36 風結ノ章 三十六
「これはこれは、紅羽姫!よくお越しくださいました!」
船井皆家は懐かしそうに紅羽たちを見渡した。
「最後にお会いしたのは、まだ浄基様がご存命の頃でしたからな!」
その皆家の言葉に紅羽は苦苦しい笑みを作る。
「おう、これは申し訳ない。ですが、我が家は昨日、息子が帰ってきましてな!」
「ほう、ご子息が?どこかへ行っていらしたのですか?」
「ええ、都に行っておりました。ですがついに嫁と従者を連れて帰ってまいりました!」
「ほう、それはめでたいですね!」
「なので、今宵はおもてなし致します!この船井家、緋家一門の宿守としてお仕えできたこと、恩返しと思いごちそういたします!」
伊佐と時千代は嬉しそうに顔を見合わせる。
「それは、せっかくなので、あやかりいたそう。世話になります」
紅羽は少し頭を下げた。
◇
「ミカナ・・・・・・頼む」
ミカナのところへ、小袖と頬かむり姿の嶺巴が来た。
濡れた手拭いをミカナに差し出す。
「わかった」
それを受け取るミカナ。
顔は白塗り、丸眉。
長い黒髪は椿油でべっとりとして、重い重い十二単を着させられている。
ばたっ。
嶺巴はそのままうつぶせに倒れ込み、小袖の裾をまくってお尻を出す。
「・・・・ひどいな。ただでさえ大きな嶺巴の尻が、赤く腫れて倍くらいになっておる」
潮の手のひらの跡が痛々しい。
「四つに割れてないか?」
「今はまだ・・・・いや、明日には四つじゃな」
「た、助けてくれ・・・・」
嶺巴のお尻に濡れた手拭いをかぶせる。
「うっ!痛っく感じて候!染みますがこと!」
「・・・・おかしな言葉になっておるぞ?」
「・・・・助けてぇ・・・・・・くりゃれぇ・・・・」
◇
厩の朝は早い。
なぜなら、朝日が射してくると同時に、馬たちが白結丸の頬を舐めるからだ。
「まて、まて、今すぐに干し草ぁ持って来てやっからなぁ」
手押し車で干し草を運んでくる。
馬たちがむしゃむしゃと食べてくれると、こちらもうれしくなる。
「たんと食べろぉ!力ぁつけて、これからもがんばってもらわねぇといげねぇんだっぺ!」
馬の鼻を愛おしくなでる。
愛情を持って育てた馬は、立派に育っていく。
「しっかし、めんこいだなぁ、馬ぁ、ほんにかわいっぺ!」
・・・・そんなことやっている場合ではない。
さっき、紅羽たちの御体車が御体蔵に運び込まれたのを厩から見た。
「緋家よりの家系ですので・・・・」
皆秀はそう言っていた。
考えてみれば、紅羽たちは緋家の姫だから、この宿守に立ち寄るのは当たり前だ。
もし屋敷内で鉢合わせでもして、白結丸が霞家の直系だとわかれば皆秀の立場も危ういだろう。
何とかして、早くここを出なければ・・・・・。
◇
「懐かしいな、この屋敷も」
紅羽はこの船井の宿守に思いを馳せていた。
父様と母様、そして私。伊佐も生まれていたかどうだったか。
丹後の温泉へ、父様の背中の傷の療養に行くと言って、必ずここへ立ち寄っていた。
その頃から、あの船井には世話になっている。
その頃から、ここは女中も多くて、賑やかだった。
そう、廊下を歩いていると、いつもこんな風に、女たちとすれ違って・・・・。
「藍羽の娘?」
女中たちの最後を歩く伏目がちの女を呼び止める。
「・・・・・・」
紅羽が覗き込むと、顔をそむける。
だが、間違いない。
藍羽嶺巴だ。
「なぜ、お主こんなところで・・・・」
「あなや、かかる所に紅羽なる姫君とお目にかかりぬることの、いとめでたく、かたじけなきことに侍るかな」
「・・・・何を言っている?」
「なほ、いと急ぎの事の侍れば、これよりまかり立ちなむ」
と言って、嶺巴は立ち去ってしまった。
「・・・・わたしは、まだ夢を見ているのか?」
◇
「いや、あれは間違いなく、藍羽の娘だったが・・・・」
・・・・ということは、ここに白結丸たちもいるのか?
おいおい、ここの家は緋家の息のかかった一族。
こんなところで身分がわかれば、六原へ突き出されてしまうぞ・・・・。
「もう、いやじゃぁぁぁっ!!」
「あっ!待ちなさい!!まだお化粧が終わってないでしょっ!!」
向こうから、何か小さい子が廊下を駆けてくる。
「おおっ!!紅羽ではないかっ!!助けてくりゃれ!!」
・・・・くりゃれ!?
やっぱり、まだ夢を見ているのだ。
こんなところにまで妖の力が届いているとは・・・・。
そしてこの子・・・・。
ぶかぶかの十二単、白塗りの顔。丸眉。長い黒髪。
頬紅と赤い唇。大きな瞳にうっすらと涙を浮かべて、こっちを縋るように見上げている。
・・・・かわいすぎる。
どんな高名な人形師でも、こんなかわいい人形は作れないだろう。
なんて破壊力。
世に愛らしいものは数あれど、《《これ》》に敵うものなどないだろう。
こんなかわいい生き物、いるはずがないじゃない!
そうね、これは夢だから。
「あは、あははははは!」
「・・・・紅羽?」
「あ・・・・は・・・・・・」
ぶしゅっ!!
ばたん!
鼻血を噴いて倒れた。
「べ、紅羽っ!?」
◇
目を覚ました。
時千代と伊佐の顔がこちらを覗き込んでいる。
「大丈夫ですか!?姉様!」
「紅羽姉様!心配しました!」
「伊佐、時千代・・・・」
「よかった・・・・。紅羽姉様、ご病気かと思って・・・・」
安心したのか、うっすら涙目の時千代。
「ごめんなさい、時千代・・・・」
「いえ、いいんです!紅羽姉様がご無事なら・・・・」
「違うのです。そういうごめんなさいではありません」
「?」
「でもそう、あれは夢です!」
・・・・これを、浮気、というのでしょうか?




