不動龍陥落 3
――虎口道場――
「はっ! せい! やあ!」
皆と別れた後、私は道場で剣を振っていた。
大会の熱気に感化されたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
龍ヶ崎が負けた――その事実が私を動揺させていたのは間違いないだろう。
確かに、相手は決して弱くない。前に戦った時よりも技の切れは冴えていた。
だがそこまでだ。まともに戦って負ける相手ではない。
それに、あの面は完璧だった。スピード、タイミング。非の打ち所が無い、一流の一太刀。
それを何故途中で止めた? 私が目を話した一瞬に何があったというんだ。
「っ!?」
背後から聞こえた、道場の扉が開く音。剣を握る手に力が入る。
家の者なら渡り廊下から来るはずだし、まだパトロールの時間でも無い。そもそも百合子や茜なら、まず電話が来るだろう。
「龍ヶ崎……?」
扉を開けたのは、龍ヶ崎亜紺だった。
一瞬自分の目を疑ったりもした。それほどまでに、彼女が私を訪ねてくるのは珍しい事だから。
「……ちょっといいかしら」
「あ、ああ。待ってろ、今座布団を持って――」
「いえ、そのままでいいですわ」
歩いてきた彼女は、そう言ってその場に腰を下ろす。同じく座り、私は彼女の言葉を待った。
しばらく待っても、龍ヶ崎は何も言わなかった。
何かを言いたいのは明白。用も無しに来るような性格でも、間柄でもない。
言いたいけど言わない。いや、言えないんだ――。
「龍ヶ崎、少し手合わせしようか」
一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに頷いた。
無理に聞く必要も、話す必要もない。私達には、言葉より伝わる剣がある。
「こうやって向かい合うのも久しぶりだな。手加減はしないぞ」
「あら。一度でも手加減をした事がありまして?」
「ハハ。それもそうだ。では――いくぞ!」
道場に張り詰める緊迫した空気。流石、不動龍と言われるだけある。動く気配すら感じられない。
だが、ただ待っているわけではなく、面の奥では一瞬の隙を突こうと牙を剥いている。
先手必勝。彼女にそんな言葉は通用しない。だが――前進あるのみだ!
相手の出方を見て、次の手を読む。相手の技を誘い、その隙を突く。その駆け引きは会話と同じ。
相手が何を考え、何を伝えたいか。
思いやりにも似た、それを一番考えるのは、今この瞬間なのだと私は思う。
――しまった!
面の隙間から見えた眼光。僅かな隙間を縫う様に龍が猛る。
だが、その牙は私には届かなかった。
「龍ヶ崎……お前……」
その時初めて気付いた。
牙の折れた龍――彼女が面を打てなくなっていた事に。
「いつからだ……?」
防具を外し、私達は再び座り込んだ。
細くしなやかな龍ヶ崎の身体が、今はとても小さく見える。
「修司さんと、手合わせた日からですわ……」
あの日、彼女は竹刀が折れるほど我を忘れていた。
何が彼女をそうさせたのかは分からない。彼女の動揺は尋常ではなかった。
「お前……あの時やはり……」
「ええ……殺す気で打ちました……」
自分で口にした言葉を畏れるように肩を震わせる。
それは冗談でも、暴言でもない事は知っていた。信じたくはなかったが、確かにあの時、私は龍ヶ崎の殺気を感じた。
「もし、あの時修司さんにかわされていなければ……私は……主を……」
彼女の蒼い瞳からこぼれ落ちる悔恨の念。
それは初めて見た、純粋な彼女の想いだった。
あの日は結果的に事無きをえた。だが、それは大した問題ではない。
彼女が竹刀を振り下ろした時、既に人殺しの烙印は、彼女の心に押されていた。
心を病んだ彼女に、私は何を言えただろうか。
何も言えない自分がもどかしい。こんなに苦しんでいたのに、気付いてやれなかった自分が恥ずかしい。
「どうして……貴女が泣いているんですの?」
気がつくと涙が溢れていた。何も出来ない悔しさに、彼女の身体を抱きしめる。
「なっ――」
「すまない……。私には何も言えない。苦悩する仲間にかける言葉も見つからない……。だけど、辛い時も、悩める時も、共に分かち合う事は出来る! 一人じゃない……私達は一人じゃないんだ……」
最後に泣いたのはいつだったろう。とめどなく流れる涙は、決して止まる事はなかった。
