訪れる試練と過去
――神崎家――
時の流れは早いもので、あっと言う間に夕方。茜と一緒に昼食を取り、彼女が帰ったのがもう五時間以上も前だって事は、一階から香る夕食の匂いと時計の針が告げていた。
どうやら――寝てたらしい。
一階に降りると、そこに恵の姿は無かった。時刻はもう七時になろうというところ。
「あれ? 恵は?」
「蓮ちゃんのところで夕飯をご馳走になるって電話きたわ。八時には帰すって言ってたから、そろそろ戻って来るんじゃ――」
その時、リビングの電話が鳴った。丁度隣にいた僕が手を伸ばす。
「はい、もしもし」
「あ、もしもし~。神崎さんのお宅ですか~? 修司君いますか~?」
受話器の向こうから聞こえたのは、何とものんびりとした若い女性の声。
「あ、僕ですけど。どちらさまですか?」
受話器から離れのか「わぁ~。本人でちゃった~。ねぇ未華! 本人だよ~」と遠く聞こえる。かと思ったら、多分違う女性が、通話には不適切な声のボリュームで「も、もしもっ!」と叫んだ。鼓膜の痛みに耐えつつも答えるが、それ以上返事はなく、またも遠くで何やら声がした。イタズラ電話――ではなさそうだが……。
軽い咳払いに続き、再び受話器から声が聞こえた。
「神崎君の犬を一匹預かってるんだけど~」
「僕の犬? いや、僕は犬なんて飼ってないよ」
「頭の悪そうな雌犬なんだけど~」
一瞬、嫌な予感がした。
「まさか……狗飼さん……?」
「そのまさかだね~」
頭の悪そうな雌と言うキーワードでそれを思い浮かべたのは、決して彼女がそうだからではない。ごめん――と心で謝った。
「……彼女は無事なのか?」
ただ事ではない雰囲気を感じ、反射的に声を潜める。
「今のところは、かな~? 今から『クルミルク』に来てくれる~?」
「クルミルク? クルミルクって――あの子牛の?」
時雨町の地元企業、乳製品メーカーのクルミルク。
工場の屋上に飾られた、何故かピンク色をした子牛の大群は、夜になると目が光るとか、数が足りなくなるとか増えてるとかで、少年少女を怯えさせている――らしい。
ちなみに――紅葉印乳業と人気を二分しているが、僕はクルミルク派だ。
最初は抵抗のあったクルミ入り牛乳も、今では美味しく飲める。大人になった証拠だ。
「そうだね~。必ず一人で来るんだよ~。他の十二支枝に話したりしたら、ワンちゃんの無事は保証できないかな~。じゃ、待ってるよ~」
話し方とは違い、電話を切るのは素早かった。
「ちょっと出てくる!」
「あら、折角ご飯出来たのに」
「戻ったら食べるよ! 行って来ます!」
家を飛び出し、境内を駆け抜け、階段を飛び降りる。
指定されたクルミルクがある場所までは、約十分。
――自転車買った方が良かったな。
そんな事を思いながら、薄暗い道を全速力で駆け抜けた。
――常契塚――
「なんや、先輩どないしたん? 具合でも悪いんか?」
心配そうな顔で、茜が私の顔を覗き込む。
「ん? あ、いや、ちょっと考え事をしてただけだ。そういえば――朋子の姿が見えないようだが――」
「それな。ポチ電話にでんわ。やねん。何度もかけたんやけどな」
「ふむ――寝てしまったんだろうか。まぁ仕方ない、四人で行こう」
強制するものでもないし――な。
「えっ、ちょ、何かつっこんでや……」
「一番、可哀想なパターンねぇ……。ご愁傷様……」
「じゃあ、茜と百合子。私と蘭で別れようか、何かあったらすぐ連絡をくれ」
「了解ですっ! さぁ鬼退治にレッツゴーですっ!」
「おっ、百合っぺ元気やな。何かええ事でもあったん?」
普段ならどこか不安げな百合子だが、今日はどこはかとなく生き生きとしている。
茜の問いに、フフンと鼻をならして。
「大人の階段を一歩上がったんですっ!」
大人の階段。
百合子が放った、その言葉に一瞬動揺した。
「どうかしたのぉ……? 何か怖いわよぉ……?」
「……いや、何でもない。行こうか」
何でもないはずなんてない。
私は――知ってしまった。
十二支枝の秘密――呪われた運命を。
――で、まだ小僧とまぐわってはおらんのか?
