別荘殺人事件?
朝、昨夜セットした目覚ましのアラームが鳴る事はなかった。
何故なら、既に目覚めていたから。
十分な睡眠をとれたかと言えばそうでもない。この一大イベントにかける思いが強すぎて、途中で何度も目覚めてしまったからだ。己の脆弱な精神が憎い。
ともあれ気合は万全。顔を洗い、訳も無く念入りに歯を磨く。
風を入れ替えるように開け放たれた玄関のドア。ソレが告げているのは、毎日欠かさない、母の日課。
「あら、おはよう修ちゃん。どうしたの? 箒なんて持って」
「たまには僕も手伝おうかなと思って」
母の嬉しそうな笑顔に、照れを隠すように箒を動かす。
互いに何も言わず、心地良い朝の静けさの中、地面を走る箒の音が心を癒した。
時間より少し早いが、待たせては悪いと早めに家を出る。
石段を降りると、誰かが下に居るのが見えた。
「修司さん、おはようございます」
「あ、おはようございます。龍ヶ崎さんは一緒じゃなかったんですね」
そこに居たのは、大きなキャリーケースを携えた龍ヶ崎さんだった。
澄み渡る青空の様な淡いブルーの着物。ハイビスカスの花が散りばめられた斬新なデザインは、和装ながら、どこか異国情緒さえ感じさせる。
「ええ、ここで待ち合わせた方が早いですからね」
「ああ、そうですよね。今日は誘って頂いてありがとうございます。水面岬なんて、テレビで眺めているだけで、僕には縁の無い場所だと思っていましたよ」
「大した事ありませんわ。それに――」
龍ヶ崎さんが、僕に一歩近づく。
「修司さんがよろしければ、次は二人きりでも構いませんのよ」
吹き抜けた風が龍ヶ崎さんの髪を揺らす。鼻をくすぐる彼女の芳醇な香りは、僕の心を揺らした。
「え……えと……」
想定外の言葉に、返答に困った瞬間、朝の旧道に騒音が鳴り響いた。
「な、何だ!?」
騒音の正体は、盛大にクラクションを鳴らしながら向かってくる見覚えのあるバス。
フロントガラスの向こうに見えたのは、困惑した運転手さんの顔と、隣に立つ先輩の姿だった。
「おはよう二人とも。すまんな、突然謎の物体が飛び出したから思わずクラクションを鳴らしてしまったよ」
「お、おはようございます」
謎の物体は何なのか、そもそも何故先輩がクラクションを鳴らすのか。
ツッコミどころは満載だったけど、あえて空気を呼んだ。
「近所迷惑な人ですわね。トランクを開けてもらえるかしら?」
「ああ――よし、入っていいぞ。個室のほうが気が楽だろう?」
バスのトランクを開け、先輩が言った。確かに入れなくは無いが、半分本気っぽいのが怖い。
「おはようございますっ」
「おっ、おはよう……」
「おはよーさん!」
バスの中に入り、皆と挨拶を交わす。
ああ、僕は今から彼女達と旅行に行くんだ。感無量。
「よし、では出発だ!」
心なしか、先輩も普段より楽しそうに見える。
僕達を乗せたバスは、目的地へ向けて走り出した。
「ツモっ! 親倍八千オールや! またウチの勝ちかいな。皆弱いなぁ~」
車内では、茜が持ち込んだ麻雀で盛り上がっていた。
興じているのは、ルールを知らない僕と狗飼さんを除いた四人。どうやら茜が連勝中らしい。
「くっ……もう一回だ!」
「もう諦めたほうええんちゃうか? 先輩全然勝たれへんやんか」
先輩が負け越している様子。いつになく悔しそうな顔をしている。
「今までのは練習だ! 次から本気を出すぞ!」
「ほな、次負けた人が罰ゲームってどないや?」
「いいですわね。どうせ負ける人は決まっていますし」
「よし! 負けたら裸踊りでも何でもしてやろう! さぁ行くぞ!」
虎口先輩――勝負事をさせてはダメな人なんじゃないだろうか。
そんな四人とは対照的に、狗飼さんは一人静かに本を読んでいた。
