5-31 流転ノ章 四
宇治川での戦が始まる三日前。
都の西南端、来迎院。
「上皇様にお目通りを願います!!」
瑞奈は床に額がつくほどに頭を下げた。
目の前には坊主頭の大柄な男と、まだ子供のようなあどけなさのある少年。そして十名ほどの兵たち。
「白拍子の瑞奈王殿、でしたか?」
「・・・・わたしを覚えておいでですか?」
瑞奈は顔を上げる。
・・・・確かにこの坊主頭、ここにいるときに見たことがあるような。
「おれは古越文成。宗影殿に仕える者だ・・・・です」
「・・・・そうですか。して、宗影殿は?」
「すでに発たれた。われらは上皇様を内裏にお送りするためにここへ残ったのだ。すぐに宗影殿の後を追わねばならない・・・・です」
「・・・・でしたら、すぐにでも!上皇様にお会いしたいのです!」
瑞奈はもう一度頭を下げる。
「・・・・・・」
文成は困った顔で昭基の顔を見る。
昭基は少し口を歪ませたが、仕方ない、といった風に首を振った。
「頭を上げてくだされ。・・・・半刻も時間はあげられませんよ」
「ありがとうございます!」
瑞奈はもう一度頭を下げた。
◇
桐高上皇はすっかり仕度を終え、自室で目を閉じて迎えが来るのを待っていた。
「・・・・上皇様。瑞奈王にございます」
障子の向こうから鈴の鳴るような声が聞こえてきた。
・・・・やれやれ、宗影の言った通りだ。
桐高はふぅ、と深く息を吐いた。
「入れ」
「失礼いたします」
障子がすっと開いて、瑞奈王がゆっくりと静かに部屋の中へ入り、障子を閉めた。
「お目通り、ありがとうございます」
膝と両手を床について頭を下げる。
「伊豆から戻ったのか?」
「はい」
「無事で何よりだな」
「ありがたきお言葉にございます」
「で、余に何か用か?」
「はい」
瑞奈は顔を上げて、吸うと大きく息を吸った。
「わたしの、皇位の継承権をお認めいただきたく、参上いたしました」
「ならん」
桐高は瑞奈がそう言うことをわかっていたように、即答した。
「何故にございましょう?」
「おまえは、確かに余の子である。だが、行きずりの白拍子の子だ」
「わたしが雪御前の子だから、ですか?」
「そうだ」
「わたしが、皇后様である沙苑様の子でないからですか?」
「・・・・そうだ」
ふう、と瑞奈は息をもう一度吐く。
「ですが、父上。あなたは母様を愛していらしたのでしょう?」
「・・・・・・」
「おそらく、誰よりも。皇后様よりも、高条の宮の母よりも」
「!?」
瑞奈の目が、明らかに動揺した桐高を見逃さなかった。
「わたしの育ての母、濱王は六原を追われた後も、わたしを守るために様々な手を使い御所の様子を窺っておりました。そして、皇后様に子が生まれたと聞いたとき、とてもおかしく思ったそうです」
「もうよい。やめよ」
「産坊に入らずして、皇后様が子を産むなど、とてもあり得ない」
「やめよっ!」
・・・・・・。
・・・・。
「なぜ、どこかの女房に産ませた子には皇位を継がせ、最も愛した者の子には何も与えないのですか?」
「・・・・・・」
「教えてください!母は、なぜ追われなければならなかったのです!?あなたはなぜ、最後まで母のことを守って下さらなかったのですか!?」
瑞奈は詰め寄る。
桐高はぐっと下を向いて、眉間にしわを寄せた。
「おまえの言う通りだ。余は、雪御前を最も愛していた。いや、今でも」
瑞奈は少し下がって、腰を落ち着けた。
桐高が続ける。
「当時、緋家の・・・・とりわけ紀基の力は絶大だった。宮の中でも、誰も逆らえなかった。そして、皇后ではなく白拍子に皇位を継ぐ権利を持つ子が生まれることを誰もが恐れた」
桐高は顔を上げて、まっすぐ瑞奈を見つめた。
「余は、雪御前とおまえの命を守りたかった」
「・・・・・・」
「誰にも見つからぬよう、逃がすつもりであった。だが、内裏の者たちに咎められ、そんなことをすれば紀基の怒りに触れると・・・・。雪御前は余のもとから無理やり引き離され、下賜されることになった。そして・・・・・」
桐高は言葉を切り、悔しそうに顔を歪ませた。
「思いもよらぬことだった。雪御前は他の者に与えられるはずだったのだ。だが、紀基が強引に雪御前を奪ったのだ」
「・・・・・・」
「雪御前の腹に余の子がいるとわかった時、宮の中では誰もが紀基の報復を恐れた。余は六原の中に人を忍ばせ、生まれてきた子が男児だとわかった時、雪御前と子を逃がすように手筈した」
「・・・・その後の、雪御前のことをご存知ですか?」
「・・・・いや。おまえが生きていたことも知らなかった」
「わたしは世捨て人として生きていた濱王のところに預けられました。育ての母、濱王は雪御前とわたしを不憫に思い、わたしを預かりました。そして、緋家にわからぬよう、娘として育てたのです。そして、雪御前は・・・・鈴鳴の山中で命を落としました」
「そうか。悔やんでも、悔やみきれぬ。だが、余にもどうすることもできなかった・・・・」
桐高は拳を強く握る。
「今、わたしは霞家同士の戦を止めるためにここへ戻ってきました。わたしが上皇様の後を継ぎ、帝となって戦を止めます」
「・・・・宗影の言った通りだな。お前は戻ってくると、そう言うだろうと話していた」
「宗影殿が?」
「ああ。おまえはそういう者だと。だが、これは覇権の争いではない。伊豆霞家が木曽霞家の後の意志を継ぐにふさわしいかを計るための戦いだと言ってな」
「ですが、わたしは・・・・大切な人たちを失いたくないのです!」
「だが、今更何をしようとも戦は止められん。それに、おまえを即位させるための道具もない」
「はい。わかっております」
瑞奈はすっと立ち上がった。
「三種の神器が揃えば、わたしを認めていただけますか?」
「・・・・神器あるところにしか帝はない。だが、お前にそのようなことが出来るわけがなかろう」
驚いた顔で瑞奈を見上げる。
「しかとその約定、お忘れなく!わたしは今より吹原へ参ります!そして、三種の神器を手に入れてみせましょう!」
瑞奈が障子を開けると、天狗と蓮華が床に膝と手をついて頭を下げていた。
「ふたりとも、この方のことは頼みます」
「わかった。任せよ」
天狗が顔を上げて言う。
「瑞奈様、気を付けて・・・・」
蓮華心配そうに瑞奈を見上げる。
「蓮華殿、必ずすぐ戻ってきます。ここをお願いしますね」
「・・・・はい。瑞奈様・・・・」
瑞奈は蓮華を見つめたあと、優しく微笑んだ。
そして蓮華の肩を抱く。
「待っていてくださいね」
「は、瑞奈様っ・・・・!?」
蓮華が顔を真っ赤にする。
「では、行ってきます!狐白丸!!」
庭の隅にいた狐白丸が瑞奈の前に躍り出ると、体を大きくする。
それに跨ると、瑞奈は桐高へ向き直った。
「わたしとの約束を守っていただくために、このふたりを上皇様のお傍につけさせていただきます!」
狐白丸は瑞奈を乗せて空高く駆け上がっていく。
あっという間に米粒ほどまでに小さくなり、西へ向かって飛び去って行った。
「なんだ・・・・あれは・・・・・・」
桐高は目を丸くして口をあんぐりと開けた。




