お風呂にらめっこ
ソファーと夏の昼下がりは睡眠を誘い、気がついた時はすっかり夕方になっていた。
台所から聞こえる楽しそうな声に顔を向けると、天使の後ろ姿が並んでいる。
漂う食欲を誘う匂いとエプロン。高さを調整する踏み台に上がった彼女達。ああ、癒される。
「あっ! にぃに起きた!」
振り返る恵と目が合う。とりあえず手でも振っとくか。
「にぃに~!」
無邪気に駆け寄る恵。その手には、しっかりと包丁を握ったまま――。
「わっ!? 恵! ちょっとま――」
「あっ? あぶないあぶない。にぃに切っちゃうところだった!」
本当に危ないと思っているのか。
気付くのが後数秒遅れていたら殺傷事件だ――子供怖い。
「包丁持ったままうろうろしちゃめっ! だよっ!」
慌てた中谷さんが恵を叱る。子供が子供を叱っている姿は、中々見られるものじゃない。
「ごめんなさいっ。私、いつの間にか寝ちゃってたみたいで……」
「あ、いいよ。僕も勝手に運んじゃったりして、迷惑じゃなかったかな?」
「そんな事ないですっ」
「ゆりちゃん! 続きする~!」
恵に急かされるように台所に戻っていく。
しかし、何故彼女達が夕食の支度をしているのか。家の中に、母の姿は見えなかった。
「中谷さん。ウチの母はどこに行ったか知らない?」
「ちょっと用事があるとかで出掛けていきましたよっ」
「そっか――何か手伝う事あるかな?」
なんとなく手持ち無沙汰な気がして声をかける。
「ないよ! にぃには待ってて!」
だが、余計なお世話らしい。
小さなコックさんに追いやられ、再びソファーに転がった。
夕食が出来上がったタイミングを見計らったように母が帰宅し、皆がテーブルに着く。
心が和む光景の中、どこか懐かしげに漬物をほおばる恵の表情が、何となく印象的だった。
湯船に浸かりながら身体の疲れを癒す。龍ヶ崎さんの別荘も良かったけど、やはり我が家の風呂が落ち着くモノだ。小さすぎず大きすぎず、この絶妙なバランスがたまらない。
中谷さんが泊まっていく事になったが、もうそんな事に驚いてはいない。
何となく流れは見えていたし、一人で暮らす彼女の事を考えると、一概にも母のお節介だとは言えない。
それより気になるのは恵の事。どうして彼女は――。
「にぃに~!」
勢い良く浴室の扉が開いた。視界に飛び込む幼女の姿に、一瞬思考が停止した。
「めぐも一緒に入る!」
湯船にダイブした恵に、戸惑いながらもホッとした。いくら子供とは言え異性の裸体、浴槽に入ってしまえば入浴剤の濁りがソレを隠してくれる。
だが、そんな甘くは無い。
「メグちゃんっ! ちゃんと身体洗って入らないとめっだよ!」
後を追う様に飛び込んできた、タオル一枚の中谷さん。神は僕にどれだけの試練を与えるつもりなんだろう。前世で何か悪い事でもしたのか。
「お姉さんが洗ってあげるからおいでっ」
「は~い! じゃあめぐもお返しに洗う!」
動揺する僕を尻目に『魅惑の洗いっこ』が始まった。
時を同じくして、壁に向かった僕の一人睨めっこも。
「ふぅ~。極楽ですねぇ~」
「ごくらく~」
湯船に浸かり、幸せそうな中谷さんと恵。恵を挟み込むように向かい合うこのポジションは、確かに極楽かもしれないが、ある意味地獄でもある。
「そういえば、来る途中蘭さんに会いましたよっ」
「そ、そうなんだ? 何してたの?」
「う~ん。何してたんでしょう? 草むらから出てきて、草むらに戻っていきましたっ」
趣味の爬虫類研究……? だがまぁ、あの人なら何処から現れても不思議じゃない気がする。
「にぃにはお友達沢山いるの?」
「いや、沢山はいないかな」
「じゃあ何人いるの?」
何人、か……。中々難しい質問だ。友人の数を聞かれたのは生まれて初めてかもしれない。
「六人……かな?」
はっきりと友人と言い切れるのは、十二支枝の彼女達しか居なかった。
その数字はいかにも少ないように思えるがそんな事は無い。今までで一番多いといっても過言ではないからだ。
「私も同じですよっ」
胸を張って友人と呼べる仲間に出会った僕達は幸せなんだろう。中谷さんの笑顔を見て、そう思った。




