褐色のふととも
目が覚めると、窓の外はまだ薄暗かった。
昨日はいつの間にか寝てしまったんだろう。変な時間に目が覚めたらしい。
でもどうして床で寝ているのか。何故こんなとこに布団が敷いてあるのか。寝ぼけた頭では理解に悩む。
そしてベッドに戻ろうと手をかけた瞬間、微かな眠気は一瞬で吹き飛んだ。
――何で二人が寝ているんだ!?
ベッドに置いた僕の手を挟むように、先輩と龍ヶ崎さんがすやすやと寝息を立てている。
何が何だか分からないが、このままじゃやばい――そう思った瞬間だった。
寝返りをうった先輩の腕が、僕の手の上に。
ほんのりと暖かく柔らかい二の腕の感触が、僕の妄想をかきたてる。
だが、寝返りが引き起こしたのはそれだけでは無かった。
二の腕の感触など序章に過ぎない。本当のトラップは、横を向いた先輩の胸元、乱れた襦袢と肌の隙間。全てを飲み込むブラックホールの様な空間。僕の目は釘付けになった。
目を凝らしても見えない未知なる場所。今電気を点けたなら、はっきりと目視できるのは明確。
だがソレだと起こしてしまう危険性は大。
――もっと近づいたら見えるよ。
誰だ!? 僕に語りかけてくるお前は誰だ! 僕の中に芽生える悪魔の心よ、その手には乗らないぞ!
寝ている女の子に手をかけるなど、そんな卑劣な行為はしない――見るだけならいいのかな?
まてよ――これは夢? そうか夢だ。
考えてみれば色々とおかしい。二人が寝てるのもそうだが、まさかこの二人が仲良く同じベッドで寝るとは考えにくい。
そうだ夢なんだ。夢ならちょっとくらい見たってバチは当たらない。
「修ちゃん――」
目を閉じたまま、先輩がうわ言の様に呟いた。
ソレは、見えない重力に引き寄せられていた僕の動きを止める。
ゆっくりと手を引き抜き、僕は部屋を出た。
先輩の口から僕の名前が出た事に驚くと同時――何だかとても懐かしい感覚を覚えた。
「あら。修ちゃんおはよう。昨日はお楽しみでしたね」
一階に降りると同時に、部屋から出てきた母が怪しく微笑む。
そんな言葉を一体どこで覚えてくるんだろうか。元ネタを知っているとも思えないのだが。
「おはよう。ってか驚いたんだだけど。何で二人がいるの?」
「夜這いに来たんじゃないかしら?」
いくら時雨町が田舎でも、そんな風習はない。
軽くスルーして洗面所に向かうと、龍の歯ブラシが増えていた。
「あ、あのさ。皆が使ってる歯ブラシなんだけど――」
「あれ可愛いでしょう? セットで売ってたから買ってきたのよ」
嬉しそうに笑う母。僕の考えすぎだろうか、その笑顔に他意は無い様に思える。
「コーヒーでも飲む?」
「あ、うん」
リビングのソファーに腰掛ける。あの部屋に戻る勇気は備わっていない。
普段は決して目にする事の無い、無防備な二人の寝顔。
死を覚悟しても、理性が吹き飛んでしまう気がする。
通販だらけのテレビを、まだ見ていなかったDVDに切り替えた。
「ねぇ、修ちゃんは引越して来て良かった?」
コーヒーをテーブルに置いて、母が隣に座った。
「どうかな。あんまり考えた事ないや」
「引っ越す時もそんな感じだったわね。『別にどっちでもいい』って」
そうだったかな。まぁそうだったんだろう。
引っ越す前も、蜜な人間関係を築いていたわけでもない。彼女でもいれば別だったんだろうけど。
「流されてるだけじゃダメなのよ。いつかきっと哀しい思いをするわ」
まるで大切な事を教えるかの様な母の言葉。
「自分から行動するのも大事なのよ。落ちてくるのを待つだけじゃなく、目の前の果実に手を伸ばしなさい」
「そうだね……って結局そうなるのかよ。真面目に聞いて損した気分だよ」
何故執拗に斡旋するのだろう。このしつこさは悪徳勧誘業者のソレに近いものがある。
「この主人公――死んじゃうのよねぇ。悲しいわ」
