6-1 禍神ノ章 一
朝、墨羽は日の出とともに起きる。
詰所の朝は早い。冬の朝、息が白い。
冷たい甕の水で顔を洗い、口を漱ぐ。
髪を梳かし、後ろで束ねる。
軽く木刀を振り、朝餉の準備ができるのを待つ。
武士詰所の隣にある小さな居室に皆が集まり、膳を並べて食事をとる。
「なあ、小娘」
この時、いつも当然のように寅正が隣に来る。
・・・・以前なら、実継がいた場所だ。
「なによ?」
「あの親子、病の母親も偽物だったのか?」
三種の神器を、死ぬまでに一目見たいという母親のために吹原へ来たという親子。
その親子は墨羽と寅正がその場を離れている間に、三種の神器を奪って逃げたらしい。
だが、不思議とふたりには何のお咎めもなかった。
「偽物だったのでしょうね、きっと。だまされたのよ、わたしたちは」
「許せん!おまえはともかく、このおれを騙すとは!」
「なんで、わたしはともかくなのよ!」
寅正はぶちぶち文句を言いながら、あっという間に飯を終えると、そのまま外へ行ってしまった。
食事を終えると、御体守の坂忠房のところへ行く。
「今日も来たのか?そう毎日乗らずともよいだろうに!」
「そうはいきません!毎日の鳳炎天の調子を見ておかないと、いざというときに使えません!」
墨羽がそう言うと忠房は、ふぅ、とため息をつく。
「好きにしなさい」
「ありがとうございます!」
墨羽は鳳炎天の繰り座に入り込む。
そっと、御霊石に触れる。
「すみは、今日は調子どう?」
『毎日同じことを聞かれても、同じことしか返せぬ。”いつも通り”だ』
「いいわ。それ、好き」
鳳炎天をゆっくりと歩かせる。
御体蔵は天井が高く、戦御体が立ったまま歩くことに支障がない。
大きな引き戸を開けると、外へ出る。
御体蔵の中はとても暗いので、冬の晴れた日の日差しがとても眩しい。
御体蔵の壁に立てかけてある、戦御体用の木刀を手に取る。
「素振り、百回!!」
『・・・・よく飽きないな』
鳳炎天が木刀を振るたび、ひゅん、ひゅんと空を切る音がする。
・・・・今日はいい!音が気持ちいい!
光を跳ね返して煌めく鳳炎天の朱色の体。
とてもきれい。
太陽が最も高いところを通り過ぎ、ちょうど御所の屋根の上あたりに来たときに、鳳炎天は木刀を収めて御体蔵へ戻る。
「これだけ毎日戦御体に乗りに来るのはお前だけだな、橘殿」
忠房は忙しそうに帳簿をつけながら墨羽にぼそりという。
「はい。毎日すみはに話しかけないと気が済まなくて」
「前々から気になっていたのだが、その”すみは”というのはなんだ?」
「ああ、鳳炎天につけたわたしの名前・・・・わたしだけの呼び名です」
墨羽がそう言うと、忠房は訝し気に顔を顰める。
「ええと、では失礼いたします!」
そう言って墨羽が立ち去ろうとした時。
「ああ、そう言えば、ここから西へ少し行ったところに、尋乏谷というところがあってな。そこに伊豆霞家を迎え撃つための砦を作っているそうだ。おまえたち戦御体繰り手もそこへ移ることになるから、今から備えをしておくとよいぞ」
「え?そうなのですか?」
「そうだ。伊豆霞家が木曽を討ったらしい。そのうち、吹原へも攻めてくるだろう。御所のある吹原を戦場にするわけにもいくまい」
・・・・・・え?
伊豆が、木曽を討った?
「霞家同士で・・・・?」
「詳しいことは知らんが、向こうも一枚岩ではないようだ。木曽も、葦野原で我らに負けたのが響いたのだろうな。兵も集まらず、あっという間に全滅したと聞くぞ」
途中から、言葉が入ってこなかった。
・・・・父様が、討たれた?
まさか。
あんなに強い人が。
あの人に勝てる人などいるはずないのに。
◇
「寅正!」
墨羽は詰所にいた寅正のところへ駆けこんだ。
「ど、どうした小娘!?」
「木曽が、伊豆に敗れたというのは本当!?」
「あ・・・・ああ。おれもついさっき聞いたが・・・・」
墨羽のあまりの勢いに、たじろぐ寅正。
「宗影は・・・・木曽の大将はどうなったのっ!?」
「お、おれも詳しくは知らんが、木曽は全滅したとだけ聞いている。全滅というのだからな、大将も討たれたに違いないだろう?」
「そんなわけないじゃない!木曽宗影の強さは普通じゃないのよ!!」
「しかし・・・・伊豆霞軍を統べている霞淡影という男は、並外れた剛の者と聞いているぞ?なんでも、底なしの霊力と、怪しげな風を操る力を持っているとか・・・・」
「風を操る・・・・?」
「ほ、本当かどうかは知らんがな」
「・・・・」
「お、おい!どうかしたのか!?」
墨羽は顔を俯かせたまま、寅正のところを静かに後にした。
「清葉は・・・・知っているのかな・・・・。村伊の父様が・・・・討たれたって・・・・」
◇
・・・・・・墨羽。
吹原の御所は新しいものの、京の御所と比べて狭く、急ごしらえな印象は否めなかった。
それなのに毎日御簾の中へ入れられて、紅葉と水の流れを見ながら歌を詠む。
・・・・いったい、何をしているのだろう?
清葉は毎日同じことの繰り返しに焦りを感じ始めていた。
中宮の間に戻り、いつもの場所へ腰を下ろす。
「ねえ、朝子」
「どうなさいました?」
女房のひとり、朝子はいつも清葉のそばにいる世話係である。
「霞家が攻めてくるという噂を耳にしましたが、毎日歌会などやっていてよいのでしょうか?」
「中宮様・・・・」
朝子が何か言いかけた時、他の女房達は頭を下げて部屋を出て行った。
「清葉様、わたしたちがそのようなこと気にすることはありませんよ。都の守りは武士たちに任せておけばよいのですから」
「そうですが・・・・」
「それに、緋家を都から落とした木曽宗影という者は伊豆霞家に敗れたと聞き及びました。それに尋乏谷というところに敵を押し留める砦を作っているらしく、霞家がここへ攻め込んでくることはないそうですよ」
「そうですか・・・・」
「何かご心配がおありなのですか?」
「いえ・・・・良くわからないのですが・・・・なにか、胸がざわざわとしてしまって・・・・」
・・・・墨羽、無事でいてくれるといいけど。




