163 花舞ノ章 六十六
「ほーれほれほれ、油揚げじゃ。狐の大好物じゃろぅ?」
天狗が狐白丸の鼻先に油揚げをぶらぶらさせる。
狐白丸はいかにも迷惑そうに一瞥すると、そっぽを向いて顔を前脚の中にうずめた。
「・・・・うぅむ、なかなかうまくいかんのう」
触ると噛みつかれるので、餌付けしようとしているらしい。
どうやら、狐白丸のふさふさの毛を撫でたいらしい。
「でも、あのお爺さん、瑞奈様を見て明らかに動揺してましたけど、何かあったのでしょうか?」
「さあ。初めてお会いしたはずですけどねぇ。どこかでお会いしたことがあったのかしら?」
「瑞奈殿を見て、その美しさに驚く男などこの世にごまんとおられるでしょう。国司殿、歳をとっても男ですねぇ」
行尊はあくまでにこにこと軽口をたたく。
瑞奈も今までそんな初対面は嫌というほどしてきたが、あの反応は初めてだった。
「まあ、ご老体にも思うことはあったのですよ。で、今宵はここへ宿をお願いしてきましたから」
「あの、行尊様?」
蓮華が少し控えめに言う。
「はい、なんですか?」
「あちこちの国司様と知り合いだったり、やたらといろんなことをご存知だったり、案内書を貴族や公家の方に写本したり・・・・。行尊様は実はすごく偉い方なのですか?とてもそんな風には見えませんが・・・・お若いようですし」
「はい。わたし、とっても偉い方ですよ」
「とてもそんな風には見えませんが?」
瑞奈が皮肉を込めて蓮華の言葉を繰り返す。
「ええ、そんな風に見えなくて当然。わたし、歳をとらないので」
・・・・・・・。
「え?」
「あ、歳をとらない、というのは語弊でしょうか。死んだときのまま変わらないと言うのが正しいかな?」
「え!?」
「死んだときのまま・・・・というのも間違いかな?生き返った時のまま、が正しいでしょうか」
「はぁっ!?」
全員、言葉が出ない。
「別に隠すことでもない・・・・というか、別に進んで話すことでもないと思っていましたので黙っておりましたが、わたしは、何というか、一度死んで師の手で生き返りました」
ざざざざっ!!
蓮華と瑞奈は行尊から距離を取る。
「あ、勘違いしないでください。妖とか物の怪の類ではありませんよ」
「あ、悪霊退散!」
「だから、違いますって、蓮華殿!」
行尊はにこにこ顔で横に手を振る。
「まさか、その師というのは・・・・」
「はい、前にお話ししました・・・かな?幻丈僧正、その人です」
「あの、蟲毒の島で死んでおった僧侶か・・・・」
「ああ、やはり師は亡くなっていたのですね。そうだと思いました」
「と、とりあえず、どういうことだか話してくれますか?」
瑞奈が言うと、行尊はこくん、と首を縦に振った。
「むしろ、あなた方には聞いていただきたいですね」
そう言うと、行尊はゆっくりと話し出した。
「あれは、わたしが師と再会し、巻物を受け取り旅に出た時です。ああ、これがその巻物です」
行尊は懐から巻物を一巻出し、瑞奈たちの前に置いた。
天狗が受け取り、広げる。
そこには、医学的なものか、人の骨の図や筋肉、脳の形などが記されている。蓮華は口を押え横を向く。
さらに先には、呪術についての記述、鬼や妖についても書かれていた。
「・・・・これは・・・・・・」
「はい。わが師は、その天才的な頭脳により、自然法医学、呪術などを駆使して妖を呼び出す・・・いや、作り出すことに成功していたのです」
天狗が顔をあげて行尊を見る。
「信じられん・・・・」
「信じられないのも無理はありません。未だにこの術を使えたのは、わたしが知る限り師だけです」
行尊の顔からはいつものにへら笑いが消え、真剣な目でこちらを見ている。
「わたしは師からこれを託された後、ある場所で師に再会しました。鈴鳴峠です」
鈴鳴峠の妖・・・・あの、瑞奈の母を騙った女の妖・・・・鈴成御前。
「わたしは師に連れられて鈴鳴峠の山の中にある小さな小屋に行きました。そこで、すでに死んでいる美しい女の亡骸を見せられました。そして、師は言いました。『この女は無念の死を遂げた。娘を失い、その身を捧げた高貴なるものに見捨てられ、ここでひとり病による死を迎えたのだ。この女の魂を呼び戻し、今一度命を与える。それにはお前の霊力の助けが必要だ』そう言われました。わけも分からず、わたしは師に従いました。今でも後悔していることです。霊力を注ぐと、その亡骸は息を吹き返しました。ですが、それはやはり人ではありませんでした。人ならざるものが、人の形をしたものに入り込んだのです」
「それが・・・・・あの女・・・・・」
瑞奈が漏らす。胸の中に鉛が落ちてきたような気分だ。
「ですが、所詮は人の器、いずれ老いて死んでいくはずでした。ですが、その妖は人の器を取り換えることによってこの世に留まり続けようとしたのです。わたしはその妖を祓うことにしました。ですが返り討ちに会い、そこで死を遂げました。今でも覚えています。わたしが死を迎えた時の幻丈の嗤い顔・・・・」
そこで行尊は言葉を切った。
「そしてなぜか、わたしは目を覚ましました」
行尊は顔を上げる。
「わたしは、どこか知らない山の中に裸で捨てられていました。たぶん、師はわたしがなかなか目を覚まさなかったので、失敗したと思い山の中へ捨てたのだと思います。わたしの体中にある傷、その時からです。おそらく、師が縫い合わせたものでしょう」
「そんなことって・・・・・」
「ですが、ここにいるわたしが証拠です。幻丈は、死体から人を作りました」
にわかには信じ難い。だが、そんな突拍子もない嘘をつく理由はない。
「それから、わたしは老いることも死ぬこともありません。天狗殿、腰のものをお借りします」
そう言って行尊は天狗の腰から刀を抜き取った。
「あ、行尊殿っ!」
天狗が慌てて手を伸ばす。
「お見せいたします!」
行尊は刀を首に当て、一気に引き抜く。
首の経脈を斬って、血が噴き出して死ぬ・・・・はずだ。
・・・・・・・・・・・。
「この通り、わたしの首には傷ひとつないでしょう?」
その通りだった。
「これまでいろいろな怪異と戦って祓ってきました。すべて師が験しによって作り出したものたちです。何度も死ぬほどのことを経験しましたが、死ぬに至りません。わたしは、本来あるべき死を、この体に迎えるために師を追って旅をしてきました。数々の怪異を鎮める度に名声だけは上がりましたが、わたしが真にたどり着くべき場所はいまだ謎のままなのです」




