155 花舞ノ章 五十八
「その昔、佐夜という女がこの道を通りかかったそうです。早く西の山名の郷へ着きたい一心で、歩き詰めに歩きました。あまりに疲れ果て、ようやくたどり着いた峠の頂で、腰を下ろして休んでいたそうです。実はその佐夜、腹に子がありました。そのお産のために、山名の郷の実家へ帰るつもりだったのです。ですが、まだお産の日取りまで余裕があったはずが、急にここで産気付き、苦しみ始めました。当時はここも人通りは今ほど多くなく、加えて日暮れが近くなってきたのであたりに人影はありません。佐夜は無理してここまで来てしまったことを後悔しましたが、もうすでに遅し。あたりはすっかり日が暮れて、佐夜は生まれてこようとする子を押しとどめ、何とか人が通らないものかと待っていました。すると、暗闇の中に人影が現れました。これは助けと、佐夜はその人影に声をかけます。『もう、歩くことができません。子も出ようとしています。助けてください』すると、通りがかりの人影は『残念だが、おれは人ではない。人を喰う鬼だ』と答えました。これはもう神も仏もない、ここまで来て自分も子もお終いか、と佐夜は嘆きました。『お願いです。わたしの身は差し上げるので、この子だけは人里に生きたまま届けてくれませんか?』すると、鬼は答えました。『子を産んだ女の肉よりも、生まれたての赤子の肉の方が旨い。その子供をくれたら、おまえは生かしたまま逃がしてやろう』佐夜は生まれてきそうな我が子を、何とか体に押し留め、子が生まれる痛みに耐えていたそうです。すると、丸くなった佐夜の体は少しづつ固くなり、やがて大きな石に変わりました。そしてその石から、ひとまわり小さな石が生まれたそうです。さすがの鬼も石は喰えんとあきらめて山の奥へ帰って行ったというお話です」
聞いてもいないのに、行尊が話し出した。
「何で、その石の目の前でそんな話するんですか!?」
瑞奈は蓮華の背中に隠れながら文句を言う。
「いやあ、よくある昔話ですよ」
にっこりしながら言うところが余計にイライラする。
「じゃが、ここには大きな石ひとつしかないようじゃが?」
天狗が言うと、行尊はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに天狗の方を指さした。
「そうなんです!」
行尊はすっと立ち上がり、夜泣き石をさっと撫でる。
「かわいそうな佐夜、石になって子を産んだのはまだしも、その子の石がどこかへ持ち去られてしまったのです」
「はぁ?」
「なんてことを!?」
蓮華と瑞奈が声を上げる。
「それからというもの、この石は夜になると、その子恋しやと泣くようになったのです。それが夜泣き石の由来です」
「・・・・それが本当なら、悲しいですね。佐夜様」
蓮華が俯きながら言う。目に少し涙をためている。
「まあ、言い伝えですから、本当かどうかわかりません。それに、まわりを見ればわかる通り、夜こんな峠道を越える旅人は今はおりませんから、なぜ石が泣いているという話になっているのかもわかりかねます」
「・・・・でも、その赤ちゃん石はどこにあるのですか?」
「わかりません。探しましたが、これより小さな石などそこら中にありますからね。それで、こうなれば母親に聞いてみようとここへ来た次第です」
瑞奈は改めて蓮華の背中越しに石を見る。焚火の明かりに照らされて、艶やかな石の表面が光って見える。
・・・・話を聞いてから石を見ると、大きさもちょうど人ひとりくらい。丸くなって蹲っている女の姿に見えてくるから不思議なものだ。
その時だった。
狐白丸が瑞奈の膝の上から飛び降り、森に向かって唸り始めた。
「ふーっ!!」
天狗が立ち上がり、腰の刀に手をかける。蓮華も急いで紫雲へ走る。
瑞奈も立ち上がり、森の方を見る。
焚火の中から火の付いた薪を一本拾うと、森の方を照らす。
「山賊でしょうか?」
行尊が立ち上がりながら森に目を凝らす。
「ふーっ、ふーっ!!」
狐白丸は唸りながら、後ずさりする。息も荒い。
・・・・狐白丸が・・・・怯えている?
見たことのない狐白丸の動きに、瑞奈も動揺する。
あんな巨大な蟲毒と向き合ったときでさえ、狐白丸は尻ごみすることはなかった。
だけど、今は・・・・。
「天狗殿、蓮華殿!用心してください!何か、得体のしれぬものです!」
瑞奈が言う。
ざわっ。
ざわっ。
暗い森の奥から、何かがこちらへ向かってきている。
草が揺れ、松明の明かりの届かないところから、足音が聞こえる。
・・・・血の・・・・匂い・・・・?
ざわっ。
ざわっ。
瑞奈は自分の息を飲む音さえ大きく聞こえた。
ざわっ。
・・・・・・・。
足音が止まる。
静寂。
瑞奈はゆっくりと松明を森の中へ向ける。
何か、影がある。
ひゅつ。
急に、何かがこちらへ跳んできた。
それは、ごろんと音を立てて、地面に転がる。
「なに?」
明かりで照らす。
「ひぃっ!?」
思わず声を上げる。
それは、人の頭。伸びた髪と髭、見覚えがある。
・・・・さっきの山賊!?
瑞奈が悲鳴をあげたのと同時に、天狗が腰の刀を抜く。
蓮華も紫雲の繰り座へ滑り込み、紫雲を立ち上がらせる。
ざわっ。
ざわっ。
足音が近くまで来た。
「何者ですかっ!?」
瑞奈は松明を高く上げた。
そこには、子供。小さな女の子が立っていた。
裸。長く伸びた髪。
歳は三・四歳といったところか。
「子供!?」
瑞奈が言うと、狐白丸が今まで聞いたことのない声で吠え始めた。全身の毛を逆立てている。
「ふぅーーーっ!!ぎゃん!ぎゃん!!」
そして松明の明かりで照らされたその子供の口からは血が滴っている。
ざっ。
ざつ。
こちらへ近づいてくる。だが、こちらを見てはいない。
あまりに不自然な歩き方。かくかくと頭を左右に振りながら、ゆっくりと歩いてくる。
やがてそれは、森の暗闇を抜け、街道へ出てくる。
その姿が焚火で照らされると、さらに異様さを増した。
生まれたままの姿で、その全身は泥と血で汚れている。
伸び放題に伸びた髪の隙間からのぞく目には、焦点がなく表情もない。
そして、両手には人の頭を三つ、四つ。その首から伸びる髪を掴んでいる。
「見た目に騙されぬよう!それは鬼です!」
行尊の言葉で、はっと我に還る瑞奈。
目の前に出てきたものが、現実なのか夢なのか、わからないで立ち尽くしていた。




