不動龍陥落 2
午前の試合が終わり、僕達は龍ヶ崎さんのいる控え室に向かった。
先輩は選手控室と書かれたプレートの部屋を何故か素通りし、奥の部屋のドアを開ける。
「やあ。調子はどうだい」
まるで控え室とは思えない室内。僕達に気付いた龍ヶ崎さんがチラリと視線を向けた。
「何だ、反応が薄いな。私達が来ていた事を知っていたのか?」
「……あれだけ会場が騒げば誰だって気付きますわ。修司さん、わざわざありがとうございます」
「いえいえ。試合見てました、かっこよかったです」
優しい微笑みに少しドキッとする。ってかサプライズだったのかよ。
「あの、母がお弁当を作ってきたんですけど、よかったら一緒に食べませんか?」
「まぁ、お母様がわざわざ? それじゃあ頂かないわけにはいきませんわ」
「そっ、それじゃあ天気もいいし、お外で食べましょうっ!」
そう言って中谷さんは背負ったねずみの顔を模したバックから敷物を取り出した。
敷物にもねずみがプリントされていたのは言うまでも無い。
「うわ~。めっちゃ旨そうやん!」
四重の重箱の中には、俵型に握られたおにぎり、から揚げや玉子焼きなど、弁当には欠かせないおかずがぎっしりと詰められていた。
豪華メンバーに囲まれても、その存在感を失わない神崎家の漬物も健在だ。
「これだけ作るには骨が折れただろうに。母上殿は朝早くから仕込んでいたのだろう」
先輩がチラリと僕を見る。寝坊した僕を暗に責めているのだろう。反省します。
「そっ、それにしても、何だか注目されているような気がするんだけど」
会場を出る時も、弁当を広げている今だって、遠くの方からちらほらと視線を感じていた。
「そりゃあ私と龍ヶ崎が一緒に弁当を食べようとしてるんだ。知らぬ者には、さぞ奇異な光景だろう」
先輩が愉快そうに笑みを浮かべる。
そうか、二人はライバル同士。試合外で会う事などなかったんだ。
「周りを気にしてたら食べられませんわ。気にせずいただきましょう」
穏やかな笑みを浮かべ、龍ヶ崎さんが手を合わせる。
『いただきます!』
晴天の青空の下、五人の声が爽やかに響いた。
「あー食べた食べた。もうお腹いっぱいだよ」
最初は食べきれるか心配だったけど、意外に彼女達は良く食べた。
中谷さんが一番食べていたのには驚き。
この小さい身体のどこに入るんだろう。不思議でたまらない。
「修ちゃん、食べてすぐ寝たら牛になんで! ほら、ウチが膝枕したるから」
前後の話が噛み合っていない。牛になる~からどうして膝枕になるのか。
「茜の筋張った膝では痛かろう。どれ、私がしてやってもいいぞ」
「貴女が人の事言えますの? 修司さん、私の膝が一番柔らかいですわ」
「わっ、私も出来ますよっ!」
……これはどんな精神攻撃だろうか。膝枕がよりどりみどり。
「いえ……すいません起きます……」
「なぁ龍ヶ崎、お前今日の試合、手を抜いてはいないか?」
満腹の余韻に浸っている最中、先輩が口を開いた。
「手なんて抜いていませんわ。私がそんな事をする人だと思って?」
龍ヶ崎さんが不機嫌そうな顔を見せる。
「いや、気分を悪くしたなら謝る。いつもと様子が違ったのでな。調子でも悪いのか?」
「別に普通ですけど。どう違ったのかしら?」
「二戦とも小手を打っていただろう? 今まで見た事がなかったのでな」
昔から互いを知る二人だからこその会話。そこに、僕の入る隙間は無いように思えた。
「……同じ技ばかりではつまらないでしょう」
軽く膝を払い、ゆっくりと立ち上がった。
「では、私はそろそろ失礼しますわ。修司さん、大変ご馳走になりました」
「あ、いえいえ。午後も頑張って下さい」
