162 花舞ノ章 六十五
嶋田の集落は同じように大井川で足止めされていた旅人で賑やかだった。だが楽しい声だけでなく、渡河できない苛立ちの声も多く聞かれた。
皆、これから西へ向けて川を渡り、京や伊勢へ向かうのだろう。
馬屋で馬を借り、御体車に繋ぐ。
明日の府中へ向けての出発に備え、この日は嶋田の宿坊で一泊する。
この辺りは大井川の河口からも近く、漁師も多い。遠江湖からしばらく感じていなかった海の香りがどこからともなく感じられた。
「さあ、駿河を越えれば伊豆に着ける。あと少しじゃ」
天狗が焚火を起こしながら言う。川越えで濡れた荷物や着物を乾かす。と言っても、着物が濡れたのは行尊だけだが。
「まったく、この大井川はいつも大変なのですよ」
行尊が着物を脱いで褌姿になる。
背中に大きな傷・・・・というか、体中傷だらけだ。
「行尊様、そんなに体中傷ばかりで・・・・」
瑞奈が興味ない風を装うために気づかないふりをしていると、蓮華が言ってしまった。
「ああ、名誉の負傷ですよ」
行尊はにこにこ顔で蓮華に答える。
何かいつもはぐらかしているような返事ばかりで、実体のない男だ。
「そういえば、あの怪しげな巻物にはこの先は何と書かれているのですか?」
瑞奈が話題を変えようとすると、天狗は首を振った。
「あれは遠州までで終わりじゃった。”大井川、みんなで渡れば怖くない”で終わっておる」
「何ですか、それ?」
「ほれ、ここにそう書かれておる」
天狗が懐から巻物を取り出して、広げてみせる。
「天狗殿!それ、”遠州濱辺遊覧紀行東国一覧初見案内書”ではないですか!?」
行尊が驚いたように声を出す。
「行尊様、ご存じなので?」
蓮華が言うと、行尊が頷く。
「ご存じも何も、これを書いたのはわたしです」
「・・・・・・は?」
一同がぽかんと口を開ける。
「旅の方たちが余計な怪異や難所に当たらないように、鈴鳴峠から遠州越えまでの道のりを記しておいたのですよ。公家様たちや貴族の方たちが興味を持ってくれて、たくさん写して旅の方にお配りしようと・・・・」
「ちょっと待って!!今、余計な怪異や難所に当たらないように・・・って言いましたね!?」
瑞奈が怒りの笑顔を向ける。
「え?どうしました?役に立ったでしょ?」
「これのおかげでどれだけ怪異にぶち当たったと思っているのですかっ!!」
「そ、そうですか?おかしいなぁ!?」
「・・・・なんか、行尊殿が書いたとなると急にありがたみがなくなったわい」
天狗もそう言って巻物を焚火に放り込んだ。
「ああっ!!わたしの苦心がっ!」
翌朝。
一行は次の府中へ向けて嶋田を発った。
「もともと駿河は霞家の威光の強い地域でして」
聞いてもいないが、行尊はずっとしゃべり続けている。
「以前は甲斐霞家の支配下でした。ですが富士川での緋家との一戦を境に、霞宗近殿の側近の霞兼信という方が治めに来ておられるそうです」
「よくご存じなのですねぇ」
蓮華が感心している。
「はい。よくご存じでしょ?わたし、こう見えてもいろんなことに詳しいのですよ」
「すごいですっ!さすが、案内書を書けるだけのことはありますね!」
ちゃんと蓮華が相手をしているのを瑞奈はすごいと思う。
「はは、ありがとうございます!蓮華殿はわたしの男としての魅力に気づいていただけているようですね!」
「それはありませんけど、すごいとは思いますよ!」
きっぱり言えるのも、さすが蓮華というべきか。
「あはは。蓮華殿も、大人になるとわかりますよ!」
何を言われても凹まない行尊も確かにすごい。
・・・・今までどんな修行をしてきたのだろ?