きっかけは、買い物を終えて一度道場に戻った時。
何気ない、と言うには余りにも唐突すぎる恵の言葉。
「なっ! 何を言い出すんだ突然! 私達はそんな関係ではない!」
「そうか、では他の者はどうなんじゃ? わしを除いても六人もおる。一人ぐらい手篭めにされたであろう?」
「てっ、手篭めって……! 彼はそんな事をするような人間じゃない――ぞ。多分……」
「それもそうじゃな。そう言うところは浴に似ておらん。ヤツは強引じゃッたからのぉ。嫌がるわしらを無理矢理――むふふ。ああ腹立たしい事じゃ」
言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに微笑む恵。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。その――なんだ。恵は彼の先祖と、その――か、関係を持ったという事か? それに――『わしら』って――」
私の質問に、訝しげな表情を浮かべ。
それが、ごく自然で、疑うべく理由すら存在しないかのように。
「当然じゃ。でなければ――おぬしらは生まれておらんじゃろうが」
信じがたい、真実を語った。
彼の先祖と、その時代を生きていた恵、そして他の獣達が。
この身に流れる血は――虎だけじゃなく。他の皆も――同じ。
同じ、血を持つ。
同じ、種から生まれた。
――兄弟。
「さて、そろそろ帰るとするかの。今日の夕餉は何じゃろうな~。しかし、何を食べても驚くほど旨い。歳はとってみるもんじゃ」
「夕飯は何でも好きなモノを用意する。だからもう少し話を聞かせてくれ」
「ふむ――ではあれだ! なぽりたんすぱげちーが食べたい!」
「わかった。ちょっと待ってくれ――」
ナポリタンだけでは味気ない。どうせならハンバーグも付けて貰おう。母にメールを送ると、すぐに了承の返答が届いた。感謝する。
「――よし、と。話の続きだ。分からない事があるんだが、元々恵達はその――獣なんだろう? それなのに彼の先祖、ヨクと言ったか。その間に子が出来ると言うのが信じられないのだが」
いくら繁殖行為をしようと、そもそもの遺伝子情報が異なる間柄同士。それが身を結ぶ事など考えられない。
それとも、私の知識が乏しいのか? 性について、深く紐解こうとした事など一度も無い。もしかしたらレアケースとして存在しうる事案なのか?
「それはわしにも――わしらにも分からんかった」
「そ、そうなのか……。とは言っても……いくら何でも人間と兎が……。いや、虎にしたって……」
「おい。おぬし変な勘違いをしておるじゃろ? いくら何でも兎の姿で交わったりはせぬぞ。先にも言ったとおり、わしらは、言わば物の怪の類。人の姿に化ける事など造作もない事じゃ。全てが、とはいかんが――」
突然立ち上がりワンピースの裾を持ち上げる。向けられたお尻には、尻尾に見立てた小さなポンポンが付いていた。
「まぁ、これはまがい物じゃがな。可愛いじゃろ?」
得意気にお尻を振るその仕草は、同性の私から見ても胸が苦しくなるほど愛らしい。
幼女恐るべし。
「わ、分かった。耳や尻尾はあっても、人としての行為が出来るって事だな」
一瞬、自分の虎耳虎尻尾姿を想像した。
中々――悪くない気がする。
「ヨクと恵達が惹かれあって、その結果子宝に恵まれたって事は理解できた。それにしても十二人全員となんて――」
肉食系にも程がある。
「まだ勘違いしておるな。わしらは惹かれ合ってなどおらん。先も言ったとおり、無理矢理手篭めにされたのじゃ」
「む、無理矢理……? それは全員……?」
「そうじゃ。そもそもヤツとわしらは、いわば敵同士。滅する者と滅される者じゃ。いかなる情など存在しえぬ。そんな間柄じゃ」
軽くため息を吐き、言葉を続ける。
「いくら人の姿に化けようが、わしらは所詮人ならざるもの。畏怖され、嫌忌され、崇拝される存在ではあっても、ソレに欲情しようなどともっての他じゃ。人間の道理と言うモノがあるのなら、ヤツは外道じゃ」
特殊性癖のパイオニア……なのか?
