交わりの合図
――クルミルク――
夜の時雨町を無事に駆け抜けて――と言うわけにはいかず。
「ちょ! 着いて来るなよ!」
僕は、鬼に追われていた。
くそっ。どうしてこんな事になったんだ。
そりゃあ今まで忠告を無視し、何度か夜に出歩いた事もある。
今まで出会わなかったのが不思議なのかもしれない。
とはいえ、別に今日じゃなくてもいいはずだ!
角を曲がり、指定されたクルミルクのある通りへ。
ライトアップのつもりだろうか、屋上で照らされている子牛は、下から懐中電灯を当てたかのような不気味さに包まれている。これじゃ子供も逃げ出すわな。
しかし、そろそろ足が限界だ。
追いつかれるのか転ぶのが先か。どっちにしろもう長くは――。
「あっ!? ど、どいてくれ!」
突然、目の前に女の子が現れた。
車は急に止まれないというが、スピードに乗ってしまえば、動くものはみな同じ。
肌が重なり、地面から足が離れる。この見知らぬ女子を下敷きに、地面に叩きつけられる不運を回避する方法を――僕は知らない。
「――っ……え? あれ?」
確かに倒れた。倒れている。
でも、感じるはずの衝撃も、聞こえるはずの鈍い音もない。
全てを包み込んだのは、真っ白な羊毛。ふわふわの羊毛の上で、僕は少女を抱いていた。
「すぐ、済むから」
そう呟き、上に覆いかぶさっていた僕を、優しく、そして軽々と引き離す。その力は、一介の少女のモノではない。
背中ではためくオーラを見ずとも、その正体は明らかだった。
「大丈夫。何も怖くない」
彼女が鬼に向かって両手を伸ばすと、鬼が羊毛で包まれる。
包んで――消えた。
それは今まで見たどんな方法より平和的で、慈愛に満ち溢れているようで、美しささえ感じた。
「羊の韻――毛利未華……さん、だよね?」
多分、図書館で話題に上がったのは彼女の名前。
恐る恐る訊ねてみるも、何も答えないどころか、表情一つ変えず。
「着いてきて」
それだけ言うと、彼女は歩き出した。
間違ったのかな……? それだったら気まずいなんてレベルじゃない。でも否定しないのなら――多分合ってるはず。合っててください。
会社の正門を通り過ぎ、塀伝いに裏手へ。裏門と言うほど立派でもなく、人目をさけるように設置された小さなドアをくぐり、建物の隙間を抜け、あまり頻繁に使用されてはいなそうな倉庫の前で足を止めた。
「ここに――入れって事?」
何も言わず、無言で頷く。
無口無表情にも程がある。それに、その眼鏡はでかすぎる。もう少し小さめの方が絶対可愛い。そもそも多分、眼鏡がない方がもっとかわいい。
いや、そんな事今はどうでもいいな。
意を決して、扉を開けた。
入るや否や、バタン! と扉を閉められた。
そんな大袈裟に閉めなくてもいいんじゃないか? 僕の心臓が止まったらどうするんだ?
「こんばんは~。改めて、初めまして神崎君~」
電話の主と思わしき、特徴的なテンポで話す女。彼女を見て、僕は思わず唾を飲み込んだ。
――デカいっ!?
稀に見る、自己主張激しい胸の膨らみ。メロンでも入れているのか!?
それだけじゃない。絶妙なバランスの肉付きが生み出す、ギリギリボディ。ムチムチの太ももは狗飼さんをも上回る!
あ、そうだ。狗飼さん――。
「狗飼さんは何処だ」
すっかり忘れていた。いや、忘ていたわけじゃない、忘れそうになったのだ。目的をも忘却させし、わがままボディ恐るべし。
「ワンちゃんなら、あそこだよ~」
彼女の指差す方向に視線を移すと、屋上に飾られたモノに良く似た、ピンクの牛が鎮座していた。
半分にカットされたようなその牛の下半身部分、狗飼さんのソレと思しき下半身だけが突き出ている。
半分牛で、半分狗飼さん。非常にシュールな光景だった。
「無事……なのか……?」
「無事よ~。傷一つつけてないわ~」
彼女はそう言ってソレに近づくと、突然狗飼さんのホットパンツを、非常に柔らかそうなお尻を、おもむろにわし掴んだ。
「メ~!」
ビクン! と腰が跳ねると同時、突然牛が鳴き声をあげた。
牛が鳴いた!? メ~って鳴いた!? 牛ってモ~じゃなかったっけ!?
