変化
――時雨町――
鬼を斬れば、少しは気が紛れるかと思っていたが、そうではない。剣を振れば振るほど、獣の力を使えば使うほど、はっきりと痛感させられる。
――惹かれあうのは、逃れられぬ運命よ。
口の周りをソースで汚した恵が、何気なく口にした事実。
それを、私は受け入れる事が出来なかった。
「運命……だって?」
「そうじゃ。考えてもみろ。非凡性の欠片も無いあの小僧に、そこまで陶酔する魅力など皆無じゃ。おぬしも分かっておろう? 他の娘らが、どんな目で小僧を見ておるのか」
確かに、彼は頭が良いわけでも、とりわけて顔が良いわけでもない。
そんな彼に、他の皆が、不自然な程の行為を寄せている事も、知っていた。
分かっていたけど――一緒だとは思っていない。
一緒にされたくない。一緒にして欲しくはない。
ずっと昔から。
私は。
私だけはひたすらに彼を想っていた。
「どうしてそんな顔をするのじゃ? 別に、悪い事ではなかろう。おぬしが小僧を想う想う気持ちも、他の娘が等しい感情を抱く事もまた、血がそうさせておるだけじゃ」
「そんな……では私のこの想いも、全ては血の運命だとでも言うのか!?」
認めない。認めたくない。
血や運命など、そんなモノに支配されてはいない。
「ふん。若いのぉ。じゃが、こればかりはどうにもならん。認め、受け入れるが楽じゃ。遥か昔、わしらがそうしたように、な――」
「なっ!?」
突然、後ろから伸びた二本の手が、私の両胸を掴む。不意の攻撃に驚いたが、その正体は蘭だった。
「これが鬼だったら……おっぱい持っていかれてたわよぉ……?」
「……すまん」
「謝るなんてらしくないわよぉ……。ずっとボーっとしちゃって、どうかしたのぉ……?」
話せば、楽になるんだろうか。
友人。同士。そして恋敵。一体どんな顔で、どんな言葉で。
「いや……何でもない……。では、気をとりなおして――」
「大変や! 一大事やで!」
道の向こうから、二人が血相を変えて走ってくる。
「どうしたのぉ……? 勝てない鬼でもいたぁ……?」
「ちゃうわ! これやこれ!」
茜が手にしていたのは、頼まれても決して履かないだろう、無駄に底の高いサンダル。こんなモノを履いているのは――私の知る限りでは一人。
「……朋子のモノか?」
「今日、ポチと会ったさかい、間違いあらへん。道の隅っこに落ちとったんや。電話もでぇへんし……」
「これは悪の陰謀ですっ! 朋子ちゃんは悪い組織にさらわれてしまったんですよっ!」
悪い組織――その線はないな。誰かに連れ去られたのだとしても、そう易々といくものか。
「茜。朋子とは何処で会ったんだ?」
「ポチ――図書館に行くって言うてたな」
図書館と言う単語は、すぐにその名を連想させた。
「毛利――未華か」
「それって……時雨町の歴史を調べていた人だっけぇ……? 十二支枝かも知れないっていう……?」
「今の状況では、憶測にすぎないがな」
普通の人間では無理だが、同じ十二支枝なら、朋子をさらうことは不可能ではない。
「せやかて……毛利未華の事なんてウチら何も知らんで? それに……そもそもポチをさらう理由も分からん。男ならまだしも――男? 毛利未華って本当は男とちゃうんか!? それならつじつまが合うで! 狙いは乳や! ポチの乳目当てや!」
「せめて身体目当てって言いなさいよ……。それじゃ存在価値が胸だけ、みたいな言い方じゃない……」
いや、その線もないな。毛利未華が女性である事は司書の証言からも明らか。
女装が趣味でなければ、だが。
「じゃあ……人乳ですかねっ? 身代金目的とかっ!?」
多分、百合子は人質と言いたかったのだろう。ここはあえて訂正する必要もあるまい。
「それはありえへんやろ。先輩や龍ちゃんならまだしもなぁ――」
誘拐――人質――。
「そうだ! 人質だっ!」
「わっ! びっくりするわ先輩……」
どうして気付かなかった。一番先に思い浮かばなければならない事!
