古地図が示す場所
――常契塚――
彼に愚行を目撃され、思わず逃げ出した私が辿り着いたのは、やはりこの場所だった。
外に飛び出したっきり、図書館に戻る勇気はなかったのだ。
「何であんな事したのかなぁ……。思わず本も勝手に持ってきちゃったし……」
しっかりと握られた冊子。これではまるで泥棒ではないか。
「仕方ない……」
スマホを取り出し、しばし検索した後に電話をかける。
「もしもし。私、虎口蓮と申しますが――」
「ええ。お心遣い感謝いたします。それでは――」
電話を切り、ベンチに腰掛ける。
自分で言うのもなんだが、この町で虎口の名を知らない者はそうそういない。
それは図書館の司書も例外ではない。事情を話すと快く受け入れてくれた。
『いつもお世話になっております』という謝辞付きで。
私が何かしたわけではないが、こういう時は虎口の名をありがたく感じる。
『時雨町風土記』
どうやらそこまで古いものではないらしい。刊行は昭和初期と記されている冊子をめくると、当時の地図が現れた。
「これは……私の家じゃないか」
古ぼけたページに描かれた当時の地図。今とまったく変わらぬ場所に書かれた『虎口』の文字に感動を覚える。
まるで宝物を見つけた少女の様に、胸をわくわくさせながら地図をなぞった。
「そういえば、龍ヶ崎も住んでいたんだよな――」
彼女が白露町に引っ越す前、今では別の家が立ち並ぶ一角の場所を地図で探すと、やはり『龍ヶ崎』の文字があった。
「おお。やはりあるのか。彼の神社もあるではないか」
当然、昨日今日出来た場所ではない。たかだか約半世紀前の地図に載っていないはずは無いのだが、妙な安心感に包まれる。
それからも、夢中で今の時雨町と照らし合わせるように地図をなぞった。
こんなに地図を眺めたのはいつ以来だろう。
それはどんな崇高な読み物より、私の知的好奇心を刺激した。
一通りなぞり、ページをめくる。
時雨町に伝わる、馴染みのある祭りや郷土料理の紹介文にも目を通すが、手がかりになりそうなものは何一つ見当たらない。
だが、あるページを開いた時、手はそこで止まった。
『年代不明』と書かれた古い地図。それは、ずっとずっと昔の時雨町だった。
昭和初期のそれよりも、もっと昔。日本史の教科書で見た、浮世絵を思わせるような独特なタッチは、今から約四百年前――江戸時代を想像させる。
建物の位置こそ今とは違うが、描かれている道なりは見覚えがあった。
「私の家は……流石に分からんか」
個人の姓などは書かれておらず、今でも名残ある地名だけが記された古地図。
タイムスリップしたかのような不思議な感覚に包まれながらも、無意識のうちに、地図をなぞる指は彼の神社がある場所へ。
浴宮神社がある場所になにやら文字が書いてある。
旧字体だろうか、授業で培った程の学力では『神』という文字がかろうじて解読出来る程度だった。
だが、それは私の心を一層高ぶらせる。遥か古の時代から、彼に関係がありそうな文字を見つけたのだ。
えもしれぬ充実感に満たされ冊子を閉じようとした、その時だった。
「鬼……ヶ淵?」
地図の真ん中に記された文字。その下には池が描かれている。
「町のほぼ中心か? そんな場所に池など無かったが……」
ページを戻し、昭和の時雨町へ。やはりそこにも池はなかった。
まぁ、長い年月のうちに消えてしまう事もあるだろう。
だが『鬼』という単語は、あながち無関係だとも――。
「ここ……か……?」
そして気付く。
今まさに立っているこの場所こそ、古地図に鬼ヶ淵と記された場所である事に。
感じた気味悪さに、思わず自分の足元に視線を移し、そして周囲を見渡す。
「っ!?」
視界に入った一人の少女に一瞬驚いた。
年齢は自分と同じ位だろうか。顔に似合わぬ大きな眼鏡は、少女の瞳を隠すように太陽の光を反射させ、その表情を読み取りにくくしている。
何も言わず、じっと立ち尽くす少女。声をかけようとした瞬間、くるりと背を向け歩き出した。
「あっ、ちょっと待ってくれ!」
彼女を呼びとめ、ベンチに置きっ放しの冊子を手に取る。そして再び視線を戻すと、もうそこに少女の姿は無かった。
不安にも似た胸騒ぎに、携帯を開く。
――何かが起ころうとしている。そんな予感がした。




