褐色のふととも 2
「えっと……。豚肉牛肉鶏肉――どれだけあるんだよ……」
スーパーの店内、母からのメールにため息が漏れる。これ幸いとばかりに材料のみで埋められた長文。何気に大仕事だ。
メールを読みながら、品物を次々カゴに入れる。
そんな時、一人の女性が目に入った。
田舎では良く目立つ金髪と派手目なメイク、きわどいホットパンツから伸びる焼けた色黒の足。歳は僕と同じ位だろうか。
近寄りがたいオーラを全身から漂わせる黒ギャル系女子――あんな子が時雨町にいるんだ。
余り関わりたくないが、あの太ももは本能を刺激する。
買う予定のないお菓子などを眺めつつ、さりげなく目の保養を。すると、彼女は驚きの行動を取りだした。
手に持った品物を、彼女はさりげなくバッグに放り込む。
あれはエコバッグなどではない。完全に盗る気――万引きだ。
マジかよ……。嫌なモン見ちゃったな。注意する? いや、でもちょっと怖いんだよな……。
あれこれ悩んでいた時にふと気付く。少し離れた場所で、品物を手に取りながらも、しっかりと彼女を目で追う男。
その鋭い目つきは、僕と同じく太ももを見ているわけではなさそう。多分、万引きGメンだ。
こんな田舎でもいるんだな――何て感心している場合ではない。
もし彼女が声をかけられて持ち物検査でもされたら、警察沙汰は免れない。
だが万引きといえど立派な犯罪。それも仕方ないと言えばそうなんだけど――。
「いたっ! おい! 何処見て歩いてんだよ!」
「すすすすいません! ぼっとしてて! 本当にすいません!」
正面から彼女にぶつかると、想像通りのリアクションに当然僕はビビった。ギャル怖い。
「ちっ。気をつけろボケ!」
捨て台詞を吐いて去っていく彼女。胸を撫で下ろしたのは絡まれずに済んだからではない。
僕の手の中に、奪還したガムが握られていたから。
「一万百五十円になります」
パンパンに詰まった買い物かご二つ。袋に詰めるだけでも大変なのに、家まで持って帰る事を思うと憂鬱すぎる。母もきっちり計算してるんだろう。ガム代を除くと渡された額でピッタリだ。
のほほんとしてるように見えて、意外と几帳面だったりする。
「おい」
スーパーを出た瞬間、背後から聞こえた女性の声。
何となく嫌な予感がする。振り返ったら負けかもしれない。
別に名前を呼ばれたわけじゃないし、呼ばれたと思って振り返ったら別な人だった――なんてのも恥ずかしい。気にせずそのまま歩き出した。
「おい待てってば」
思い切り肩を捕まれる。僅かだが視界に映る、魔女の様な長い爪。
恐る恐る振り返ると、先程の黒ギャルが不機嫌そうな顔で立っていた。
「な、何の御用ですか……?」
「寝ぼけた事言ってんじゃねぇぞテメェ。アタシのガム盗っただろ?」
いや、多分まだ貴女のガムじゃない。そんなツッコミをいれられる程、僕に勇気は無かった。
「ごっ、ごめんなさい。これ――」
袋からガムを取り出し、彼女に差し出す。
どうか穏便に――だがそんな僕の行動は、彼女の逆鱗に触れた。
差し出した僕の手をはたく音は、手の痛みには似つかわしく無いほど大きく、ガムは僕の手を離れ宙へ舞った。通りかかった車のタイヤが、無常にも彼の上を通り過ぎる。
「どういうつもりなんだよ? テメェ喧嘩売ってんのか?」
胸倉を掴み、不必要な程顔を近づけて彼女が睨む。
艶やかな唇まで後少し――ってこんな時に何を考えてるんだ。
「いっ、いや。あのままじゃマズイと思いまして……。見られてたし、目立つから気をつけたほう良いと思いますよ……。しないのが一番だと思いますけど……」
そう言うと、彼女は不快感を露に、舌を鳴らし僕を突き放した。
「……関係ねぇだろ」
背を向けて彼女が立ち去っていく。
去り際一瞬だけ見せた、自分の行動を恥じているかの様な表情――それがとても印象的だった。
「修ちゃんお疲れ様。あら、沢山買ったわねぇ~」
買い物袋を四つもぶらさげ、全身汗だくで帰宅した僕を、母が笑顔で出迎える。