いつもは感じない、スマホ画面のスクロール速度がもどかしく、コール音は不安を煽るように長く。繋がりを否定するように、切断された。
「……やられた。狙いは――朋子ではなかった……」
「クソっ! 何やねん! 何が目的やっちゅうねん!」
「はっ、早く見つけないとですっ!」
もし十二支枝が関係してるなら、少なくとも彼に危害を加えることは無いはずだ。
手がかりになりそうなモノも、情報もない。
何処だ。何処に行けばいい。何処を探せばいいんだ――。
――神崎家――
虎の娘の家から戻って半刻。小僧が出かけてから一刻。
女子に呼び出されたらしい――と母は言っておるが、逢引にしてはどうも腑に落ちん。
皆は町を周っているのじゃろうし、宵に出歩くなと言われておるはずじゃ。
わざわざ好んで禁を破るほど不義理な男ではないと思うのじゃが――。
「恵ちゃん。電話よ。蓮ちゃんから」
「おでんわ? わたしに?」
わしに電話じゃと? やはり――何かが起きておるか。
「もしもし! おねぇちゃん?」
「恵。朋子がさらわれた。多分、彼も」
冷静に話しているが、どこか不安げな虎の声。わしに助けを求めるとは、随分困っておるようじゃな。
「おねぇちゃん! ちょっとまってね!」
此処で話すと母に筒抜け。とりあえず移動じゃ。
それにしても、何じゃこの電話。重くて中々動かぬではないか――。
「めっ、恵ちゃん!? それは動かないのよ! ほっ、ほらこっち! こっちの子機を持っていくと良いわ!」
「そうなんだ! ありがとう!」
ふむ、動かない電話というものもある――と。覚えておくとするかの。
「で、わしに何用じゃ? 外には出れんし、小僧の行き先など分からぬぞ?」
小僧の部屋。べっどに腰を下ろす。
「……そうか。残念だが、私達の方でも手がかりと呼べるものは何も無いんだ。多分、羊の韻が関わっていると踏んでいるのだが――」
「ふむ。羊のぉ……」
羊。わしの知る羊は、大人しく、争い事を嫌う性格じゃったが――時代が変われば、それもまた変わるものよ。
「それでだな。恵の時代に、羊が住んでいた場所を教えて欲しいんだ。勿論昔のままだとは限らない。それでも、何か手がかりになればと思って」
「ほう。それくらいなら――じゃがな。地図がなければ分からん」
「時雨町の地図なら、多分彼の部屋にあるはずだ。時雨町ガイドブックと書いてある冊子が、必ずどこかにある」
「時雨町がいどぶっく? さっし? ソレは何じゃ?」
「……本だ。緑色でコート紙――ツルツルした紙で出来ている――」
ふむふむ。多分――これじゃな。おお、地図が載っておる。羊――羊――。
「ない」
「そんなに厚さはなく、せいぜい恵の小指――えっ?」
「羊が住んでいた場所は、この地図を見る限り――道になっておる」
変わってしまった。
村も、そして人の在り方も。わしらが居た時代とは、もう何もかもが違う――。
「そう……か……。分かった。わざわざすまなかったな。あとは私達で何とか――」
「待つのじゃ!」
何の気なく、指でなぞった町の地図。在るべき所に、牛の絵が。
「羊と牛は、仲が良くてのぉ――」
変わってしまった。
長い歳月は、牛も桃色にさせるんじゃから――。
――メグミルク――
アタシは――どうなってるんだろう。
何も見えない。何も聞こえない。力を使う事はおろか、動く事も。
彼の声が聞こえたと思ったら、突然お尻を揉まれて。声を出せば羊が鳴いて、鼓膜に反響する。
静かになって、どれくらい経ったんだろう。
アタシが負けたから。アタシが弱いから。彼に迷惑かけてる。
こんな自分――嫌だな。
「なっ!? ちょっと~!? 未華助っ! 未華あああああっ!」
あの女の声。叫び声。何かが倒れる音。
一体、何が起こってるの? 見えない。聞こえない。なんなのよ!
くそっ! 何で動かないのよ! お尻だけ――出てるの? どうなってるのよ!?
「メエエエエエッ!?」
アタシの叫び声が、羊の鳴き声に変わった。
アタシのお尻――触られてる!?
「メェッ! メエッ! メエエッ!」
いやっ! やだっ! やめてぇ!
そんな叫びも虚しく、アタシのお尻は、力強く揉みしだかれる。
この指の感触――男だ。アタシのお尻、知らない男に触られてる!
