5-48 流転ノ章 十九
「さあ、刃を引きなさいっ!!」
瑞奈がもう一度叫んだ。それは絞り出すような悲痛な叫びだった。
「・・・・・・・・・」
その声に、風結がゆっくりと動いた。
太刀をすっと引き、鞘に納める。
そして地面に片膝をつくと、瑞奈に向かって頭を下げた。
「仰せのままに」
「淡影殿・・・・」
瑞奈の頬をぽろぽろと涙が流れ落ちる。
「兄上、おれはあなたに認めてもらいたいだけだ。勝ちたいわけでもないし、ましてやその命が欲しいわけでもない。後のことはおれに任せて欲しい。必ず、父上の屈辱を晴らしてみせる」
「淡影・・・・・・」
瑞奈が鹿嶺王を見つめる。
その目から流れ続ける涙に、森の炎が赤く映る。
「・・・・わかった」
鹿嶺王はゆっくりと太刀を降ろした。
そしてその太刀を地面に投げ捨てる。
がらん・・・・。
太刀が転がる音が響いた。
「だが、忘れるな淡影。おれが負けたのはお前ではない。瑞奈だ」
「・・・・わかっているつもりです」
「そして、敗戦の将は生き延びる資格はない」
鹿嶺王は、ゆっくりと風結に背中を向けた。
「兄上!」
「宗影殿!!」
「瑞奈、おまえを伊豆に行かせたのは、おまえをこの戦いに巻き込みたくなかったからだ。おまえには、帝の血筋として、伊豆で新しい国をもって生きていてほしいと切に願ったからだ。おれはその思いを宗近とわかり合えなかった」
「ですが、わたしはあなたに命を救われました!あの上皇様の宴の夜、あなたがわたしの前に現れなければ、わたしは上皇様を刺して自らも命を絶つ覚悟でした!それをあなたに救われたのですよ!」
「そうだったな。ついこの前のことだが、遠い昔のことのようだ」
「はい。ですから、わたしは恩人をみすみす死なせるわけにはまいりません!」
「おれは、ここで舞台を降りると決めていた。無論、淡影がおれの期待に応えてくれれば、という思いだったが、淡影はおれの期待以上だった。だから、もうおれが生き延びる意味はない」
「あなたは、なぜそうやって・・・・大切なものを自ら失おうとするのです!?」
・・・・そうだな。
父上、凪舟・・・・清葉、墨羽・・・・駒王、・・・・・澄乃。
おれが自ら失ったものばかりだ。
「もう、おれには失うものなどないよ。おれはここを死地と決めてきたのでな」
「兄上!!」
「淡影!宗近はおれが生きているとなれば、宗近は霞家の嫡男の地位でいられなくなる!宗近はおれを殺すまで諦めないだろう!」
鹿嶺王は、少し振り返った。
「おれの最期をちゃんと伝えておけ!そして、霞家の再興を成し遂げろ!」
「兄上っ・・・・!!」
鹿嶺王は恒影の白縫の方を見た。
「恒影!!」
「はっ!!」
「今日までよく尽くしてくれた。木曽で素晴らしい仲間と出会えた。感謝している。そして、さっき話した通りだ。澄玲を・・・・頼む!」
「宗影殿っ・・・・!!」
白縫は拳を震わせた。
「瑞奈、強くなったな・・・・。初めて出会った時の、震えていたお前とは別人のようだ」
「宗影殿・・・・」
瑞奈の涙が止まらなかった。
「さらばだ!ここにいる、すべての者に後を託す!!」
鹿嶺王は、赤く燃え上がる森の中へ一歩一歩、踏みしめながら入っていく。
「兄上・・・・」
鹿嶺王の黒い影は、燃え盛る炎の中へゆっくりと消えた。
一段と炎が高く昇り、鹿嶺王の頭までを覆う。
「・・・・・・・」
その時、恒影の目に、炎を横切る影が見えた。
そして、恒影は意を決したように息を飲んだ。
「我を見よ!!伊豆の者ども!!」
白縫を立たせたまま、繰り座の蓋を開ける。
その場の全員が恒影を見た。
「武士が主を失って、これよりのち何を守ろうというのか!!守るべき者のない武士とは、矢のない弓と同じ!皆の者、しっかと見よ!!東国一の武士のこれが自害の手本となるものだ!」
恒影は腰の刀を抜くと、その切っ先を口にくわえた。
「いけないっ!!」
瑞奈が悲鳴をあげる。
恒影の体は白縫の繰り座から飛び出し、宙へ舞った。
「待てぇっ!!」
宿儀が叫び、英醐がさっと手を伸ばす。
だが、恒影の体はその指先のわずか先を、虚しくすり抜けていった。
「兄者!兄者!」
――おう、安影。どうした?
「文堅にどうしても勝てん!!兄者、おれの仇を討ってくれ!」
――無理を言うなよ。文堅にはおれでも勝てない
まだ若い頃の安影。いつも文堅や守武にやられてばかりだったな。
「はっはっはっ!!おれに勝とうなんぞ、十年よりももっと早いぞ、安影!!」
文堅。そしてその後ろにいつも無言で立っていた文成。
「文堅に勝てるのはおれだけだからな!」
守武だ。
「何を言う!おれとおまえは五十戦三十勝じゃ!」
「おかしなことを言うな!五十戦二十勝十引き分けの互角だわい!!」
そうだ。いつも文堅と守武はそんな言い争いをしていたな。
「なあ、ちゃんと片付けてからやれよ。いつも俺に押し付けて!」
直兼だ。一番真面目な奴だから、おれたちは面倒な仕事は全て直兼に押し付けていた。
「なあ、恒影!今から守武と勝負をするから、どっちが勝つか見ていてくれ!」
守武がおれの手を引く。
――わかったよ。直兼、あとは頼む!
「またかよっ!!」
あったな、そんな頃が・・・・・・。
なつかしい。
涙か・・・・。
まだ、おれにも涙があったのだな。
だが、後悔はない。
宗影殿のおかげで、木曽の山奥では見ることのない、この世の頂の景色を見られたのだ。
感謝している。だから、最期くらいは・・・・。
恩返し、になるといいが。
ずしゃっ。
◇
「瑞奈様っ!!」
地面に座り込む瑞奈のところへ蓮華が駆け寄る。
「蓮華殿・・・・わたしは・・・・わたしは・・・・」
瑞奈の顔を大粒の涙がとめどなく流れ落ちる。
「だれも、救えません・・・・」
どうしようもないほどの無力感。
立ち上がることもできない。
「・・・・結局、わたし、何もできなかった・・・・」
「そんなこと、ないです!こうして、今、まわりに皆がいるではありませんか!」
「ですが・・・・はぁ・・・・わたしは・・・・」
蓮華は瑞奈の肩に手を回すと、自分の胸に引き寄せた。
あの、蓮華の好きだった瑞奈の綺麗な長い髪が、今はない。
「瑞奈様。お願いです。もう、無茶はしないでください。わたしは・・・・瑞奈様を失いたくありません・・・・」
蓮華の目からも大粒の涙が溢れ出る。
「蓮華殿・・・・・・」
「瑞奈様、わたしはもう、あなたなしで生きていけないのです!!」
ふたりはお互いを強く抱き締める。
蓮華の暖かさ、柔らかさに縋りつく。今は、それしかできない。
「ぐすっ!」
「ふぅ、ぐす・・・・」
・・・・。
「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
ふたりは抱き合ったまま、声を上げて泣いた。




