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干支っ娘!  作者: kure
29/71

褐色のふととも 3

「今の鳴き声!? 近いぞ!」

 闇夜に響く獣の遠吠え。私達は、彼を探しに走り回っていた。

「ほっ、ホントにこっちで合ってるんですかっ!?」

「わからへん! でも、鳴き声が聞こえたのはこっちや!」

 茜が、血相を変えて走り回る彼を見かけたと訪ねて来たのは三十分程前。彼の家に確認すると、電話も持たず何処かに出かけて行ったらしい。

 夜の外出は控える様にと言ってある。何かが起こっているに違いない。


 林道を抜けると、県外ナンバーの車が止まっていた。

 僅かに漂う血の匂い。不気味に佇む廃屋が、異様な雰囲気をかもし出している。

「修ちゃん!」

 先に飛び込んだ茜の足が止まる。続く私達が目にしたものは、衝撃的な光景だった。


 室内に充満する生臭い血の香り。暗闇でうごめく、半人半獣の娘。真っ赤に染まった口元には、血まみれで瞳を閉じた彼の姿――。

「そ、そんな……。いっ、いや……。いやぁ……」

 百合子がへたり込む。私の身体は、完全に固まっていた。


「殺したる……。殺したらああああああああ!」

 爆風の如く、茜のオーラが凄まじい風圧を巻き起こす。

 走り出した茜の攻撃――娘はそれをひらりと身をかわし、茜に体当たりをした。その衝撃は凄まじく、いとも簡単に茜を吹き飛ばす。

「殺したる……。殺したる……」

 痛みも感じていないほど、茜は怒りに燃えていた。炎の様に赤く光る瞳は狂気に満ちている。

「死にさらせええええええええ!」

 凄まじいオーラの荒ぶりは、その拳に全てがこめられている事が感じられた。

 だが、ソレが娘に届く事は無かった。

 破裂音にも似た、乾いた音が鳴り響く。どこか優しさすら感じる音は、彼が茜の拳を受け止めた音。


「大丈夫だよ」

 片手で触れるように優しく茜の手を包み、彼がニッコリと笑う。茜のオーラがふっと消えた。

 そのまま、彼は真っ直ぐ私の方へ。

「また泣いてる。いつまでたっても泣き虫なんだね」

 そう言って、私の頬を伝う涙を拭う。

 倒れていた彼の姿を見つけ、何も出来なかった私を気遣う様に、昔と変わらない微笑みを浮かべ。

 彼はそのまま倒れこんだ。


「だっ、大丈夫なん!? 怪我はどないや!?」

 受け止めた彼の首筋を見る。驚く事に、彼の首には目立った外傷は無い。

 牙の跡が薄っすらとついてはいたが、流れ出た血液の量にしては小さいモノだった。

「……大丈夫そうだ。脈も安定している。そこに転がってる男達は生きているか?」

 無残にも肉を引き千切られた男達。茜が様子を確認する。

「死んではおらんみたいや。エグイ事しやがってホンマ……」

「よし。百合子、直ぐに救急車に電話だ。だがここに居ては面倒な事になる。とりあえず私の家に行くぞ」

 二人は私の言葉に頷き、外に出る。

 ただ一人、その場に座り込む娘の顔には、絶望が色濃く漂っていた。

「お前も来い。話は後でゆっくり聞く」

 娘の手を引いて、私達は廃屋を後にした。


――虎口道場――


 道場に戻り、私達は、布団の中で未だ目覚めない彼を囲んでいた。

 龍ヶ崎道場の時と同じ、多分時が来れば目覚めるだろう。

 百合子が心配そうに彼を見つめる。茜は、今にも跳びかかりそうな様子で、憔悴しきった娘を睨んでいた。

「話を聞かせてもらうか。あの場所で何があった?」

「……歩いてたら、男達に声をかけられたから……車に乗ったらあそこに連れて行かれて……」

 俯いたまま、力無く彼女が口を開いた。

「声をかけられて自分から着いていったのか? おいそれと信用出来る輩では無いのが分からなかったのか?」

「分かってた……けど……別にアタシ、どうなってもいいやって……」

 震えた声で、薄っすらと涙を浮かべる。派手な外見とはまるで違い、とても弱弱しい。

「そんなんどうでもええ! アンタに興味なんてない! 何で修ちゃんがあそこに居ったん!? 何で修ちゃんを襲ったんや!」

 茜が、怒りを露に怒鳴り散らす。

 彼女の気持ちも分からなくない。それほどまでに、あの光景は衝撃的だった。


「分からない……。最初に会ったのは、午前中にスーパーでアタシが万引きしようとしたのを止めてくれた……。その時はそれだけだった。どうしてあそこに来たのかは分からない……気がついたら彼を……」