そして、その手がパンツのファスナーにさしかかる。
嫌だ……やめてよ……。どうしてアタシなの……? 一度で良いじゃない!? 二度も襲われるなんてあんまりよ!? どれだけアタシを穢したいの!?
神にも、仏にも祈った。
だけど、無常にも。
そいつは――アタシのホットパンツをずり下げた。
見られてる。触られてる。
薄い布切れ一枚で感じる男の手の感触に、もう声も出せなかった。
身も凍る程の恐怖。絶望。
この暗闇の中で、アタシは――散らすんだ。
固く、柔らかい感触と、荒い吐息を、一番隠された場所で、感じた。
涙が、止まらなかった。
「うわっ!? 何や! 牛!? いや、羊!?」
ふと聞こえた、聞き覚えのある関西弁。
助けに来てくれたんだ。でも、もう遅いよ。アタシ――穢れた。穢されてる。
「そのお尻……朋子さん……なのかしらぁ……?」
見られてる……。穢されてるアタシ……見られちゃってる……。
「かっ、神崎君っ!? なっ、何してるんですかっ!? おっ、お尻は食べ物じゃありませんよっ!」
彼も居るんだ……。お尻食べてるんだ……。そっか、そうだよね。他の男に穢されたアタシなんか……。
お尻……食べる……?
「ひっ、引き離せ! 二人を引き離すんだ!」
蓮さんの声が響き、お尻が――自由を取り戻した。
「なんや……修ちゃん……おかしいで……あっ、あかんっって!?」
えっ!? 何なの!?
「茜ちゃんっ!? 神崎君ダメだよっ! きゃあああっ!?」
ちょ、何っ!? どうなってるの!?
「修ちゃん……私なら……いいわよぉ……あんっ……」
何がいいの!? 何を言っているの!?
「遊んでる場合か! 神崎君! 正気に戻るんだ! あっ! おい待て! 何処行くんだ!」
何なの! 何処いったの!? もうわかんないわかんない!
とりあえずアタシを――。
「メメメメメメメメエエエエエエエエエ~!《ここから出してよおおおおおお》」
――龍ヶ崎家――
電灯を全て落とした薄暗い道場で、精神を研ぎ澄まし剣を振るう。
今頃、皆は鬼と戦っているんでしょう――彼の為に。
何も出来ない自分がもどかしい。本当は私も一緒に戦いたい。
気を使って下さるのは嬉しいし、決してそうではないと分かっているけれど。
何だか――のけ者にされている気がする。
「お嬢様、お風呂の用意が出来ております。もうそろそろ……」
渡り廊下の入り口から、私の身を案じるように声をかけたのは使用人の緋国。私より一回りも年上だけど、あまり歳を感じさせない、可愛らしい女性。
「そうですわね。ありがとう。入らせてもらいますわ――」
少し重みを増した袴の紐を解く。汗ばんだ肌が外気に触れ、心地良い冷たさが身体を冷やす。
「おっ、お嬢様!? こんなとこでお召物を!」
目を丸くする緋国をよそに、上着も、胸を締め付ける下着も外した。
「良いではないですか。誰に見られるわけでもありませんもの。どうせお風呂に入るんですから、何処で脱いだって一緒でしょう?」
「そっ、そうですけど……。そんな事、今まで一度もなさらなかったじゃありませんか……。最近のお嬢様は変ですよ……」
遠慮がちに、緋国が言った。
「変? 私変かしら?」
「あっ、いえ、その……お変わりになられた、と思います」
「変化、ですか――」
十二支枝の力に目覚めたから――ではない。
彼を中心に、同じ仲間と過ごす時間が、私を変えている――。
「――っ!?」
「あら? 今、何か音がしませんでしたか?」
微かに道場の奥から聞こえた物音。
気配を――感じる!
「……気のせいでしょう。先に戻っててもらえますか?」
「分かりました。早くお入りになって下さいね? そんな格好をしていたら、いくら夏でも風邪をひいてしまいます」
緋国が行ったのを確認し、道場へ戻る。暗闇に陰る人影に、力を解放した。
「まさかこんな場所まで現われるなんて――油断なりませんね」
頭上で弧を描くように手を振り、闘気の刃を創り出す。今だ全容が見えぬ、招かれざる侵入者の攻撃に備え、剣を構えた時に感じた違和。
「鬼って……扉を開けて入ってくるのかし――らっ!?」
高く跳躍したソレは――影などではなかった。
「しゅ、修司さ――きゃあっ!?」
驚きが身体を硬直させる。手を払われ、剣が宙に消えた。
「なっ、何をなさるんですか!?」
両手を束ねるように抑えられ、床に押し倒される。下着一枚の私を――見られている!
