犬も走れば
――図書館――
空調が整った静かな空間で読書をする。
それは長らく忘れていた、幸せな瞬間。
図書館が新築されたのも知っていたし、気になってはいたけど来ようとは思わなかった。
『お洒落なギャルになりたい』
そう思った時から、アタシは大好きだった本から距離を置いた。
完全に読まなくなったわけじゃなく、たまに買ったりもしてたけど、それはあくまでついで。
日サロに行った帰りだったりとか、そう言う別な目的のついでに本屋に寄るくらいで、本を買いに出かけたりだとか、本を読みに出かけたりなんて事はしなくなった。
何となく、恥ずかしかったから。
今日だって、図書館にいるアタシに好奇の目を向ける人は少なくない。
外見の所為だって事は理解してる。
見た目で人を判断してはいけない、そんな偽善がまかり通る程世の中は甘くないから。
でもアタシが選んだ道は、ただ逃げているだけだって事、十二支枝の皆を見てて思った。
下らない意地やプライドなんかより、自分らしくあるのが一番だって。
気になってた新刊を読み終えると、小さくお腹が鳴いた。恥ずかしさに周囲を見渡すと、ある人物が目に入った。
大きな黒縁メガネをかけた、同年代の女の子。見た目は普通で没個性的なんだけど、その手に積まれた本の山の中、『歴史』の文字がアタシの興味を惹いた。
返却を済ませたのを確認し、すぐにカウンターに向かう。詰まれていた本は全て歴史書、それも時雨町に関するモノばかりだった。
間違いない。彼女も十二支枝だ。
そう確信したアタシは、図書館を後にした。
「ねぇ! ちょっと待って!」
すぐに後を追ったはずなのに、彼女の背中を捉えたのはしばらく走り回った後だった。アタシも、もう少し走りやすい靴だったら良かったな。と茜の事を思い出す。
ピタリと足を止め、彼女がゆっくりと振り向く。驚きや困惑、そんな感情は表情にない。落ち着いた、と言うには不気味すぎる程だった。
「毛利未華――さん、かな? 違ったら申し訳ないんだけど……」
微動だにせず、まるで感情がすっぽりと抜け落ちてしまっているかのような彼女は、少しの間を置いて、軽く頷いた。
「やっぱり……。あ、アタシはさ――」
「狗飼朋子」
呟いた彼女の言葉に動揺した。自分で思うよりアタシは目立っているのかもしれないけど、やっぱり突然初対面の相手に名前を言われると構えてしまう。でも、それは彼女も同じかな。
「し、知ってるんだ。そうだよね、アタシ目立つからなぁ~……」
笑うどころか微塵も反応しない。それでなくても初対面の相手と話すのは苦手なのに、こんな無愛想だとどうすればいいのか分からない。
「十二支枝――だよね? 時雨町の事調べてたんでしょ? アタシ達も――」
話の途中で、彼女はくるりと背中を向け歩き出した。
え? なにそれ。マジありえないんだけど。
「ちょ、ちょっと! 話くらい――」
僅かに感じた苛立ちに、立ち去ろうとした彼女の肩を掴んだその時。
――パチン! と手をはたかれた。
無表情な彼女が示した、明らかな拒絶の意思。
「いらない。そういうの」
抑揚の無い声でそう言うと、再び歩き出した。
残されたアタシは、遠ざかる彼女の背中を、ただ黙って見ているだけ。
自分が――惨めに思えた。
茜とかだったら――多分無理矢理にでも引き止めるのかも。
どんなに外見を明るくしても、根暗な性格までは変わらない。
「何か――ムカつく」
スマホを取り出そうとバッグを覗くと、ふとある物が目に入った。
それはボロボロになった、私の弱さ。
初めて彼に会った時に手に入れた、一番の宝物だった。
「ちょっと待ちなよ」
毛利未華の背中に声をかける。
Tシャツが湿った肌に張り付く不快感。真夏に、それも全く機能的じゃない靴で走ったなら当然。
それもこれも――全部この子の所為。そう考えると、無愛想なその表情と相まって余計にムカついた。
「話くらいしたっていいでしょ? 同じ十二支枝なんだから」
何を思い、何を感じているのかすら読み取れない。大きな眼鏡が仮面の役割を担っているのか、それとも――感情がないのか。
ただ黙ってこちらを見つめる毛利未華に、僅かに恐怖すら感じた――その時だった。
「未華に何か用かしらぁ~?」
背後から聞こえた、気だるそうな女性の声。
――お、大きい……。
その姿を見た時、真っ先に思ったのはこんな事だった。
寝癖だらけの髪に、洒落っ気のない、薄手のブラウスとレギンス。とても外出に適した格好とは言えない。
でも、そんな事はどうでもいいと思えるほど――。
おっぱいが大きかった。アタシより、全然。
「え? え~っと……。ってかアンタ誰?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗るものよ~。い・ぬ・か・い・さん~?」
女が茶化すように笑う。
アタシの名前を知っていた事に、強い警戒心を覚えた。
そして、その理由も薄々。
「アンタも十二支枝ね……? アタシは少し話がしたいだけ」
「話す事なんて何も無いわよ~。貴女達みたいに群れたりするの、興味ないしね~」
「群れてるわけじゃない! アタシ達は――」
友達だ。と言おうとして、言葉に詰まった。躊躇した。
「まぁ、どうでもいいのよ~。これからも関わる事はないからね~」
「関わらない……? アンタ、十二支枝の使命を知ってるはずでしょ? 鬼を封印するにはアタシ達が力を合わせないといけないのよ? 関わらないとか、そんな馬鹿な事言ってる場合じゃ――」
「知っているから――なんだって言うのかな~?」
アタシを遮るように言葉を被せる。
「主を守るのが使命。それ以外は関係ないじゃない~?」
ダラダラした、頭の悪そうな喋り方に苛立ちが募る。
こういう奴がいるから『巨乳は頭が悪い』って言われるんだ。
「関係あるし。神ざ――修司を守るなら、彼を襲う鬼を封印するしかない」
そう言うと、女はクスクスと笑い出した。
「アハハ~。ねぇ未華。今このワンちゃん、いかにも『アタシ神崎君と仲良いんです~』みたいなアピールしたよね~? 下の名前で呼んでみたりしてさ~」
――マジムカついた。
「おい、何でテメェに犬呼ばわりされなきゃなんねぇんだよ」
「わ~怖い~。吠えてるよ~。弱い犬ほど良く吠えるって言うよね~?」
「アタシが弱い……? 喧嘩売ってんのかデブ」
『デブ』と言う単語に反応したのか、女は僅かに顔をひきつらせた。
それを見て、軽く身構える。
「自分より大きいからってひがんでるのかしら~?」
前かがみになり、これみよがしに胸を揺らす。
その動きは、女のアタシでも思わず目が奪われるほど。
女のオーラに気付くのが、僅かに遅れた。
全身に走った鈍い衝撃と、眩しすぎる太陽の光。自分が何かに吹き飛ばされた事を理解すると同時に、瞼は重く、意識は薄れていく。
アタシは――弱くなんか――ない――。




