5-21 波瀾ノ章 八
「・・・・・・なぜ、こんなところに?」
男はぼつぼつとつぶやく。
「自分がだれかわからぬのですか?」
「・・・・あなたは?」
「いえ、ですから、生臭坊主の行尊です。こちらは雷巌」
うんうん。
「さっき聞きました」
「はい、言いました」
「わたしは・・・・誰ですか?」
「それもさっき聞きましたが、誰かは知りません」
「ですよね・・・・」
男はそう言って黙り込んでしまった。
「あのう、・・・・何か覚えていることはないのですか?」
ゆっくりと行尊が聞いてみる。
うんうん、と雷巌も頷く。
「・・・・覚えていること・・・・」
頭を抱え込むようにして下を向く。
「ああっ!!」
「おおっ!?」
男が急に声を上げたので、行尊も思わず声を上げる。
「何か、思い出しましたか!?」
「腹が減った」
「・・・・そういうお約束はやめていただきたい」
「もう何日も食べていないのです」
「それは覚えているのですね」
「・・・・それで、鳥を見つけて・・・・茶色と黒のまだらの鳥・・・・」
「え?」
「食べようとして・・・・捕まえようと・・・・・・」
「あの、それは雷鳥では?神の使いを食べたりしたら・・・・」
「そうだっ!!雷鳥っ!!」
「は、はいっ!?」
急に男がまたも大声を上げたので、ひっくり返る行尊。
「そう、雷鳥と言った!」
「はっ!?」
「雷鳥様、そうあの女が言ったんだ!そうしたら・・・・」
「・・・・女?雷鳥様!?」
・・・・それは、もしかして!?
「娘の方と目が合って・・・・真っ暗になって・・・・・・」
「ちょっと待ってください!!それを詳しく!!」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「わたしは誰ですか?」
「それは知りません」
ふんふん。雷巌も頷く。
◇
「ゆっくりと、よおく、しっかりと、思い出して、くださいぁいねぇ・・・・・・」
「は、はい・・・・」
男は眉間に人差し指をあてると、目を閉じて小声でぼそぼそと何かつぶやき始める。
「ええと・・・・・・山を登って・・・・・・いや、違う・・・・川を流されて・・・・」
「どこを旅してきたのですか・・・・」
呆れたように行尊が言う。
「鳥・・・・あの鳥・・・・食べたくて・・・・」
「雷鳥ですね?そのあたりを詳しく!」
「・・・・・・ええと・・・・・・」
「女、女がいたのでしょう?」
「女と男が・・・・たくさん・・・・娘がいて・・・・」
「そう、そこそこ!!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「腹が減った・・・・」
「だぁ!!」
ふんふん。と雷巌も首を振る。
◇
「おーい!誰いないかーっ!!」
行尊が格子戸から大声で呼ぶ。
「何だよ、うるせぇな!!」
資孝が文句を言いながらこちらへ来た。
「すまない、何か食べるものをくれないか?」
「・・・・おい、もう干し草はねえぞ!まさか、馬の分まで草を喰うとは思わなかったんだからな!」
「いや、干し草はもういいので、なにか人の食べるものを・・・・」
「・・・・なんでおれたちがお前らに食い物をやらなけりゃいけないんだ?」
「もしかしたら、椿殿のことがわかるかもしれないのだぞ!?」
「ふん!おれにそんな嘘は通用しねぇ!」
そう言って資孝はどこかへ行ってしまった。
・・・・仕方ない。
頼むから、思い出してくれよ・・・・。
行尊は男の方へ近づく。
雷巌は干し草で腹が満たされたのか、眠そうにうつらうつらしている。
・・・・今なら・・・・。
「あのう、声を出さないようにしてくださいよ・・・・」
男の肩に手を置く。
「・・・・・・」
男は不思議そうな顔で行尊を見る。
「さっき、干し草の中に投げた振りをして、こっそりとっておいたのです・・・・」
そう言って懐から、小さな干芋を取り出す。
「おおおっ!!」
「しーっ!!」
行尊は男の髭もじゃの口を押さえる。
「しずかに。雷巌殿が気づいたら、力ではかないません・・・・」
ふんふん。男が無言で頷く。
「どうか、これで思い出してくださいね・・・・」
行尊は男の口の中に干芋を放り込む。
「もくもくもく・・・・・・」
涙を流しながら男は干芋をいつまでも噛んでいる。
「飲み込むともったいない・・・・」
「どうでもいいですけど、思い出してくださいよ・・・・」
「くちゃくちゃくちゃ・・・・・・」
「あのう、いい加減に・・・・・・」
「・・・・・・・くちゃくちゃ・・・・・・」
「どうですか?」
思い出せそうか?と聞きたかった。
「うまい!!」
「そうじゃなくて!!」
そして、その声はあまりに大きかった。
・・・・あ。
雷巌がのそりと立ち上がった。
「あ、ああっ!!」
ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
「しまった・・・・。逃げましょう!」
行尊は男の襟首をつかむと、一気に格子戸を蹴破った。
ばきいっ!!
お堂から転がり出ると、後ろを振り向く。
雷巌の巨体がゆっくりと揺れながらお堂から出てくる。
「腹いっぱいではなかったのでしたか!?」
行尊が悲鳴をあげる。
・・・・追われている。
行尊は男を掴んだまま、本堂へ向けて走る。
「ああっ!!おまえたち!また逃げ出したな!!」
資孝だ。
「食べるものをくれないからこうなるんだーっ!!」
行尊が叫ぶ。
行尊は本堂の格子戸をあけると、中へ転がり込む。
「榊御前、何でもいい!何か、食べるものを下され!」
「な、なんだい!?また逃げ出したのかい!?」
榊御前が驚きの声を上げると、熊丸が刀の柄に手をかける。
「待て待て、お待ちください!この男、もしかしたら椿殿のことを知っているかもしれないのです!」
「はぁ?」
榊御前が熊丸を手で止める。
・・・・・・女・・・・・この女・・・・・・。
似ている・・・・・・。
誰に?
男は首をひねった。




