32 風結ノ章 三十二
「この霧はなんだ?」
紅羽は老江山の峠に差し掛かった。
「紅羽様、これ以上は霧が深く、危なくなります!」
「仕方ない、ここで霧が晴れるのを待つ!」
「すごい真っ白ですね」
時千代はそう言って馬を降りた。
紅羽も続く。
「時千代、遠くにはいかないように!」
「はい、わかっております!」
そう言う時千代の姿は霧で霞んでいる。
「紅羽姉様、少しお休みください。わたしたちはお暇をもらっているのですから」
伊佐が紅羽を心配そうに見る。
「そうだな、いつもの癖が抜けなくて」
「紅羽姉様、こちらに!」
時千代の声がした。
紅羽と伊佐は顔を見合わせ、時千代の声がした方へゆっくり歩く。
白い霧の中、何か大きな影が見えてくる。
「あれは、御体車では?」
伊佐が言う。
「確かに」
「こっちです!こっち!」
時千代の姿がぼんやり見えてきた。
「ほら!」
時千代の指差す先。
馬に跨ったまま、俯いて寝息をたてている女が見えてきた。
「これは・・・・藍羽の娘ではないか!?」
「こっちには白結丸様も!」
伊佐の声。
「どうしますか?紅羽姉様!」
時千代が紅羽を見上げる。
「このまま手柄をみすみす後からくる貞基にやりたくない!兵たちを呼んで、縛り上げろ!」
「はい!」
時千代と伊佐が飛んでいく。
・・・・しかし、本当に妙な霧だ。
◇
六原へ戻った紅羽は、紀基と孝基に事の経緯を報告した。
「うむ。なんにせよ、ようやった」
・・・・爺様が、褒めた!?
紅羽の後ろに控える貞基の悔しそうな顔が目に浮かぶ。
「お前たちがしっかり任をこなしてくれるなら、われらも安泰なんだ」
叔父上・・・・。
「では、緋家一門に楯突く愚か者は、紅羽、お主の手で首を落とせ」
「は?」
紅羽の背筋に冷たいものが走った。
◇
なぜ、こうなった?
土壇場に首を差し出す白結丸。
「紅羽、かまわない。ひとおもいにやってくれ」
「白結丸・・・・」
「お前はお前がやるべきことをやればいいんだ」
「だが、お前は滅創衆からわたしたちを助けてくれた」
「迷うな」
「しかし・・・・」
「紅羽姉様っ!いけない!こんなこと、絶対に間違ってます!」
駆け寄ってくる伊佐を役人たちが取り押さえる。
「やめて!姉様っ!お願いです!」
「姉様」
時千代がこちらを見ている。
酷く軽蔑した目だ、
・・・・そんな目で見ないで!
わたしだって、やりたくない!
「紅羽!迷うな!」
「姉様っ!やめてっ!」
「・・・・紅羽姉様」
もう、あとには引けない。
紅羽は振り上げた刀で一気に白結丸の首を落とした。
血が飛び散る。
絶望の目。
でも・・・・。
・・・・こうするしか、ない!
伊佐、時千代。
あなたたちを守るため・・・・。
わたしは、こうするしか・・・・。
わたしは、父様にそう頼まれたから。
あなたたちを、守れって。
◇
なんで、こんなことに!?
姉様、わたしはずっと姉様に憧れてきた。
姉様はいつも強く、凛々しく、美しい。
姉様は間違わない。
だけど!!
今までずっと、姉様についてきた。
姉様のうしろ、背中ばかり見てきた。
時千代が生まれてから、母様も姉様も時千代のことばかり可愛がるようになった。
わたしだって、時千代のことは大好きだ。かわいい。
だけど、すっかり姉様を取られたように感じた。
そう、時千代は期待されて生まれた男の子。
じゃあ、わたしは?
でもね、あのとき初めてわたしを見てくれた人がいたの。わたしを、"紅羽の妹"じゃなくて、"伊佐"として見てくれた。
「紅羽よりもお前がもっと前に出ろ」
そう言ってくれた。
初めて、わたしをちゃんと見てくれた人。
わたしの、初恋の人。
姉様がたった今、手にかけた人。
白結丸様。
わたしを見てくれる人は、またいなくなった。
わたしはまた、「紅羽の妹」に戻った。
くやしい!
怒り?
悲しさ?
今わたしが感じているものって・・・・一体なんなの!?
わたしは、姉様にはなれない。
尊敬する姉様にはなれないし、もうなりたくない。
だから姉様、その刃でいっそ、わたしも斬ってください!
でないと、わたしは姉様を憎んでしまう!!
◇
「見渡す限り真っ白じゃな」
ミカナはひとり、雲の中にいるような感覚だった。
・・・・呼んでも返事をせんと思ったら、寝ておる。
嶺巴も皆秀も、馬の上に突っ伏して寝息をたてている。
・・・・妖の霧か。
ミカナは峠の上の方を見上げる。
・・・・あのあたりじゃな。
「じゃが、それにしても」
ミカナは少し振り返ると、地面に倒れている紅羽と伊佐、時千代を見る。
「何で、こやつらもおるのじゃ?」
そのさらに後ろの方には、兵たちがいるのだろう。盛大ないびきが聞こえてくる。
・・・・紅羽、伊佐、それと・・・・時千代じゃったかな?
姉二人はたいそう苦しそうな顔をしているが、時千代は楽しそうじゃな。
・・・・一人だけ、いい夢でも見ておるのか?
「それはともかく、白結丸だけおらん。連れていかれたのか」
◇
あははは!
紅羽姉様!伊佐姉様!!
みんな、仲良くしましょう!!
あはははっ!
白結丸様も!お仲間の方も!
お爺様も!叔父上様も!貞基様も!
ええと、どちら様でしたっけ?
まあ、いいでしょう!
みんな、みんな、仲良しです!
父様も!母様もっ!!
あはははっは!




