月光
最後の夕食は、庭で開かれた海鮮バーベキュー。
皆が肩を寄せ合って、笑顔が絶えない、幸せな時間。僕達は心から楽しんだ。
休憩がてらに覗き込んだ眼下に広がる夜の海は、何だか寂しい気持ちにもさせる。
「修司さん、どうかされましたか?」
「あ、龍ヶ崎さん。いえ、明日帰るのかと思うと、何だか名残惜しくなりまして」
「いつでもご招待しますわ――少しお付き合い頂けます?」
彼女達には内緒で――そんな目配せをして歩き出した龍ヶ崎さんの後を追う。
階段を上がり、向かった先は三階の庭園。
前面ガラス張りの室内庭園には、間接照明で照らされた色とりどりの草花が鮮やかな色彩を放ち、まるで俗世から離れた天国の様な印象さえ受けた。
「綺麗な場所ですね。それに、とてもいい香りがします」
「ここは私が一番好きな場所なんですの。どうぞおかけになって下さい」
少し開けた庭園の真ん中。ベンチに腰掛けると、正面のグランドピアノが目に留まった。
「一曲、聴いてもらってもよろしいですか?」
「え? いいんですか? 是非聴かせて下さい」
僕の言葉に、彼女はどこか嬉しそうに腰を下ろす。細くしなやかな指が、鍵盤の上を躍った。
ベートーヴェンの『月光』余り音楽に詳しくない僕でも知っている。
時に優しく、時に力強く。まるで森羅万象を紡ぐ様に奏でる。
月明かりが、スポットライトの様に彼女を照らし、その美しさに、心まで惹きこまれそうな感覚。
最後の一音が儚さを残し、夜空に吸い込まれる。
拍手をするのも忘れるほど、彼女に見蕩れていた。
「ご清聴感謝いたしますわ」
軽く会釈をする彼女に、現実に引き戻される。
「あっ。す、すいません! その、余りにも凄すぎて……」
「よろしいのですよ。そのお顔が何よりの賛辞です」
そう言って隣に腰掛ける。艶やかな黒髪から香る彼女の香りは、庭園内に広がる花のソレと相まって、より甘美さを増した。
辺りを包む静寂が緊張を加速させる。
何を言えば良いんだろう、それとも何も言わない方が良いのか。
「今夜は――月が綺麗ですね」
「あ、そうですね。星も沢山出てますし、今まで見た中で一番の夜空ですよ。誘ってもらえて、本当にありがとうございます。一生の思い出になりました」
色々あったけど、本当に楽しかった。一生忘れない夏の思い出。僕が小学生だったなら、作文にして提出していただろう。
「はぁ……それは良かったですわね」
少しだけ不機嫌そうに、彼女がため息をついた。
えっ? 僕何か間違った? 何が彼女を不快にさせた?
もしかして『君の方が綺麗だよ』何て言えば良かったのか?
いや、その台詞を使うには要求スペックが高すぎる。僕のスペックではギャグにしかならない。
「はっきり言わないと――伝わりませんか?」
彼女はそっと僕の手を掴むと、自分の胸に当てた。手のひらで感じる鼓動は、僕の全身を震わせる程。上昇した心拍数が、彼女とシンクロする。
何かの間違いではないだろうか、ドッキリカメラが仕掛けられていたりしないだろうか――。
だが、そっと目を閉じた彼女の仕草――それは臆病な僕の背中を押した。
可憐に咲いた花びらの様な、彼女の口唇に吸い込まれる。月明かりに照らされて、僕達は一つに――。
「きゃああああああああああああああああああっ!」
突然響いた中谷さんの悲鳴に、龍ヶ崎さんの目が見開いた。
「何事です!?」
走り出した龍ヶ崎さんの後を追う。
身を乗り出すようにして庭を覗くと、中谷さんを追い回す先輩の姿があった。
「何しているんですのあの人達……」
がっくりと肩を落とし、呆れた様子で頭を抱えた。
「ハハ……。まぁ、何事も無くて良かったですよ」
楽しそうにはしゃぐ彼女達に安堵しつつ、千載一遇のチャンスを逃した事を少しだけ悔やむ。
「戻りましょうか。仕方ないから、あの馬鹿騒ぎに付き合って差し上げますわ」
そう言って、彼女が手を差し出した。
「これくらいなら――よろしいですよね?」
その手をしっかりと握り、僕達は庭園を後にする。
自分からは出来ないが、差し出された女の子の手を握れる。それだけで凄い成長だ。
その先を望むのは、僕にはまだ早いのかもしれない。