「それだけ……言えれば……十分ですわ……」
彼女が私の服をギュッと掴んだ時、一層涙が溢れた。人目も気にせず、私達は共に涙した。
落ち着くと、言いがたい気恥ずかしさに包まれた。
それは向こうも同じ。たまに目が合い、慌ててそらす――どこの生娘だ。
「な、なぁ。別に予定は無いんだろう? 少し付き合わんか?」
「あっ、ありませんけど……何をなさるのかしら?」
「まぁ。ちょっと待ってろ――あ、もしもし私だ。今日は龍ヶ崎と行くから、二人は家でゆっくりしていてくれ。茜にも伝えてくれないか? ああ、では」
百合子との電話を終え、龍ヶ崎に木刀を差し出す。
「仕事だよ――」
「貴女達、毎日こんな事してるの?」
月明かりだけが照らす、薄暗い夜道を歩く。
「ああ。今のところ目立った被害は無いが、だからと言って放って置く訳にいかん。それに、何か手がかりが見つかるかもしれんからな」
「手がかり――ですか。おっしゃる通り、今の私達には分からない事だらけですわね。それで、鬼とは一体どういうモノなのかしら?」
「ふむ。どうやら説明する必要は無さそうだ」
闇を纏い、彷徨う亡霊の如く、それは姿を現した。
「あ……あれが鬼……?」
突如現れた鬼に、龍ヶ崎が驚いた表情を見せる。
「油断するなよ。中々手ごわいぞ」
「わっ、私が行くのですか!?」
「当たり前じゃないか。さぁ初陣だ!」
「きゃあ!?」
そう言って、背中を強く押した。
鬼は龍ヶ崎に気付くと、大きく両腕を広げ、静かな雄たけびを上げる。
それは彼女を、敵と認識した証。
「なっ!? いきなりですの!?」
鬼が大きく跳びはね、龍ヶ崎に襲い掛かる。
戸惑いつつも、そこは一流の剣士。すぐに身構え、鬼の攻撃に備えた。
頭上高くから振り下ろされる腕を、剣先で軽くいなす。衝撃を受けながす、流れるような剣さばき。
そして――龍が目覚めた。
「はっ!」
彼女が鮮やかな面打ちを鬼に叩き込む。その太刀に、もう迷いは感じられない。
しかし、無残にも木刀は砕け散った。
「なっ!?」
「ああ。言い忘れていたが、獣の力を使わないと倒せないぞ」
「はぁ!? それは忘れてたじゃ済みませんわよ!? 全く、仕方の無い人ですわね――」
彼女が折れた木刀を握り直し、気を集中させると蒼いオーラが立ち上った。
月に噛み付くが如く姿は――まさに天かける龍。
気で練られた刀身は、彼女の身体と同じ様に細く、鋭い輝きを放っている。
「そういえばこの前――私の技を真似ていましたね」
面を打たれて、逆上した鬼が龍ヶ崎目掛けて走り出す。
だが、それには目もくれず、私の方を見ながら笑った。
「動きに、華やかさが足りていませんでしたわ」
蒼い残像の軌跡を残し、ふわりと身体を回転させた。
其処に存在していないかの様に、鬼の手が空を切る――龍尾鉄鎚。
蒼い光が、鬼の背中を切り裂いた。
「案外、大した事ありませんわね」
月を背に、彼女が微笑んだ。蒼々とした龍が、儚げに還っていく。
「さっきまで泣きべそかいていた奴が良く言えるな。目が赤いぞ」
「なっ!? 人の事を言えた義理ですか!?」
「ハハ。さぁまだまだ行くぞ!」
薄暗い夜道を駆け出した私の心は、すっかり晴れ渡っていた。
「よし、そろそろ帰ろうか」
数体の鬼を退治し、そろそろ戻ろうかと思った時、龍ヶ崎が何かを見つけた。
「ねぇ。あれ――修司さんのお母様じゃないかしら?」
彼女の指差す先に人影が見える。
離れているから顔は分からないが、紅白の独特な装束はかろうじて認識出来た。
「確かに、そう見えなくも無いな。だが、こんな時間にどこへ?」
人影が向かった方向には、店はおろか家もあまりない。夜の散歩にしては家から離れすぎている気もする。
「ちょっと行ってみよう」
人影を追う様に走り出す。
だが、角を曲がるとそこには誰も居ない。周囲に隠れる場所など何も無い一本道なのに。
「いませんわね。見間違いだったのかしら」
見間違い? 彼の母かは分からないが、人だったのは間違いない。
それに、あの格好はそうそう居るもんじゃない。
「二人で見間違えるというのも中々ないぞ。お前も見ただろ?」
「見ましたけど、現に居ないじゃありませんか」
「うむ……。何だか気になるな、少し彼の家に行ってみようか」
僅かな疑念でも、放っておけば後に命取りになる。
私達は、足早に彼の家へと向かった。