「確かに……あまり良い趣味とは言えないな……。というか全く想像が付かないんだが、もう少し詳しく教えてくれないか?」
「ふむ。気にかかる年頃なのは分かるが。未通女い振りをしておぬしも中々――」
「そ、そうじゃなくだ! ど、どうやってヨクと出会ったのか聞かせてくれ! まさか十二匹で居るところにヨクが現われたわけじゃないだろう?」
やれやれ、と言った様子で妖しく笑った恵に、慌てて訂正する。
「そうじゃな。あれは――昨日の事のようじゃ――」
普通の兎ではない。
普通の兎ではなくなっていた。
気がついたら。ふと目が覚めたら。そんな感覚に近い。
理由も、因果も分からぬ。もう自分が何十年生きたか分からん。
はっきりと分かる事は、自分が普通では無いというその事実。
わしは喜びに打ち震えた。
一介の獣たりえない力を手に入れ、野を駆け山を駆け、人に化けては悪さをし、好き勝手に暴れまわる、そんな時じゃった。
「おお、これは喰い甲斐がありそうな兎だ」
ねぐらにしていた洞穴から出た時、一人の男が立っていた。
手には奇妙な杖を持ち、夜の闇に溶け込むような漆黒の羽織を風にはためかせ、月を背にそいつは笑っておった。
ただの兎ならいざ知らず、物の怪となったわしにとって、すでに人間など恐れの対象ではない。じゃが、ヤツは明らかに普通の人間とは違う臭いを放っておった。それでわしは悟ったのじゃ。
ああ、こやつが陰陽師か。とな。
何時聞いたのか、何処で聞いたのか、獣の時か、人に化けた時か、それは分からなんだが、物の怪を滅する人間がおる事は、何となく知っておった。
そして、わしはその場から逃げた。
今思えば、それも本能。致し方ない事じゃった。
得体の知れない恐怖に立ち向かうほど、勇敢な獣ではないからの。
じゃが、逃げられんかった。
どこからか現われた不思議な紐が全身に巻きつき、あっと言う間に縛り上げられた。どれだけ暴れようと、緩むどころか締め上げる。まるで力を封じられているようじゃった。
「脱兎の如く――とはよく言ったもんだな」
近づいてくる男に、わしは死を覚悟した。
「お前が噂の化け兎か? 女子に化けれると言うのは本当か? どれ、一度見せてみろ」
その言葉に、逆らえるだけの気力は無い。言われるがまま、わしは人の姿に化けた。
「おお。中々綺麗な顔をしてるな――ふむ――よし、今からお前は俺のモノだ」
「な、なんじゃ――ふぁっ!?」
わしをひょいと抱え上げ、そのまま道外れの茂みに。獣の姿に戻ろうとしても、それは叶わなかった。
そのまま夜が明けるまで――わしは――。
「――それが浴との出会いじゃ」
最低すぎる。
聞かなければ――と一瞬後悔さえした。
ある意味現実的なのかもしれんが、昔話として語るにはあまりにも悲惨で、救いようが無い。
「まぁ、十二匹の中ではわしが一番最初じゃったからな。まだマシな方じゃ」
得意気に付け加えた恵に、驚愕した。
それでまだマシと言うなら、他の獣――私の先祖とかは一体どれほど凄惨なのだろう。
「逃げたり……しなかったのか……?」
「最初のうちは何度も考えたがの。法力で縛られておったし――」
少しだけ嬉しそうな顔をして。
「――わしを、人として扱ってくれたからの」
幸せそうな顔をして、そう言った。