沢山買わせたのは一体何処の誰だ。
「頑張った修ちゃんにご褒美あげようかな~。はいっ」
満面の笑みで差し出したのは、どこからどう見ても蛇の抜け殻。ご褒美の体を全くといいほど成していない。
「……どうしたのこれ?」
「玄関に置いてあったのよ。何か良い事ありそうね。蛇の抜け殻は縁起物なんだから」
一瞬脳裏をよぎったのは、朝に遭遇した蛇。蛇の恩返し――ってそんな事あるわけないか。
「シャワー浴びて少し寝るよ」
肉体的にも、精神的にも疲れた。今日くらいはダラダラ過ごしてもいいだろう。
母にそう告げ、家に入った。
どれくらい寝ただろうか。窓の外では、夕日が眠りに就こうとしていた。
一階に降りると母の姿は無く、開け放たれた玄関の外、聞きなれない声がする。
「ねぇいいじゃん~。ちょっとだけでいいからさ! 俺らとドライブしようよ~」
「そうそう! 折角来たんだからさ~。一時間だけでいいから!」
色黒の肌、タンクトップにシルバーアクセ。鼻ピアスにタトゥー。絶対に関わり合いになりたくない人種がそこに居た。
「あら、どうしようかしら~」
三人の若者に囲まれているのは――母……。何でナンパされてるんだよ……。
「か、母さん。どうかしたの?」
「あら修ちゃん。あのね、この方達が母さんとドライブに行きたいって言うのよ~」
困ってるのか喜んでいるのか良く分からない笑顔で答える。
「母さん……?」
「家の母ですけど……」
男達が驚いた顔をした。母は元々童顔なのもあるが、更に巫女服が年齢詐称の手助けをする。初見では分からないのも当然かもしれない。
「ちっ、何だよババアかよ」
男の一人が、咥えてた煙草を投げ捨てる。
その時、自分でも信じられない程――自然に口が動いた。
「拾えよ」
「あ? 何言ってんだこのガ――」
「拾えって言ってんだよ!」
こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてかもしれない。
僕の身体を震わすのは、恐れじゃなく、怒りだった。
「ちっ。行こうぜ」
仲間の一人が吸殻を拾うと、男を促すように歩き始めた。
「わざわざ遠征してきたのに全然じゃねーかよ。そういやさっきギャルっぽい女居たよな。もうアイツでいいんじゃねぇか?」
「だな。妥協しますか――」
男達の姿が見えなくなるまで、僕は拳を握り続けた。
「もう。修ちゃんったら、大きな声だしちゃって」
「だって頭にくるだろ! あんなことされて腹立たないのかよ!」
こんな時でも笑っている母に、若干の苛立ちを覚える。
そんな僕をたしなめるように、優しく腰を抱き、石段の方を眺めながら言った。
「神様はちゃんと見てるの。悪い事をした人には、バチが当たるものよ」
その言葉は、僕の心に不安の種を植え付けた。
――悪い事をすれば、バチがあたる――。
「さぁ、夕飯の支度しなきゃね。大丈夫、もう来ないわよ」
「あ、うん……」
さっきの男達の言葉――もしかして……。
「ちょ、ちょっと用事思い出した! すぐ戻ってくるよ!」
勘違いならそれでもいい。勢い良く、僕は石段を駆け下りた。
彼女と出会ったスーパーを中心に、周囲を、通る車の中を目視しながら走る。
大通りから路地裏まで、ひたすら探し続けた。
だが、そう簡単に見つかるわけがない。そもそも彼女だって言う保証はどこにもないし、彼女だとしても、あんなどう見ても悪そうな奴の車に乗ったりはしないと思う。
だけど、母の言葉と、去り際に見せた彼女の顔が、僕の足を動かした。
「全くうるさいわねぇ。音楽ガンガンかけて走って。迷惑ったらありゃしない!」
「ホントよねぇ。県外ナンバーだったし、夏休みだからかねぇ」
迷惑そうな顔で話すおばさんが二人。さりげなく聞き耳を立てる。
「でも、あの子一緒に乗ってたわよ。ほら、あの不良っぽい女の子」
「ああ、あの家の? あんな派手な格好して、悪い事ばっかりしてるって言うじゃない」
