虎猿再争 3
「皆、足小さいな――」
追い出されてどれくらい立っただろうか。四人分の靴を眺めながら、僕はただボーっと待っていた。
女の子っぽいピンクの靴が中谷さん。シンプルだが、高級感あふれる紺の草履は龍ヶ崎さん。まだ真新しいのに、靴の底が磨り減ったスニーカーは茜。靴にも個性は出るらしい。
それに比べて僕の靴は何てつまらないんだろう。相対的に、何となく臭そうにすら見える。
――じゃあ彼女達の靴は良い匂いなのか?
確かに、女の子は良い匂いがするイメージがある。だが、果たしてそれは靴でも同じなのだろうか。
突然僕の頭に沸いた疑問。答えは目の前にある――。
「すまない。待たせたな」
「いっ、いえ! 大丈夫です!」
勢いよく開いた扉に邪魔――いや、助けられた。
後少し遅かったら、人として大切な何かを失っていたかもしれない。
中に戻ると、道場を包んでいた重苦しい空気はすでに消えていた。
どうして全員袴姿なのか、それがかなり気になったけど、誰も何も言わなかったから聞かない事にした。
「ホンマにすいませんでした!」
突然、茜が僕達に頭を下げた。先程とはまるで違う彼女の態度に皆が驚いた顔をする。
「ウチ、人と仲良くするのが苦手やねん。ホンマは仲良くなりたい、でも、いつか裏切られると思うと、素直になれへん……」
裏切られるのが怖い――。頭を下げたまま、彼女は続けた。
「仲が良いのは最初の一人や二人だけ、友達が増えたら、いつの間にか誰かの不満が出る。その不満は悪口に変わって、いずれ攻撃になる。ずっとそんなんばっかりやった。目の前では笑って話とっても、居なくなれば嫌味を言う。本当はそんなん思てないのに、周りに合わせて嫌いなフリをする――」
「ほな最初から仲良くせんかったらええ。無理に他人に合わせてまで一緒に居る必要なんて無い。ウチは一人でもやっていける。誰にも負けない位に強くなって、誰にも頼らずに頑張るんやってずっと思てた……」
茜の言葉は、多分誰もが一度は経験した事があるだろう。
僕も何度かあったが、ただ愛想笑いを浮かべるだけ。
居心地が悪くても、一人でいるよりはマシだと思ったりもした。弱い人間だ。
「頭を上げてくれ茜、君はもう一人じゃない」
優しい笑みを浮かべて、先輩が茜の肩にそっと触れる。
「ですわね。今までの無礼は水に流してあげましょう」
「一緒に頑張りましょうっ!」
龍ヶ崎さんも、中谷さんも優しい声をかけた。
「皆……おおきに……。ホンマおおきに……」
いつか先輩の言ってた言葉を思い出した。
――私達の先祖は、固い絆で結ばれていたと聞く。私達もそうで在りたい。
僕達なら築けるかもしれない。ご先祖様にも負けない、僕達の絆を。
「ああ、もうこんな時間か。昼食の準備をしてくるから少し待っていてくれ」
そう言った虎口先輩と同時に龍ヶ崎さんが立ち上がった。
「私はそろそろ失礼しますわ」
「何だ、食べてからでもいいではないか」
「お気持ちだけ頂いていきますわ。それでは皆さん、ごきげんよう」
軽く会釈をして、龍ヶ崎さんが道場を出て行った。
「やっぱり……ウチの所為やろか……」
茜が肩を落とし、寂しげな顔をした。
「いや、龍ヶ崎はそんな奴ではない。明日の試合を考えての事だろう。気にする事は無いさ」
確かに、今日の龍ヶ崎さんはいつもと少し様子が違っていた。
彼女が時折見せた、欠けた月のような憂いを帯びた表情。
僕達は誰一人として気付く事はなかった。
――龍ヶ崎道場――
「お嬢様、昼食はどうしますか?」
「いらないわ。気が散るから誰も道場に近づけないで」
「は、はい。承知いたしました」
何度剣を振ろうが、心の蟠りが消えない。こんな不愉快な気持ちは生まれて初めて。
あの二刀流、一朝一夕で使える様なモノじゃない。ずっと昔から稽古をしていたはず。彼女の太刀筋は、いつもの何倍も冴えていた。
でも、どうして今まで隠していたの。
もう十数年も顔を合わせているけど、そんな素振りは一度も見せなかった。
「ずっと……肩を並べてると思っていましたのに……」
「――君。亜紺はどうした?」
「はい、旦那様。帰ってきてからずっと道場にいらっしゃいます。誰も近づくなと……」
「帰ってきてから? もう五時間になるぞ。亜紺が試合前日まで剣を握るとは、珍しい事もあるもんだな」
「明日は……負けるわけにはいきませんわ……」
離れないように、離されないように。
時が経つのも忘れ、ひたすら剣を振り続けた。
裏切られた様なやるせなさと、自分に慢心していた情けなさ。
――もう、あんな思いはしたくない。
過去を想いながら、剣を振り続けた。
――神崎家――
「よし、今日はこんなもんでいいか」
自分で言うのもあれだが、夕食後、僕は珍しく机に向かっていた。
少しずつやるのも中々苦じゃない。気付くのが遅すぎた感は否めないが。
洗面所に行くと、二人の歯ブラシに笑みが漏れる。何だか、とても彼女達を近くに感じるよう。
ふと、自分の歯ブラシが痛んでる事に気付いた。
確か下の棚に買い置きがあったはず。探してみると、やはり新品の歯ブラシがあった。
「あれ、これって龍ヶ崎さんの歯ブラシ……?」
見つけたのは、アニメ調の龍がプリントされた歯ブラシ。
そういえば龍ヶ崎さんも泊まっていったっけ。
でも何でこんなとこに置いたんだろう。母だろうか――。
いや、違う。そもそも龍ヶ崎さんは泊まる予定で来ていなかった。歯ブラシを事前に用意しているとは考えられない。
それに何より、この歯ブラシは『新品』だ。
身体を包む違和感に、棚の奥を探す。
「どうして……全部あるんだ……?」
奥を調べると、他にも干支を模した新品の歯ブラシが見つかった。
先輩と中谷さんの分も合わせると、十二支全てが揃っている。
「母さん、起きてる?」
部屋の前、母からの返事はない。
扉を開けると、中には誰も居なかった。
玄関に向かい、母の履物を確認するがやはり見当たらない。
「こんな時間に何処行ったんだ……」
母を捜しに家を飛び出す――生憎だがそんな事はしない。
子供じゃないんだ、別に心配する必要も無いだろう。
「まぁいいや。明日聞くか――」
すぐ忘れ、僕はベッドに潜り込んだ。