話をきりかえるように放り込まれた、突拍子もない壮大なネタバレ。
まだ冒頭で、主人公が何をするのかも分からないのに。
だがこんなの日常茶飯事。いちいち腹を立てていれば母と生活など出来ない。
「そ、そうなんだ……。でも、ハッピーエンドじゃないから面白いんじゃない?」
「面白い、ね――」
ゆっくりと立ち上がると、少し寂しそうに笑った。
「例え結末が分かっていても、お母さんはハッピーエンドを望むかな」
母が呟いたその言葉の意味が分かるのは、まだずっと先の話。
何も知らない僕は、結末を知ってしまった物語をダラダラと見続けていた。
延々と繰り返されるオープニングテーマと、変わらないタイトル画面。気がつくと、窓の外はすっかり明るくなっていた。
家の中に人の気配は無く、時刻は七時。軽く伸びをして、迷わず玄関に向かう。
心の中でラジオ体操の歌を口ずさむほどに胸を高鳴らせて。
「あ、おはようございます修司さん」
何と言う失態。こっそり影から眺めるつもりだったが、玄関を開けた瞬間、龍ヶ崎さんとエンカウントした。
「お、おはようございまず」
気品溢れる笑顔。吸い込まれそうな青い瞳に濁りは無い。どうやら昨日の試合結果に落ち込んではいない様子。少しホッとした。
「勝手に押しかけてしまって申し訳ありません。ご迷惑じゃありませんでした?」
「迷惑だなんて、そんな事ありませんよ。起きた時は少し驚きましたけど、全然かまいませんよ」
こんな朝を迎えられるなら願っても無い。迷惑どころか、お金を払ってでもいいくらい。
「おはよう神崎君。すまないな連絡もなしに」
ピシッと整った一本結いの髪は、和装に良く映える。認めざるをえまい。巫女は至高だと。
「いえいえ。気にしないで下さい。でも、どうして家に?」
「ん? ああ、たまたま近くまで来たからついでに神社も、と思ってな。家の前でこいつが騒ぐもんだから母上殿に見つかって――」
「ちょっと。人の所為にしないでいただけますか? どう考えても貴女の声が大きいからでしょう?」
さっきまで仲良く寝てたとは思えない小競り合い。
でも、今なら笑って見ていられる。二人の絆の強さを知っているから。
皆で朝食をとった後、帰る二人を下まで見送る。
龍ヶ崎さんが呼んだであろう運転手付きの高級車に乗り込む二人の姿はとても絵になった。
「素敵ねぇ。二人とも綺麗だし他の子も可愛いし、修ちゃん迷っちゃうのも無理ないわねぇ」
背後から現れた母が茶化すように声をかける。
「どっかいくの?」
「ちょっとお買い物に行こうかなって。修ちゃんも一緒に行く?」
母との仲は決して険悪ではないが、一緒に買い物に行くのには抵抗がある。そういう年頃なのだ。
「代わりに行こうか?」
「あら、じゃあお願いできるかしら。はいお金。買う物はメールするわね」
それだけ言うと、最初から行かせる気満々だったんじゃないのかと思う程、そそくさと石段を上がっていった。まぁ散歩でも行こうと思っていたからいいんだけど。
歩き出すと、突然上から肩に何かが落ちてきた。
「何だ? これ――」
一瞬木の枝かと思ったがそうではない。肩を這い回るその姿に身体が止まる。
ソイツはチロチロと舌を出しながら、つぶらな瞳で僕を見つめた――蛇である。
こんな時は驚いて走り出す――それが一般的なリアクションだろう。
だが幸か不幸か、僕には動物耐性が備わっている。
神社の息子、生きとし生ける者に敬意を表さなくてはならない、そう教えられて育ったから。
「ほら。もう落っこちるなよ」
掴んだ蛇を藪の方に離すと、礼も言わず一目散に消えていった。当たり前か。
でも何となく良い事をした気分。二人の巫女姿も見れたし、今日は充実した一日になる気がする。
鼻歌を口ずさみながら、スーパーへと向かった。