「うわぁ、富士山!!」
「やはり、近くで見ると大きいですね!」
見慣れぬ景色に、はしゃぐ瑞奈と蓮華。
「もっと近くで見るとただの土と岩ですよ!」
にこにこ顔の行尊。
・・・・・・やはりこいつがしゃべると興が削がれる。
「そろそろ府中じゃ。町が賑やかになってきたぞ」
天狗も人の多いところへ来るとうれしいのか、声が心なしか弾んでいる。
思えば参河の今橋あたりからずっと、大きな町がなかったので気持ちが緩んでいるのかもしれない。
駿河府中の町は、京に似て作られてはいるが、その規模は遠く及ばない。
とはいえ、その町の中にたくさんの商人や人足、農民が集まって暮らしている分、人が集まっているという賑やかさ、温度のようなものを感じられた。
「この街道をまっすぐ進むと、国府があるのです。わたしは国司の霞兼信殿にご挨拶をしてこようと思いますが、皆さんはいかがなさいますか?」
行尊が変わらずにこにこしながら言う。
「では、わたしたちはその間にできるだけ先に進もうと思います」
「瑞奈殿、わたしを置いて行く気ですね?」
「まあ、わしらも国府で挨拶くらいはしておいてもよろしかろう。わしらは宗影殿の使いじゃからな」
天狗が珍しいことを・・・・。やっぱり町に浮かれているのだろうか。
「瑞奈様、遠江の国府みたいに、美味しいもの食べさせていただけるといいですね!」
蓮華が言ってしまった。
「・・・・仕方ない、皆で行きましょう!」
瑞奈に一切の迷いはない。
「国司殿に、常陸坊行尊がご挨拶に来たとお伝え願いたい」
その一言だった。
瑞奈たちはあっという間に国司との謁見の間に通された。
「おお、行尊殿!行尊殿から参られるとは珍しいことじゃ!!」
駿河の国司、霞兼信は白髭をたっぷり蓄えた老人だった。
「いやぁ、兼信殿が関ノ府の侍大将をご辞官されたと聞いて、ご挨拶せねばとやってまいりました」
行尊が深く頭を下げる。
「まあまあ、堅苦しい挨拶は良いのじゃ。楽にしてくだされ」
「ありがとうございます。兼信殿もまだまだお元気なご様子で」
「ああ、妻と娘に病で先立たれて、なぜにわしだけが老いても生きておるのかと嘆いたこともあったのじゃがなぁ。じゃが、この駿河の暮らしはのんびりしていて良い。関ノ府にいた時は戦続きであったのでな。寝る暇もなかった」
「関ノ府の大殿様はお元気でいらっしゃいますか?」
「おお、あのお方は相変わらずじゃ。・・・・して、そちらの方々は?」
兼信は行尊の後ろに控えている三人に目をやった。
「はい。わたしの旅の仲間にございます」
「ほう、珍しい。行尊殿がお仲間とな?」
「こちらが天狗殿」
「え!?」
「はじめてお目にかかる」
天狗と初対面の相手はだいたいこういう感じだ。とりあえず驚いて二度見する。
「本当の天狗じゃな?」
「失礼とは存じますが、故あって顔と名前を伏せております。ご理解いただきたい、国司殿」
「そうか・・・・こりゃ、なんとも・・・・」
「こちらが蓮華殿。御体の繰り手にございます」
「初めまして!」
「おお、このような若いおなごなのに御体繰り手とな?」
「そして、こちらがわたしの嫁」
「違います。この男、国司殿に嘘をつきました。斬首にしてください」
「白拍子の瑞奈王殿です」
「はじめてお目にかかります。国司殿」
顔を上げる瑞奈。
「!?」
瑞奈の顔を見た途端、明らかに国司は顔色を変えた。無言で瑞奈の顔を見つめる。
・・・・・・。
「いかがなさいましたか?」
「い、いや・・・・何でもない・・・・ごゆるりとされよ」
国司はそう言って部屋を出て行ってしまった。
残された四人はお互い顔を見合わせた。