 多分、彼は何らかの理由で彼女の危険を察知したんだろう。そして暴走した彼女に襲われた――だが、何処にも怪我をしていない。首についた歯形も今はすっかりと消えていた。


「分からん? 気がついたら? そんなんが通用すると思うんか!? 自分が何したか分かっとるんやろな!?」

「あ、茜さん……そんな怒らないで下さいっ……。蓮ちゃん、この人も……ですよね?」

 百合子が茜をなだめつつ、言葉を待つように私を見つめた。

「ああ。十二支枝――狗の韻だろう。まだ名前を聞いていなかったな、私は虎口蓮。中谷百合子に猿小路茜だ」

「……アタシは狗飼朋子いぬかいともこ。でも、アタシ何も知らないんだ! この化け物みたいな力も……」 

 見たところ武道を嗜んでいるようには見えない。気のコントロールが出来ないのなら、自ずと力に目覚めるのは難しいだろう。

「何も分からないけど……。彼が大事な人だってのは分かった。でも気付いた時にはもう……」

――守るべき主を傷つけた。

 例え知らなかったとはいえ、それは紛れもない事実。

 彼女の心を握り潰してしまう程に、想像を絶する自責の念にかられた事だろう。

 林道で聞いた、嘆くような遠吠えを思い出した。


「修ちゃん大丈夫なんか? このまま目覚めへんとか無いやんな?」

 心配そうな顔で茜が言った。

「ああ。多分大丈夫だろう。前にも一度こんな事が合ったんだよ。廃屋での彼を覚えているな?」

「あ、うん。なんや別人みたいやった……。それに、ウチのパンチを片手で止めよった。あんなんありえへん! どないなっとるん?」

「はっきりとは分からないが、彼にも何か力があるのは間違いなさそうだ。それも、私達とは比べ物にならぬほど強い」

 先程もそうだが、龍ヶ崎の時も。獣の力を、彼は易々と受け止めた。

「やっぱ主や――本当は修ちゃん強いんやなぁ」

 茜が嬉しそうな笑みを浮かべる。確かに彼は強いかもしれない。

 でも、まだその時では無い。

「茜、力の事は伏せておいてくれ。彼が己自身で力に目覚めるまでは。余計なプレッシャーをかけたくないんだ」

「了解や。修ちゃんが強なったら、ウチらの出番もあらへんからな」

 これで一段落――いや、まだ謎が残っている。


「一つ聞きたいんだが、あれだけの血が流れる程の怪我を負っていたにも関わらず、この小さな傷一つとはどういう事だ? 朋子と言ったな。お前何かしたのか?」

 暗闇の中だったが確かに見た。無残にも引き裂かれた彼の首元。

 心臓が凍りつくかの様な恐怖――あれは見間違いなんかではない。

「ただアタシは……舐めていただけ……。どうしてそんな事をしたのかは分からないけど……」

 傷口を舐めた? 舐めて治したと言うのか?


「あっ、あれじゃないですかっ! 茜さんみたいな特殊能力!」

「ああ。日光の事か」

「ちょ、ちょっと待ってや! 日光言うたらあかん! 『三猿ダークネス』や!」

 茜が困った顔で口を挟む。

 視界を塞ぎ、聴覚を遮断し、言葉を奪う。私も一度体験した、茜の能力。

「見ざる聞かざる言わざるだろう? 日光でいいじゃないか。それにその呼び名はどうかと思うぞ?」

「あかんあかん! あかーん! 日光ちゃう! 闇やのに光ってどないすんねん!」

 せわしなく両手をばたつかせ、まるで駄々をこねる子供。

 実は、そんな特殊能力を少しだけ羨んでいた。


「まぁ、何にせよ無事で良かった。これからよろしく頼むぞ、朋子」

 彼女に手を差し出すと、驚いた表情で言った。

「あ、アタシで……いいの……?」

「出会いがどうであれ、私達は仲間だよ」

 差し出した手を、彼女がすがるように握る。

 所々剥がれた付け爪――彼女の手は、人の温もりを求めているかの如く、ひんやりとしていた。


「はうっ!?」

 突然百合子が変な声を上げる。

 視線を移すと、寝てる彼の口に、彼女の指がすっぽりと飲み込まれていた。

「なっ? 何したん!?」

「た、食べられましたっ! ふあっ! 食べられていますっ!」

 彼がもごもごと口を動かしている――食べられてるだと!? 

「はっ、早く指を抜け!」

「ぬっ、抜けないですっ! はうっ!?」

 彼が目覚めた気配はない。無意識の行動だろう。幸せそうな顔で百合子の指に吸い付いている。

「引き離せ! ほら! 百合子を引っ張るんだ!」

 間違って噛まれたりでもしたら一大事。慌てて二人を引き離した。


 ワインのコルクを抜く様な、小気味いい音が道場に響く。

 どうやら指は無事だったらしい。彼の唾液まみれではあるが。

「修ちゃんの涎ついとるわ――どれ、間接キスしたろか。その指よこせ~!」

 茜が冗談交じりに、口をパクパクさせながら百合子の指を狙う。

 その行動に慌てた百合子は、信じられない行動をとった。

「ええっ!? わっ!? はむっ――」

 彼の唾液のついた人差し指を、自分の口に。その予想外の行動に誰もが固まった。

「えっ……? いや……冗談やねんけど……」

 バツが悪そうに、茜が私に視線を送る。

「あっ……? いや、そ、その……意外と大胆……だな」

 その瞬間、みるみるうちに百合子の顔が赤くなっていく。

 彼女は無言で立ち上がると、器用に後ろ向きで走り出し、道場の隅で丸くなった。

 頭をかきながら、茜が気まずそうに笑った。

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