うしかありませんね」
「伊佐殿・・・・」
「そうです。わたしは、緋家当主だった緋浄基の娘。まさに、ここが生まれ育ったわが屋敷です」
そう言って、両腕を広げた。
「わたしと姉様、時、父様と母様。とても優しい人ばかりでした。父様が病で亡くなるまでは」
そう言うと松の木に近づき、幹の傷を愛おしそうに撫でた。
「わたしはお爺様が嫌いでした。いつも高みから見下ろしてくるようで。姉様とわたしはいつも、お爺様の鼻を明かすためには何をすればよいか、そんなことばかり話し合っていました」
伊佐は顔を上げて義陽を見る。
「でも、結局わたしたちはここを捨てて逃げ出したのです。姉様と時千代は因幡の国守となり、わたしは淡影様について伊豆へ来ました。わたしがまたここで逃げ出せば、父様に怒られます。己の定めと向き合わず、背を向けたとして」
「伊佐殿・・・・ですが・・・・。やもすれば、因幡が緋家につくこともありうるのですよ?そうなれば・・・・」
「そうですね。わたしは姉様や時千代を討てません」
「ですので、おれと一緒に、あの子たちのところへ帰りませんか?伊佐殿が淡影殿を想っていらっしゃるのはわかっています。おれでは淡影殿に遠く及びません。ですが、あの子たちには伊佐殿が必要です」
・・・・・・。
・・・・・・。
「それは、共に帰るということですか?それとも、違う意味を持っていますか?」
「ええと・・・・・・はい」
少し複雑な顔をした後、義陽は力強く頷いた。
「・・・・少し、考えさせてもらえませんか?」
「わかりました。また、ここを出る前に声をおかけいたします」
そう言うと、義陽は頭を下げて出て行った。
伊佐はひとり、松の木に額をぶつけた。
・・・・子供たちじゃなくて、自分のことをもっとはっきり言ってくれれば返事もしやすいのに!




