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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
一章 風結 かぜゆい

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50 風結ノ章 五十

「母様ーっ!!」

「時千代!!」


千子せんこの姿を見るや否や、時千代は馬を飛び降りて千子のところへ走っていく。


「母様、お会いしたく思っておりました!」

「時千代、わたしもですよ」


時千代は千子の懐に飛びつく。


「あら、大きくなって。すっかり男の子ですね」

「はい!父上の金冠にも乗れるようになりました!」

「・・・・そうですか。すごいですね!」

千子は少し複雑そうな顔をしたが、すぐに笑顔で時千代の頭を撫でた。


「母様・・・・。」

「紅羽、伊佐!遠くまでご足労でしたね!」

紅羽と伊佐も馬を降りる。


「大変ご無沙汰をしており・・・・」


言いかけた紅羽の袖を、伊佐が引っ張って走り出す。

「あ、ちょっと!伊佐!」

「姉様、そういう挨拶は後です!」

「・・・・そうですね!」


そのまま二人も、千子に抱き着く。


「三人とも、大きくなって!わたしの腕では足りないわね」







成相寺せいそうじは丹後と丹波の国境近くにある寺。

かねてから緋家と所縁が深く、千子が身を寄せているこの女人堂にょにんどうも、紅羽たちの父である浄基が建立したお堂である。


伊佐と時千代は興奮した様子で千子に話を聞かせた。

六原でのことは、ほとんどが紀基と孝基に関する愚痴だった。

白結丸を追ってここまで来たこと、貞基の馬鹿っぷりなど。


千子は、伊佐が白結丸の話をするときに一番生き生きした顔をするのが気になったようだ。それは紅羽も見ていて気になったところだ。


その夜、時千代は疲れが出たのか、興奮しすぎたのか、陽が暮れる頃に寝息をたてていた。


「そうですか。白結丸はお元気なんですね」

「母様も白結丸様をご存知ですか?」

伊佐が嬉しそうに言うと、千子は首を横に振った。

「いえ、その昔、宵近丸よいちかまるが名前だけ教えてくれました。わたしたちに弟が生まれました、って」

「とても・・・・なんというか、・・・・その・・・・素敵な殿方です」

「・・・・まあ」

「あ、いえ、その・・・・・・そうなんです」

顔を真っ赤にして俯く伊佐。

「伊佐がそう言うなんて、よほどなのでしょうね。今度、一緒にいらっしゃい」

「え、それは・・・・」

「わたしも、弟に会ってみたいですからね」

いつもの優しい千子の笑顔。

「は、はい。わわわ、わ、わたしも、休みますっ!!」

そう言うと伊佐は立ち上がり、隣の部屋へ逃げるように出て行った。


「・・・・伊佐、大丈夫でしょうか?」

紅羽が振り向きながらポツリという。

「紅羽は殿ちちおや譲りで真面目ですからね。伊佐に先を越されますよ」

「?」

「でも、紅羽。本当に、ちゃんと自身の先のことを考えておきなさいね。伊佐も時千代も、もう立派に大きくなっているじゃないですか」

「いえ・・・伊佐はともかく、時千代は・・・・」

「あなたはあなたで、弟離れできていないですねぇ」

千子が少し吐き出すように言う。

「・・・・そうでしょうか?」

「小さい頃からずっと、時千代から離れませんでしたからね」

「わたしは、あの子たちを頼む、と父様から言いつけられましたので」

「もうそろそろよいのではないですか?あなたも自身の幸せを探してみては?」

「わたしの幸せは、あの子たちが無事に一人前になることで・・・・殿方はこんなわたしに見向きも・・・・」

言いよどむ紅羽に、千子はちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「殿方というものは、自分を慕ってくれる娘に弱いのですよ」

「ですが・・・・」

「では、母からひとつ教えておきましょう。いずれ、必ず必要になることです」




「・・・・・・・・・」




「そ!?そのような、そんなことっ!?」

「はい。それをされてその気にならない殿方はいないと、わたしも教えられました」

「え?え?でも、はしたない娘と思われては!?」

「大丈夫です。あなたがここぞと思う殿方に、してみなさいね」


「・・・・で、ですが・・・・」

顔を真っ赤にして下を向く紅羽。


「そのお相手が紅羽の前に現れた時に、お試しなさい」


「・・・・・は、はい。おぼえて、おきま・・・す」


「ふふ」



千子は暗くなってきた庭を見ながら、ふっと微笑んだ。

「あなたとこうしていると、お猿さんのこと、思い出すわ」

「・・・・お猿さん?」

「小さかったから、覚えていないかしら?いつも庭の木に登っていたお猿のかた

「ああ、うっすらとですが、覚えています」

「父様の妹君でね、六原のお転婆姫・・・・。もし生きていらっしゃるのなら、お会いしたいわ」



六原が炎に包まれた夜。

千子は幼い紅羽と、生まれたばかりの伊佐を抱いて逃げるのが精いっぱいだった。

宵近丸に澄乃を助けてくれるよう、必死に頼んだのを思い出す。

それきり、澄乃のことを聞けなかった。

澄乃と一緒にいた女房の熙耶きやのことも・・・・。



もし澄乃が今も生きているとするなら、伊豆で死んだという千子の兄、宗矢のことを思っているのだろうか?



「紅羽、女が今の世で生きていくには、自らが強く行かなくてはいけませんよ!待っていてはだめです!自分から行かないと!」

「は、はい?」






・・・・・・・強く、行く!?

その襖の向こうで、伊佐は聞くともなしにその話を聞いてしまった。


「・・・・殿方に向けて、唇を差し出すのです!そして、殿方の唇が重なった時に、思いっきり吸うのですよ!」


母様のさっきの言葉が頭の中で何度も響いてくる。


・・・・く、くちを・・・・・・吸う?

白結丸様の・・・・・くち、唇を・・・・吸うのっ!?わたしから!?




は、はずかしぃ・・・・・。

伊佐は布団を頭から被ると、体をよじって身悶えした。

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