「『ファラリスの雄牛』って知ってる~!?」
「聞いた事がある……。確か古代ギリシャの拷問器具だっけ? 人の悲鳴が牛の鳴き声に聞こえるように細工されてあると言う――」
「流石神崎君、博識~。どう? すごいでしょ~?」
凄いが凄くないかで言えば……凄いかもしれないけど。
「何で鳴き声が羊なの……?」
「意外性が大事じゃない~? 本家丸パクリじゃオリジナリティに欠けると思ってさ~」
妙に納得してしまう程、ピンクの牛には不思議な説得力があった。
「い、狗飼さんが無事なのは分かったよ。でも、わざわざこれを発表するために僕を呼んだわけじゃないよね? それに、君達は十二支枝だよね?」
「そうよ~。私は唐牛胡桃。ピチピチの十九歳で~、神崎君を守る使命を受けた十二支枝だよ~」
ピチピチの――と言いながら身体を揺らす仕草に、目のやり場に困った。惰性で動くお乳の破壊力は凄まじい。
「……敵意や悪意があるようには見えませんが、どうしてこんな回りくどい方法なんですか?」
「そりゃあ神崎君に対して、悪意や敵意があるわけないよ~。でも、他の十二支枝はどうかな~?」
唐牛さんの穏やかな表情に変化はない。だけど、その含みある言葉に、僕の背筋が少しだけ伸びた。
「どういう……事ですか……?」
「鬼退治に、十二支枝全員の力は必要ないんだよ~。だから、他の人も要らないのね~」
そして、彼女は小さなリモコンのようなモノを取り出した。
「神崎君さ~。他の子達を捨てて、私達と一緒に居る~?」
「それは……僕に聞いてるんですか? 選択の余地がある――と?」
「ちなみにね~。これは、ワンちゃんに仕掛けた爆弾のスイッチ~」
「なっ!?」
「神崎君が約束してくれたら~。皆幸せだよ~?」
選択の余地など、最初から無かった。
「詳しく説明してもらえますか……?」
「鬼を封印するのはね~。封印の仕方さえ分かっていれば、全員は必要ないんだ~。切れてしまった結界を、再び張り直すだけでいいんだよ~」
「結界?」
「むか~し昔、ご先祖様がこの町に結界を張っていたんだけど、その効果が切れちゃったんだよ~」
結界――か。その話自体、何となく信憑性がありそうな気はするが、確信がない。
それに、わざわざ皆を除外させる必要はない。。
「それは……皆で協力するわけにはいかないんですか? 他の十二支枝を覗くメリットは何ですか?」
「神崎君、それ本気で聞いてるわけ~?」
知っていた。本当は気付いていた。
僕に向けられる皆の視線が、友達でも、主を見るソレでもなかった事。
気付いていたけど、気付かない振りをしていた。
「他の女に、取られるのが嫌なだけよ」
憎悪にも似た、厳しい視線で彼女は言った。
もう、逃げる場所はどこにもなかった。
「で、どうするのかな~? 残念だけど、これは冗談なんかじゃないんだよ~?」
リモコンをちらつかせる。
あれが本物なのか。そもそも爆弾が仕掛けられているかも疑わしい。それでも、やはり断る事なんて出来ない。
「……分かった。だけど、まだ話を信じたわけじゃない。本当に鬼を封印する事が出来たら――言う事を聞くよ」
「封印したらか~。う~ん。でもそれだと~後で反故にも出来るよね~?」
「うっ……」
中々鋭い。
とりあえずこの場は回避して、鬼を封印して一件落着、めでたしめでたし~の流れで有耶無耶に出来るんじゃないかと考えていた。
「だから~、やっぱり態度で示してくれないとって思うの~」
「態度……ですか……」
何かがヤバイ。何かが危ない。僕の全細胞が告げている。
「そうだ~。じゃあ、私とエッチしようか~」
まるで他愛も無い遊戯の如く唐突に。簡潔に。交わりの、始まりの合図。
本能が察知していたのは、貞操の危機だった。