「はい。では後ほど」
軽く会釈をして、龍ヶ崎さんが会場に戻っていく。
その後姿がとても印象的で、どこか元気がない様に見えた。
試合の時間、会場で龍ヶ崎さんの登場を待つ。
この勝負を制した者が全国大会の切符を手にする――会場は大いに盛り上がっていた。
「おっ。龍ちゃんが出てきたで!」
防具のせいで表情は分からないが、その美しい所作は緊張してる様子など微塵も無い。
だが、対戦相手を見て驚いた。
「えっと……あれ、女の子……?」
龍ヶ崎さんの前に現れたのは、まるでプロレスラーかと見間違うばかりの立派な肉体を持っていた。竹刀が小さく見える、圧倒的な迫力。
「ああ、正真正銘女の子だ。実力はかなりのものだが、生まれた時代が悪かったな。私達がいなければ全国をとれただろうに」
さらりとそんな台詞を言える先輩がイケメンすぎる。男だったら女子を根こそぎかっさらっていきそうだ。今でも一部の女子からは絶大的な支持を受けているとも聞く。
「まぁ、結果は見えているな」
先輩の言葉に少し安心する。そして、試合が始まった。
開始の合図と共に相手が飛び出す。
高角度から繰り出される剣はとても速く、そして切れがあった。
今までの相手とはまるで違う――それは、素人の僕が見ても明らかだ。
「ほう。中々腕を上げているな。まぁ、それでもまだ荒い。僅かだが所々隙が見える」
猛攻を繰り広げる相手に、龍ヶ崎さんの身体が押される。会場に鳴り響く、竹刀を打ちつける音。思わず手に汗を握った。
「あのごっつい攻撃全部かわしとるな。流石やで」
一見押されているように見えるが、龍ヶ崎さんは相手の攻撃を巧みに防いでいた。
無駄な動きは一切ない。冷静に、僅かな隙を捉えた。
「終わったな――」
先輩が目を伏せると同時に、審判の声が上がった。
「よし。じゃあ控え室に行こうか。全国大会出場を祝ってやろう」
「い、いや……あれ……」
審判の掲げた旗は、相手の勝利を告げる旗――。
「な、何だって!? どうしてだ!? 今、龍ヶ崎は面を打っただろ!?」
先輩が驚いた声を上げる。
「確かに打った……。龍ちゃんのタイミングは完璧やった。せやけど……止めたんや……」
相手の攻撃を見切った完璧な一太刀。
吸い込まれる程、正確に狙い定めた龍ヶ崎さんの剣は、相手の前でピタリと止まった。
それは、まるで見えない壁に阻まれるかのように。
「止めた……だと……?」
勝利を確信し、目を逸らした先輩には信じられない様子。
そして突然彼女は走り出した。
「あっ、蓮ちゃん!」
「ウチらもいくで!」
駆け出した先輩を追いかけるように、僕達は控え室に向かった。
「龍ヶ崎!」
控え室のドアを開けると、虚ろな表情で椅子に腰掛ける彼女の姿があった。いつもの凛とした彼女は、そこにはいない。
「……恥ずかしいところをお見せして申し訳ありませんでしたわ。折角来てくれましたのにね」
「そんな事はどうだっていい! どうして面を打たなかった!?」
先輩の言葉には、薄っすらと怒気さえ漂っていた。それは先輩だからこそなのかもしれない。
同じ剣の道を歩む好敵手としての。
「……済んだ事をあれこれ言ってもしょうがないでしょう」
「そっ、それはそうだが――」
「お帰り下さい。今は――一人にして欲しいの」
力無く顔を伏せる。
そんな彼女に、誰も何も言う事は出来なかった。
帰りのバスの中は、ひどく静まりかえっていた。
誰一人口を開く事はなく、来た時の盛り上がりがまるで嘘の様に。
夕日に照らされた、窓の外を眺める寂しげな先輩の横顔。
仲間が負けるのがこれほど辛いという事実を、僕は初めて知った。




