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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
三章 芽吹 めぶき

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90 芽吹ノ章 十七

おれがもしゃもしゃに連れられて川原に着いたとき、すでに優男とおしゃべりが鍋を囲んでいた。

「ほんとに仕留めたのですか!?」

「ああ、もちろんだ!さ、さ、たんと喰え!」

もしゃもしゃが椀に熊鍋を汲んでおれに差し出す。

「ああ、美味であるぞ。熊がこんなにうまいとは・・・。だが、虫が気になる・・・」

「刀は抜かないでくださいね、ええと・・・幸臣(ゆきおみ)殿、でしたっけ?」

おれは優男に言う。

「おれは上原幸臣。そろそろ記憶していただきたい」

「はい、申し訳ない。いきなり人が増えたもので・・・」

おれは頭を下げると、もしゃもしゃが豪快に笑った。

・・・もしゃもしゃの名前も怪しいのだけど・・・。

雨上がりの夜、まだ空はどんよりとして星は見えない。

「この空では、富士の山も拝むことが出来ないな」

おしゃべりが珍しく一言で喋った。

・・・富士山か。そう言えば、姉上に話そうと思っていたのだったな。

以前、この辺りまで一人で来たときに、近くで富士山を見て、あまりの大きさに驚いた話をしようと思いながら、いろいろあって忘れていた。

この戦から帰ったら、父上、母上、妙珠、姉上と一緒に話そう。まあ、宗近殿も入れてやってもいいか。

姉上・・・どうしているだろう?やはり、腹に子がいるのだろうか?

宗近殿の子・・・。腹の奥の方に、行き場のないもやもやしたものがたまっていく・・・。

姉上が嫁いだ時には何も思わなかった。だけど、今は姉上が他の男のものになっていることが悔しくてならない。我ながら勝手なものだ。おれには妙珠という妻がいるではないか。


「・・・旨いですね、熊」

「だろう!おれの熊鍋は天下一品だ!」

もしゃもしゃが胸を張る。

「そういえば、ご一同、ご存じか?富士川では古来、焚火をしてはならんのだ」

「は?」

おしゃべりが突如変なことを言う。

・・・禿頭が鍋を煮る火でキラキラしている。それはどうでもいい。

「それは、何かの戒めですか?」

つい、聞いてしまった。

「よくぞ聞いてくれた。それは今を去ること百年前、いや、わが爺様の時代であるからしてざっと百と五十年前と言ったところか。わが爺様たちは京からの帰りの道でちょうどこの辺り、富士川のほとりで夜を明かさんと焚火をして・・・(中略)・・・富士が噴火したというのだ」

「噴火?」

途中は聞いていなかったが、最後だけ聞こえた。

「それからというもの、 この辺りで大きく火を使うと、富士が怒るとされたそうだ」

「・・・はあ」

「まあ、迷信であろうな」

「そうでしょうね」

おれは適当に相槌を打った。下手に話を振ると、また長い。

「そもそも迷信というのは・・・(以下略)」

ああ、もういいって!

もしゃもしゃと優男もげんなりした顔でうなだれる。



腹がいっぱいになると、眠気に襲われる。

霊力回復のためにも、寝ておかなくては。

少しうとうととしたものの、すぐに富士川のどうどうと流れる音で目が覚める。

そしてまた少し眠る。

また目が覚める。

姉上のことを思い出す。胸がもやもやとする。これは、嫉妬心というものなのだろうか?

姉上が、他の男に身をゆだねる姿を思い浮かべ・・・眠れない!

今は戦に集中せねば!

少しうとうととする。

また目が覚める。

そんなことを何度繰り返しただろう。

空が白々としてきた。

「・・・・ああ、朝になってしまった」

少し高台の崖に登り、向こう岸の敵方を見る。

まだ動きはない。

「まだ川の流れが早い。しばらくはこのままかも・・・」

ひとりそうつぶやいた時だった。

向こう岸のさらに奥。薄い霧の中、小高い山の上で一瞬何かが光った。

小さな灯のようだったが、その後だ。

その少し上、空に向かって、炎が舞い上がった。

「炎の・・・鳥?朱雀?」

それは一瞬で消えた。

見間違いだったかと思い、何度も目を凝らした。

それはすぐ消えてしまったので、わが目を疑うしかなかった。

そして急に訪れた静寂。囂々(ごうごう)と流れていた川の音が消えた。いや、言葉で表すのが難しいが、すべての音が、富士へ引き寄せられるように飛んでいった。

だが、その次の瞬間、集めた音を吐き出すように、遠くから巨大な音の塊のようなものがこちらへ迫ってきた。

少し遅れて、びりびりと振動が地面を伝ってくる。

富士山の裾野あたりから川に沿ってこちらへ、河原にあるものを吹き飛ばしながら。

「なんだ!?」



うおおおおおおおおおおん!!!



それは獣の咆哮のようだった。

水鳥たちが一斉に羽ばたいて逃げ出し、舞い上がった石や倒木がぼたぼたと頭上に落ちてくる。

「なんだ!?何が起きた!?」

辺りは騒然となる。

「敵襲だーっ!」

誰かが叫んだ。その一言により、一番慌てていたのは先鋒にいた諏訪霞家の当主、霞範影殿だったのだろう。自ら戦御体に乗り込んで、雨で増水している富士川を渡って行ったという。

その後に諏訪軍が続く。

おれはどうしてよいかわからず、とりあえず白縫の繰り座に滑り込む。

敵襲であれば、霊力不足で動けなくならないよう、敵が来るぎりぎりまで待つ。

白縫の腰に太刀・・・よかった、ちゃんとある。


だが、天変地異の災害はこれに終わらなかった。

遠く山の方から、ごうごうと音が聞こえてきて、すぐにその音は迫ってきた。

だが、それは音だけではなかった。

その直後、富士川を巨大な濁流の塊が流れ落ちて迫ってきたのだ。

「川から出ろーっ!」

誰かが叫ぶ。

だがその速さ、勢いは今まで見たことがない。

川にいる者は、水に足を取られて思うように走れない。

あっという間に諏訪の兵たちが濁流に飲み込まれていく。


水とはこのようにすべてを攫って行くのか。人の命も、自然も、何もかも。

川に入っていたものはすぐに跡かたなく流されていった。





全員が日が高く昇るのを待った。

昨日までの大雨が嘘のように晴天になり、川の流れも緩やかになった。

霞の軍はゆっくりと富士川を渡り、向こう岸へ。そこには、よほど慌てふためいて逃げだしたのだろう、河原や川岸には、緋家の旗や鎧兜、戦御体までもが取り残されていた。人の気配はない。


「おーい、義陽殿!こちらへ来ておくれ!」

優男がおれを呼んだ。

そちらへ行ってみると、真っ二つに斬られた白い戦御体の残骸。

諏訪の兵たちの話によると、中で斬られて息絶えているのは諏訪の当主の子霞丈影(かすみたけかげ)殿で間違いないということだ。

諏訪の被害は大きかったが、後方にいた我々、伊豆の被害は皆無だった。


結局、兼信殿の判断でおれたちは伊豆へ引き返すこととなった。

こうして一度も刃を抜くことなく、おれたちは不可思議な勝利を手にした。



今思い出してここに記していても、読む者に信じてもらえるとは思えない。

おれ自身も夢かと思っているくらいだ。


こうして何もしないまま伊豆へ戻ってきた。

一番大きな成果と言えば、当主を失った諏訪霞家が伊豆霞家の軍門へ下ったことだろう。

こうして我々は大して労することなく、坂東(ばんどう)一円を手中に収めつつあった。

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