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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
三章 芽吹 めぶき

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91 芽吹ノ章 十八

おれは室山の屋敷に帰ってきた。

ここを出てから三十七日後のことだ。


おれは心配だった姉上の元へ急いだ。

「姉上・・・・」

部屋の中で静かに書を読んでいる姉上の姿があった。

「義陽・・・・・」

少し驚いた顔をしておれを見つめる。

「よかった・・・帰ってきたのね!」

「はい。姉上の体が心配で・・・着いて一番にここへ・・・・」

おれは姉上の近くに寄る。

姉上はおれの顔を見つめて、少し目に涙を浮かべる。

「よかった・・・無事で・・・・」

「はい。無事に帰ってまいりましたよ」

「ですが・・・・・」

急に姉上の顔が怒ったときの笑顔に変わる。

「あなたが一番に来るべきはわたしのところではないでしょうがっ!!」

怒鳴っておれの頬をつねる。

「い、痛てて!?」

「まったく、いくつになっても義陽は義陽なんだからっ!!!いい加減にわかりなさいっ!!」

「い、いいい!?いひ、痛いっ!!痛いです、姉上っ!」

ようやくおれの頬を離すと、ふん!と腕を組んでおれの前に立つ。

「早く、一番に行くべきところへ行きなさい!話はその後だからねっ!!」

「・・・は、はい」

頬がじんじんと痛い・・・。



おれは妙珠のところへ急いだ。

途中、父上と母上につかまって、泣かれるやら抱き着かれるやらで大変だったが、どうにか(なだ)めて妙珠のところへたどり着いた。

妙珠は縁側に腰掛けて遠くを見ていた。

霜田の屋敷にいた頃の、海の向こう、ずっと遠くを見ていた横顔を思い出す

あの時の妙珠は、何を思っていたのか。兄上のことか、それとも・・・。

「妙珠、帰りました」

そっと声をかける。

びっくりしたように肩をすぼめて、おれの方を見る。

「殿・・・・」

一瞬、驚いた顔をして、その顔は笑顔になり、すぐに泣き顔になった。

立ち上がると、何も言わないまま抱きついてきた。

この温かさが、帰ってきたのだ、と教えてくれているようだった。


「・・・心配かけました。ですが、おれはちゃんと帰ってきましたよ」

何を言えばよいか迷って、ようやく言葉が出た。


妙珠の肩が波を打つように震える。

「・・・ありがとうございます」

小さな小さな、掠れる声でそう言った。


しばらくそのままで待った後、妙珠の肩に手を置く。

妙珠は涙でくしゃくしゃの顔をあげて、おれの目を見上げた。

「すみません。ずっとこうしていたいのですが、このあと宗近殿にも報告に行かねばなりません。後でゆっくりお話しさせてください。そう、大きな富士山を近くで見ました。そのお話をいたしましょう」

「はい!お待ちしております!」

涙で頬を濡らしたまま満面の笑みを浮かべると、明るい声でそう言った。

妙珠は(かかと)を上げておれに唇を重ねると、すぐに離して一歩下がった。

そしておれを見上げた時、驚きの表情を浮かべた。

「あ、殿!大変!怪我をなさったのですか!?こんなに頬が腫れて・・・」


え?

・・・あ、それは。


「お待ち下さい!すぐに冷やしましょう!手拭いを濡らしてまいります!」


「あ、お気遣いなく・・・・」



・・・行ってしまった。





「ふむ」

宗近殿に事の顛末を正直に話した。すると、下を向いて考え込んでしまった。

それはそうだろう。この目で見たおれだって、信じられない。

炎の鳥、獣の雄叫び、濁流。

だが、遠征から帰ってきた者たち皆が同じ話をしたので、宗近殿としても信じざるを得ないところだろう。

「わかった。ともあれ、皆が欠けることなく戻ってきてくれたのが、何よりもおれはうれしい。よくやってくれた!」

宗近殿はそう言って立ち上がった。


普段の・・・鬼の宗近殿を知っているおれからすれば、やや芝居がかっているように見えた。

だが、家臣たちは自分たちを思慮してくれている殿の存在を、さぞ心強く思ったろう。さらなる忠誠を誓うと、皆が口々に申し出た。



戦の後始末の記を纏める。これはなかなか骨の折れることだ。

ひとつひとつを思い出しながら、筆に落とす。

そんな大変な作業をしている最中・・・・。

筆を持つおれのまわりを、役人たちがやいのやいの言いながら歩き回る。

「義陽殿!われがこの書の束を収蔵すべき場所にはすでに三千を超える紙の束が・・・・ぐぉっ!?」

おれのところへ書の束を両手で抱え運んできたおしゃべりが畳の縁で滑って転ぶ。

他の役人たちが駆け寄るが、狭い部屋のせいでお互いがぶつかって倒れる。その手が他の役人に当って、そちらも紙の束をひっくり返し・・・・。

大混乱だ。




その夜、やっと落ち着いたときにはすっかり暗くなっていた。

妙珠と二人になると、とても安心できる。静かなところで妙珠の姿を眺めているだけで、幸せを噛みしめられるのだ。やはり、天女様。心が洗われる。

「あのう・・・殿・・・・」

「うん?いかがいたしましたか?」

「それが・・・・」

妙珠はおれのそばに来て、すとん、と腰を下ろす。

「こんな具合に・・・」

おれを見上げながら、自分の前髪を手で掬いあげる。

額が赤く腫れている。

「おお!?なんと!?いかがいたしたのですか!?」

「じつは・・・・」


妙珠は女房達にまじって役人たちの飯の支度をしていたところ、抱えていた膳が崩れて頭を打ったそうだ。


「いきなり人が増えすぎて、わたしも何をしてよいのか・・・・」

「妙珠がそのようなことまですることはありませんよ」

「ですが、皆さんが忙しなく歩き回っていらっしゃると、わたしも落ち着けなくて」

「ともかく、冷やしましょう。手拭いを濡らしてきます」

「いけません!殿にそのような!」

「かまいません。いつぞやの礼です」

「ですが・・・」

「それを口実に妙珠の髪に触れたいだけです。お気になさらず」

「・・・そのようなことを言われたら・・・余計に気になります・・・・」

顔を赤くして俯く。

ああ、心がふわふわする・・・。




「宗近殿」

翌日、おれは宗近殿のところへ行くと、話を切り出した。

「もう、ここ室山では手狭です。これだけ人が増えると、なんとも構いきれません」

「・・・そうだな。では、そろそろ足柄の平地に移ろう」


返答と決定があまりに早い。

前もって考えていたのでは・・・そうとしか考えられない流れだ。


「足柄・・・でございますか?」

「ああ、以前からここを移すなら足柄と考えて、居と町を移すことを考えていた。よいだろう?」

「はい・・・・え、町?」

「では、明日にでも場所を検めに参る。義陽、お前もついてこい」

「はい・・・えと、あの、町?」



足柄平野は、南に相模湾、北に足柄山脈、西に箱根山脈、東は丹沢山に囲まれた、街道の要所。

見渡す限りに広い草地がどこまでも続いている。

「武士たちと職人をここに集め、町を作らせる。それは京よりも武にあふれ、余分な装飾のない、大きな街道の関所としてここに構える。人が出入りし、物が溢れ、海と山に囲まれた天然の要塞。これでかつてのように街道を押さえられる心配もない。ここに、この世で初めての武士たちの町を作ろう」

宗近殿はそう言って腕を広げた。

いやはや、やはりこのお方は・・・。

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