不良っぽい……派手な女の子――。
「その車! どっちに行きました!?」
突然話に割り込んだ僕に、おばさん達が驚いた顔をする。
「えっ!? あ、あっちの方に走っていったわよ」
おばさんの指差した方は、山に続く一本道。
「ありがとうございます!」
――神様がいるのなら。
祈るような気持ちで走り出す。辺りはすっかり薄暗くなっていた。
「くそっ……どこまで行けばいいんだよ……」
外灯もまばらな道を、ひたすら走る。
そもそも車に勝てるわけないんだ。僕の行動は無謀を通り越してただの馬鹿。愚策にもほどがある。
夜は出歩くなって言われてるのに、結局夜になってしまった。飛び出して来たから電話も持ってないし。
諦めて戻ろうか――そう思った瞬間。山の方へ続く、未舗装の林道が目に付いた。
林道を進むと、一台の車が止まっていた。
「いやっ! 離せよ!」
彼女の声! 奥にある廃屋から聞こえてくる。
「分かってて着いて来たんだろ? 大人しくしとけば乱暴にしないからさ」
「ふざけんな! 離せよ! ぶっ殺すぞ!」
中は薄暗くて良く見えない。人影と物音から、激しく抵抗している様子。
三人いるんだよな……。めちゃくちゃ強そうだし、僕じゃ勝てる気がしない。
なんて情けない男なんだ僕は。こういう時、彼女達なら直ぐに飛び込んで行くだろう。
でも僕は、隠れる様に様子を伺っているだけ――。
「っせえなコラっ!」
「あっ、おいおい殴んなよ! シラけちゃうだろ!」
殴った……? 殴ったのか……?
「大丈夫大丈夫、腹だしオッケーよ。静かになったし、効果テキメン?」
男達の下卑た笑い声。思わずドアに手をかける――開かない!? 鍵がかかってるのか!?
考えてる暇なんて無い、扉を蹴飛ばそうとした、その時だった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!」
室内から鳴り響く、尋常じゃない男の絶叫。
「うわっ、何だこい――あああああああああああああああ!」
争うような物音と絶叫に恐れを抱きながらも、力の限り扉を蹴り続ける。
「化け――ぎゃあああああああああああああああああああ!」
朽ち果てた木の扉が壊れ、中に飛び込んだ時には、もう叫び声は無かった。
そして、僕の身体は金縛りにあった様に動かなくなった。
暗闇に眼を光らせ、唸り声を上げる彼女の姿は人間のソレではない。
獣の耳と、逆立てた大きな尾。血まみれの口元からは鋭い牙が伸びている。
狼女――そんな言葉がしっくりくるような恐ろしい姿を目にしても、僕は逃げようとは思わなかった。
何故なら、彼女の全身を包むオーラには見覚えがあったから。
「十二支枝――なのか?」
恐る恐る彼女に近づく。刺激しないように、ゆっくりと。
「だ、大丈夫だよ。僕は敵じゃないよ」
安心させるように声をかけながら。しかし、獣となった彼女には通じなかった。
唸りを上げた彼女が一瞬で目の前に。そして彼女の牙は、僕の首元を正確に捉えた。
「ぐっ……あっ……!?」
今まで経験した事のない激しい痛み。
肉を引き裂かれる感覚、飛び散る鮮血の中、彼女の身体を抱きしめる。
「う……あ……アンタ……?」
「よかった……。元に戻った……んだね……」
僕を見つめ、酷く驚いた顔をする。彼女の瞳から涙が溢れ始めた。
「主……アンタが主……。アタシ……何て事を……! どうしよう! どうしようアタシ――」
「大丈夫……。逃げた……方がいい……」
取り乱す彼女を落ち着かせるように、彼女の背中を撫でる。いや、撫でているのかすら分からなかった。もう感覚がない。ああ、僕死ぬのかもしれない。
「いやっ……いやぁ……」
涙で顔をくしゃくしゃにして、彼女が僕の首を舐める。
「ハハ……。くすぐったい……よ……」
悪い気はしなかった。心地良い刺激が僕の目を塞ぐ。
薄れ行く意識の中――彼女の泣き声を、寂しげな遠吠えを聞いたような気がした。