羞恥心で胸が張り裂けそうな中、彼の雰囲気がおかしい事に気がついた。
燃えるように赤く充血した瞳。私の両手首を片手で抑える程の力。
それは、彼が正常ではない事を示している。
「どうされたんですか!? 修司さん!?」
問いに答える事も無く、空いたもう片方の手が、胸に触れた。
「んっ――」
不思議な感覚。
一方的で、屈辱的で、望まれぬ行為なはずなのに。
彼の手のひらは悲しいほど温かく。
まるで自分ではない自分自身がソレを受け入れていくように、身体の力が抜けていく。
このまま身を任せてしまいたい――そう思った。
でも――。
「私は――まだお風呂に入っていませんのよ!」
彼の腹部に足をかけ、後方に投げ飛ばす。
「汗臭い女子はお嫌いでしょう?」
床を転がるも、彼はすぐに立ち上がった。猛り狂う獣の様に、彼が再び走り出す。
「でも、もしそう言うのがお好みでしたら――」
――龍尾鉄鎚。
「――口で申してくだされば、私は望むがままに」
膝の上、幼子のように無垢な寝顔を見せる彼。峰打ちとはいえ、獣の力をぶつけた事に一抹の不安を感じていたが、背中に小さな痣が出来ただけだった。
「乙女の胸を揉んだのですから、これくらいは仕方ありませんよね?」
その時、電話が鳴った。画面に表示された『虎口蓮』
一呼吸置いて、耳に当てた。
「もしもし?」
「もしもし。龍ヶ崎、緊急事態だ。彼が――居なくなった」
焦りを隠せない彼女の声。
「居なくなった、と言う事は先程まで一緒に居たのですか?」
「ああ。何から説明していいのか……。突然私達に襲い掛かってきてだな……」
「誰かがお怪我を?」
「いや、何と言うか――違う意味で襲われたというか……。朋子が危なかったが、幸いにも大事には至っていない」
皆無事。
その言葉に安堵した反面、湧き上がる、また別な感情。
「それでだな、龍ヶ崎――」
「居ますわ」
「なに?」
「修司さんは、此処に居ます」
変わっていく。
「お前……まさかとは思うが……」
私達は、変わっていく。
「修司さんに――捧げました」
変わらなければ――ならない。
――クルミルク――
耳元から聞こえた龍ヶ崎の言葉を、すぐに理解することは出来なかった。
「冗談……だよな……?」
彼が消えてからたかだか二十分。車ならまだしも、人の足でなど、龍ヶ崎の家に辿り着くことは不可能だ。
普通の人なら。普通の『人間』なら。
「冗談ではありませんわ。今、修司さんはお休みになってます」
冗談を言う奴ではない。それを人一倍知っているから、苦しい気持ちになる。
「……今すぐ行く!」
「いえ、今日はご遠慮下さい。気持ちを――整理させたいの」
普段より一層落ち着き払ったその声は、起こってしまった事の重大さを物語っているようだった。
誰よりも――先に。
私より――先に。
「……どうして抵抗しなかった……? お前なら……出来たはずだ!」
「それを……私に聞くのですか?」
知っている。龍ヶ崎の想い。でもそれは――真実じゃない。
「だからって! 無理矢理など――」
これでは、何も変わっていない。
「ねぇ貴女――」
四百年前と、何も。
「私、今とっても幸せですわ」
呪われた運命は、変えられない。
「貴様等……いつまで寝てるつもりだ……?」
地面に転がる知らない女。全ての――元凶。
「起きろ! 何をしたんだ! 貴様等は修ちゃんに何をしたんだ! このっ! 早く言え! 言うんだ!」
「あっ、あかん! 先輩やめるんや!」
「蓮ちゃんっ! ダメだよぉっ!」
憎くて、情けなくて、悲しくて、悔しくて。
運命の定めはとても残酷で。巡る因果が、終わらない悲劇を繰り返す。
溢れ出る想いの止め方を、私は知らなかった。




