177 花舞ノ章 八十
「・・・・・・」
蓮華はうっすらと目を開けた。
目の前に、元康が倒れている。その元康と目が合う。
元康は蓮華に向けて、人差し指を口の前に立てて喋らないようにと合図を送った。
元康が目で合図した方に、男がいる。
あの横顔・・・・確か、参河国府にいた・・・・?
そう、能見だ!
どこかで聞いた名前、思い出した。
あそこにも滅創衆が入り込んでいたとなれば、参河国府を殺したのは・・・・滅創衆。
しかも、この男の可能性が高い。
怒りで顔を引きつらせる蓮華を、元康は無言のまま押さえて押さえて、と手で合図を送る。
あらためて周りを見る。
前にいた小屋ではないようだ。
広いお堂のようなところで、二人は縛られてもいない。牢の中でもない。
これは・・・・閉じ込めるまでもないということだろうか?
逃げ出そうとすれば斬り捨てるまで。それができる自信があるのだろう。
事実、蓮華ではあの能見に敵わない。
初めて、紫雲が傷つけられた。今までこんな屈辱はなかった。
「・・・・蓮華様」
元康がほぼ聞こえない程度で声をかけてきた。
「今、この状況を何とか出来るとすれば蓮華様と紫雲だけです。相手はひとり、わたしが引き付けます。蓮華様は逃げて、この先の関ノ府に助けを求めてください」
「そんなことしたら・・・・」
「構いません。わたしたちがここまでこれたのはあなたたちがいたからこそ。わが主も、もう元に戻れるのかどうかわからないんです。さっき、あの法師が殿に、二度と正気に戻らないようにかなり強い術をかけたと言っていました。もう殿は・・・・・・」
元康が言葉を詰まらせる。
「元康様・・・・」
「わたしは殿のためなら命を捨てる覚悟はできています。峠の先に殿がひとり取り残されているそうです。できれば、助けてやってください」
「それは、あなたがやるべきことでしょう!」
「しっ!」
思わず声を上げる蓮華を元康が手で押さえる。
「どんなに力の差があろうとも、二人が同時に別の方向へ逃げれば両方追うことはできません。あそこに裏口があります。合図したら二人でそこから出て、蓮華様は上に、わたしは下に逃げます。もうそれしかありません・・・・。逃げ切れる可能性は、わたしより蓮華様の方が上です」
「そんな・・・・・・」
「あの男がもう少し離れるのを待ちましょう。合図したら、後ろを見ないでお互い走ります。体は動きますか?」
「はい。大丈夫です。ですが、元康様・・・・・」
蓮華が言いかけた時、能見が立ち上がった。
「・・・・・よし、いいですね?絶対に後ろを振り向かずに、とにかく逃げましょう」
蓮華は苦しい気持ちで元康を見る。
能見がお堂の扉に手をかけて外へ出た。
「今です!」
元康の合図で、二人は走り出す。
お堂の裏口から外へ出る。二人はそこで顔を見合わせると、別々の方へ走り出す。
そして元康が数歩走ったところで止まる。
「蓮華様、ご無事で・・・・」
振り向いて蓮華の逃げた方へ頭を下げる。
「さて、能見殿とやら。わたし、霞惟正が家臣、貝元康が相手になりますよ!」
そう言う元康の後ろには、能見が立っていた。
「振り向かないで!振り向かないで!きっと、二人とも無事に・・・・・逃げられる・・・・・」
そう言い聞かせていた。
だけど、足が前に出ない。
こんなこと、おかしい。
「だって、惟正様の面倒が見られるのは、元康様しかいないじゃない!!」
蓮華の足が止まる。
「あなたたち、ずっと二人でここまで来たのでしょう!?それなのに、わたしたちに巻き込まれて!それなのに、わたしだけ逃げるなんて!それなのに、それなのにっ!おかしいではないですかっ!!」
そう叫んで後ろを振り向く。
今、走ってきた道の先に、大きなお堂と、その前で対峙している元康と能見が見えた。
「元康様ーっ!!」
蓮華の足が動き出した。
走る!
あの男に勝たなければ!
今まで、天狗様の厳しい修行に耐えてきた意味がない!
そして、あの方の隣に立つために、敵を倒せる力がなければ!!
元康は腰にあるはずの刀がないことに気づいた。
「そうですよね、捕らえたらまず刀を取り上げる。当たり前です!」
大柄な能見の強面を睨みつける。背の低い元康は見上げる格好になる。
だが、ここであっさり負ければ蓮華様を逃がすことが出来ない。
何とかして、この男の足止めをしなければ・・・・。
能見がゆっくりと、手に持った鞘に入った刀を前に差し出す。
「・・・・・持っていけ。そして逃げろ」
・・・・・聞き間違い?
「・・・・・今、何と?」
「刀を返す。逃げろ」
そう言うと、元康に刀を投げてよこした。両手で受け取る元康。
「・・・・どういうことです?」
「・・・・・・・」
何か言おうと、ゆっくりと能見が元康を見た。
「おれは・・・・・・」
「回転空中蓮華蹴りーっ!!」
べきぃっ!!
峠の急坂を走り降りて勢いをつけた蓮華の跳び蹴りは、見事に能見の顔面にめり込んだ。
能見の体は弾き飛ばされて、ゆっくりと後ろへ倒れる。
ずうん・・・・。
「・・・・・・・・勝った」
「あ、あの、蓮華様!?」
おずおずと元康が声をかける。
「勝った、勝ちました!わたし、こいつに勝ちましたよっ!!」
「あ、ああ。そうですけど・・・・」
大喜びしてぴょんぴょん飛び跳ねる蓮華に、元康は何も言えない。
能見は鼻と口から血を流しながら、ひしゃげた顔で気を失っていた。