見た目で判断するのは好ましくはないが、派手な外見の彼女が小説を読んでいるのには少しだけ驚いた。
「ミステリー好きなの?」
彼女の読んでいた小説は、僕も何作か読んだ『ミステリーの女王』と呼ばれる著者の作品。
「あ……うん。す、座れば……?」
「え、じゃあお言葉に甘えて……」
狗飼さんに促され隣に座る。だが、何を話していいのか分からない。
自分から話しかけといて無言とか、何がしたいんだ僕は。
「……変かな? アタシが小説とか読んでたら」
「えっ? い、いや。そんな事ないよ――ってゴメン。本当はちょっとだけ意外だな、って思ったけど」
彼女は僕の言葉に微笑むと、読みかけの小説にしおりを挟んだ。
「……アタシ本当は、人見知りはするし、人と上手く話せないしで、根暗でつまんない人間だったんだよね。だから、本読む位しかなくてさ」
彼女が語った過去。それは、今の彼女からは想像もつかなかった。
「そんな時、たまたまTVに映ってたギャルを見たんだよね。もう何か衝撃的で、TVの中で話す彼女達が、強くて、凄い輝いてる感じがしたんだ。だから真似てみた。ギャルになれば変われるんじゃないかって思って」
自分を変えたい――変わりたい。
彼女が抱いた願望は、僕が考えてる何倍も強いモノだったろう。
「でも、外見だけ変えても何にもならないよね。通販で服買ったり、わざわざ電車で日サロまで行ったりしても、変な噂立てられたり、軽い女に見られたりでさ。そんなの気にしない程、アタシは強くなれなかった。どうせ悪口言われるなら、そう成っちゃった方が楽なのかな、って。馬鹿だよね」
自虐的な笑みを浮かべ、彼女が何かを取り出した。
「あ、それって――」
彼女が取り出したのは、ボロボロになったガム。初めて出会った日、悲惨な最期を遂げた、あのガムだ。
「うん。あの後、実はこっそり拾いに行ったんだ。あんな事しちゃったけどホントは凄い嬉しくて、もし次に会えたらちゃんと謝ろうと思ってた。それなのに、アタシ……」
「だ、大丈夫だよ! 過ぎた話だし! あ、そうだ! その本見てなかったんだよね。どんな話?」
悲しい顔をする彼女に、思わず話をそらした。こういう時、適切な言葉をかけてあげられる男がモテるんだろうな。
「あ、この話? これは孤島が舞台になってて――」
本を開き説明する彼女は、とても生き生きとしていて、本当に好きなのが伝わってくるようだった――。
「……どこ見てんの?」
しまった! 気付かれた!
見ないようにしてた。見ないようにはしていたんだ。
だけど、広げられた本の直ぐ下に見えた谷間は、僕の目を勝手にひきつけた。
「みっ、見てないよ」
とっさに嘘をつき、後ろめたさから顔を逸らす。
完全に見てた。言い逃れなど出来るはずはない。軽蔑も免れない――。
「別に――」
「修ちゃん! トランプやろや!」
何かを言おうとした狗飼さんの言葉を遮り、茜が横から顔を出した。
「え? 麻雀やってるんじゃないのか?」
「もう終わったで」
振り向くと、そこにはがっくりと肩を落とした先輩がいた。
どうやらまた負けたらしい、先輩の周りだけ空気がどんよりとしている。
「それにしても――何だか、空が曇ってきましたわね」
家を出た時は晴天だったが、車の窓から見る空は少し陰りがさしていた。
「水面岬まではまだ距離があるからな。予報も晴れだったし、問題はないだろう。さぁやるぞ!」
「あんなに負けてもまだやるんか? ホンマ負けず嫌いやなぁ」
「麻雀では負けたが、トランプではそうもいかんぞ! さぁ、いざ尋常に勝負!」
ヒートアップした先輩に、茜がため息をつきながらトランプを切る。
盛り上がる車内と裏腹に、空が暗くなって行く事にも気付かず。
僕達を乗せたバスは、着々と目的地を目指していた。




