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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
四章 花舞 はなまい

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98 花舞ノ章 一

「他にも客がいるようですな」

屋根の上に見え隠れする影を見つめる。

「そうだろうな。われら以外にも思惑を抱く者は多い」

「いかがなさいますか?」

「行くしかあるまい。今宵を逃せば後はない」

「承知しました。手筈通りに」

「頼む」

男はそう言うと、屋根の上を走る影を見つめた。




今宵、桐高上皇(きりたかじょうこう)の居所で宴が催される。

いくらかの公卿(くぎょう)、高名な僧侶、貴族たちも招かれた。

朝から女房や使用人たちが慌ただしく庭を整えている。

昼頃から貴族たちが院御所(いんごしょ)に集まり始め、御遊(ぎょゆう)が始まるのを待つ。

舞のための舞台が組まれ、その正面に上皇のための御簾(みず)が下ろされる。

今夜の客たちの目的のほとんどが、今夜招かれた白拍子(しらびょうし)である。今、都で最も人気の高い白拍子とあって、貴族や公卿たちの間でも話題に上がっていた。

(ちょう)を受けぬ白拍子だという話だ」

「いや、この宵を待っていたのではないか?」

「神の如き舞を舞うと言われておるが、真か?」

「見るものすべてを虜にすると言われておる」

誰かの寵愛(ちょうあい)に身を委ねることなく、その所作の美しさ、舞の華麗さ、そして機知に富んだ唄、そして生まれ持った艶のある美貌で都中で知らぬものもない。

誰がその白拍子に寵愛を与えるのかという話で持ち切りの中、此度の上皇からの指名に貴族たちが、「これ以上ない御仁だ、あきらめざるを得ない」と悔しがっていた。



先日、顕和親王(あきかずしんのう)が何者かに暗殺された。

それは見るに堪えない光景であったらしい。

自宅の部屋の中で壁と天井を血で染め、体は腕、足、首、胴・・・すべてがバラバラに切り裂かれていたという。

桐高にはそのような殺し方を好む集団に心当たりがあったものの、口をつぐんだ。

沈黙は我が身を助ける。



その直後の宴の催しだけに、院御所の警護に当たる武士たちには、宴の集まる皇族、公卿、貴族たちについての厳しい緘口令(かんこうれい)が敷かれ、百人規模に及ぶ警戒が行われた。



宵の口になると、笛や鼓の演奏が始まる。

それまで話声でがやがやとしていた場が、すっと音楽一色に満たされる。

香が焚かれ、あたりに甘い香りが漂い始める。

そこにいる誰もが、白拍子の登場を心待ちにしていた。





瑞奈王(はなおう)はいつも通り、白い水干(すいかん)に袖を通す。赤い長袴(ながばかま)をはき、頭には長烏帽子(ながえぼし)をかぶる。

腰に鞘巻(さやまき)という舞に使う短刀。扇を懐に入れ、長い髪を先端で縛り後ろへ垂らす。

白粉(おしろい)で顔を白く塗る。濃くなりすぎてはいけない。だが、夜会の時は舞台が暗いので、薄すぎると顔が見えにくい。どれくらいが一番良いかは、経験で知っている。舞台を見ればわかる。自分を引き立たせる、一番美しく見せるための化粧が。

そして濃い目の紅を唇に差し、頬にも紅を添える。

こうして白拍子は、より神に近い存在へと変貌する。白拍子は舞により神を降す役を果たす。




やがて鼓の音が変わる。

出番だ。



扇で顔を隠して、舞台へ上がる。

舞台の中心まで進み、ゆっくりと扇を下げ、顔を露にする。

まわりの貴族たちから、「おお・・・」と、低い声が漏れる。



瑞奈(はな)と申します」



会釈はしない。だが、目線は上げない。

上皇のいる御簾の方を見てはいけない。それが流儀だ。


ゆっくりと両腕を広げ、笛と鼓に合わせて指を躍らせる。

足運びは静かに。足音を立てない。

扇を持った手で、静かに宙を掬う。


誰もがその舞の美しさに息を飲んでいる。ため息さえ聞こえる。




瑞奈王は舞の所作の中で、時折扇で顔を隠す。

その一瞬であたりを窺う。居並ぶ貴族や公卿たち。舞台の正面に御簾が掛けられ、あそこから上皇がこちらを見ている。

視線を感じる。たくさんの視線。



・・・待っていた。

ずっとずっと。


この時を。







斎尾(いお)は、ひとりの滅士(めっし)、四人の創徒(そうと)を連れて屋根の上を飛び回る。


顕和親王暗殺ほど容易い仕事はなかった。


「ただ、殺せばいい」

そう伶守からは言われていたが、そんなつまらない仕事などするものか。

どうせ殺すのだ。これ以上ないくらいに派手に殺したい。

殺しとは芸である。

恐怖とは、芸を際立たせる最高の導きである。


今夜の上皇暗殺もそうだ。

ただ殺すならいつでもできる。そう思っていたから、破主も伶守も手を出さなかったのだろう。使い道があるからだ。

だが、緋家も紀基が死去した今、滅亡の一途をたどりつつある。その緋家を都から追い出した木曽霞だって虫の息だ。伊豆霞家から木曽討伐の兵が出た以上、上皇にはもう用がない。

殺したってかまわないだろう?どうせ用済みだ。

今夜のことは、顕和親王暗殺の時と違って斎尾の独断だ。

上皇が消えれば伶守の価値も消える。そうなれば、二の衆の破導である斎尾が破主に次ぐ地位を得る。

簡単なことだ。

やるべきことはやってしまえ。




院御所の上まで来た。下の方に、篝火(かがりび)の明かりが見える。

斎尾が五人の部下たちに目くばせすると、五人はそれぞれに散っていった。

「さて、こちらも宴だ」

ニヤリと嗤うと、斎尾は腰の太刀を抜いた。





その篝火の火の粉がはぜて飛ぶ。その音は笛の音に消される。

瑞奈王は舞を続ける。

―――舞を見ている全員をわたしの虜にする。

それが瑞奈王が白拍子として持つ、やらなくてはならない使命。

舞台を大きく使い、誰からも、どこからも、すべての見る者が魅了されるように。

その場の誰もが、手に持った盃を忘れるほど。

香の煙が風に揺れるものの、瑞奈王のまわりだけは刻が置き去りにされたように、篝火の光さえその明るさを恥じらっていた。

時には水面を走る白い鳥のように。

時には池に映る満月のように。


そして、笛に合わせて、”今様(いまよう)”を詠む。

ゆっくりと、ひとつひとつの音を響かせるように。


月影高く 照らせども

露の命は 朝に消ゆ

法を守ると 誓いし人の

・・・・


ゆっくりと、最後の一節を読み上げる前に、桐高上皇の前に進む。

手に持った扇を捨て、腰の短刀を抜く。

一気に御簾の前に走り寄る。

この舞が終わった時、この呪いも消える・・・。




心は誰に 寄り添ふや

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